2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2015/02/22

夜行列車 なつかし写真・6

今回は夜行座席急行(一部寝台含む)の写真。


八甲田・津軽

定期の14系座席車使用列車はそう多くなかったが、私が鉄道の写真を撮り始めた頃にガチで走っていたのが「八甲田」と「津軽」。
両者はともに上野—青森間の列車だが、「八甲田」が東北本線を貫くのに対し、「津軽」は福島から奥羽本線経由となっていた。



14系+マニ50急行「八甲田」(上野・1988.8.12)(d)

急行「八甲田」。基本はシンプルな14系座席車貫通7連だった。方向幕が故障して「紀伊勝浦」が出ているのが面白い。




14系+マニ50急行「八甲田」(上野・1988.8.12)(再掲)(d)

「八甲田」では乗客のバイクを運べるMOTOトレインとなっていた列車もあり、この列車はそれにあたる。
編成両数は7両から増えており、オハネ14も1両連結されていた。詳しくはこちらの記事で。


ED75 708+14系急行「八甲田」(黒磯・1988.11.3)(d)

前の写真から3ヶ月、まさか乗ることになるとは想像もしていなかった。中学のクラスメイトと突如計画したのだ。
黒磯でPFに代わって前に付いたのはED75 708。助士側の銀帯はメッキが剥げている。




ED75 708+14系急行「八甲田」(仙台・1988.11.3)

真夜中の仙台で下車。同日日中に展示のオリエント急行を撮るのが目的だった。とにかく寒かったのを憶えている。



EF65 1017+14系急行(上野・1989)

HMもテールマークもない両列車、いまさらどちらか判断できない写真が多い。



14系急行(上野・1989)

北国から上って来た列車は雪もたくさん。


14系急行(上野・1989)

となりは同じ14系の寝台車。


14系急行(上野・1989)

テールマークは漢字のみで「急行」というのが多かったが、このように英字併記のものもあった。


EF65 10??+14系急行(尾久—赤羽・1989)

もはやカマの車号もわからない。


EF65 10??+14系急行「津軽」(尾久—赤羽・1989.8.7)

この写真は7両以上あるので「津軽」で確定。前記事の「竿灯」と同日の撮影で、この列車も数時間遅れているため昼間の光線の中を走っている。


ちくま

夜行急行「ちくま」は大阪—長野の夜行列車。関西・中部の列車だが、私は旅行先で2度遭遇している。


14系寝台車+12系急行「ちくま」(米原・1991.9.15)(再掲)

ボックスシートの12系と14系寝台車を混結した急行「ちくま」。JR化後はJR西日本の客車が用いられ、大阪—出雲市(福知山線経由)間運行の夜行急行「だいせん」と共用のものだった。写真のような行灯式テールマークが特徴だったが、のち14系客車と同じく貫通扉に窓を開けた形に移行している。
ネットで調べると、この写真の20日後から12系はリクライニングシート化(485系発生品の簡リク)された3000番台車が充当されたとのことで、行灯式テールマーク廃止もその時かもしれない。


383系急行「ちくま」(大阪・2000.5.3)(再掲)

電車化されJR東海の受け持ちとなった「ちくま」。「しなの」用の383系が用いられたため、当然寝台車はない。
なお、2003(平成15)年ダイヤ改正で臨時列車に格下げとなった際は、車両も381系に変更されたそう。振り子で乗り心地は決してよくないという381系を夜行に用いるのもすごい。
今回の一連の記事の1つめの中で書いたように、この日は寝台急行「銀河」のプルマン式A寝台で帰京したが、その肝心の「銀河」は何らかの理由でギリギリ乗車となり撮影できていない。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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