西武のなつかし写真の最後は、最後の赤電。
351系
351系は1990(平成2)年まで多摩湖線国分寺—萩山間を走っていた西武最後のつりかけ電車。
もとは501系のモハ(現在でいえばクモハ)として登場。501系はモハが17m、サハが20mという変則形態だった。
501系に20mのモハを導入することになると、17mのモハは機器をそちらに譲り、レベルダウンした足回りを履いて411系となり、連結相手はまたも20m車のクハ1411形となった。
351系に再改番されたのち大井川鉄道や上毛電鉄への譲渡なども発生し、最終的にクモハ351+サハ1311+クモハ351の3連を組んだ3編成が国分寺—萩山間の区間列車用となった。
これは前記事に書いたとおり多摩湖線国分寺駅ホームが立地の関係で有効長が短く、17m車3連を入れるのがやっとだったため。20m4両対応のホームが新たに完成し、351系は引退した。
ホームがらみで古いつりかけ車をいつまでも走らせていたのは、JR鶴見線クモハ12の例と同じだ。
351系(玉川上水車両基地・1990.6.24)
ずらりと並んだ多摩湖線用351系3本。この風景は、さよなら運転で引退した翌日の「さよなら351系撮影会」でのものだ。
行こうと思えば行けたのに、結局本線上を走る姿を撮らぬままにこのイベントが最初で最後の351系との接触になった。
351系(玉川上水車両基地・1990.6.24)
当日は3本の並べ方から、さよならヘッドマークの有無、方向幕、種別札などさまざまなバリエーションの展示が行われた。
351系(玉川上水車両基地・1990.6.24)
トップナンバー・クモハ351のサイドビュー。プレスドアや台車形状が古さを醸し出す。
351系(玉川上水車両基地・1990.6.24)
西武の湘南顔はこの351系の登場時の姿・初代モハ501形が最初だ。ワイパーの根っこだけ窓がよけているのがチャームポイント。
この2枚の窓が独立した純粋な湘南顔は、20m車である2代目モハ501形が引き継いだものの、その次の湘南顔551系からは101系まで続いたセンターピラーを使用しHゴムで2枚の窓の全周を囲んだスタイルに移行した。
351系(玉川上水車両基地・1990.6.24)
「西武秩父」の幕は入っていても、性能を考えたら実際に西武秩父まで行ったことはないんじゃないかと思う。
351系(玉川上水車両基地・1990.6.24)
こんな並べ方も。
351系(玉川上水車両基地・1990.6.24)
ファン持ち込みの行先サボ。サボ受がないため針金でくくりつけられた。
351系(玉川上水車両基地・1990.6.24)
中間に挟まれているのはクハ改造のサハ1311形。シル・ヘッダー付の351系より古い車両だが、サハ化の際に運転台を撤去した部分はそのシル・ヘッダーが途切れている(写真手前側)。
この車両の引退から翌々年の6000系ステンレスカー登場までの2年間は、ロングシート車はすべてレモンイエローをまとっていたことになる。
これにて、西武のなつかし写真は出し切ったので終了。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。