2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2011/01/19

青梅線 なつかし写真

今回は出すタイミングがないままだった青梅線のなつかし写真。
量はちょっとだけ、撮った場所も2地点だけだが、関東の103系は過去帳入りしているので少しでもその姿を載せたい。


2つの顔

青梅(おうめ)線は中央線の立川から分かれ、拝島、青梅を経由して東京の西端の駅である奥多摩へ至る路線。元は私鉄の青梅鉄道→青梅電気鉄道で立川—御嶽間は私鉄時代に開業、御嶽から先は国有化されてからの開業だ。
立川—青梅間は直線主体で沿線には住宅が多く、通勤路線。青梅—奥多摩間はカーブの多い山間路線で、トンネルや高さのある橋りょうなどが続き、青梅以東とはまったく違う雰囲気だ。
そのため青梅を境に列車の運行系統が分かれていて、立川—青梅は10連が主体で、中央線東京からの直通列車も多い。青梅—奥多摩は4連が主体で、鳩ノ巣駅は4両編成までしか停まれないなど制約もある。
一日の乗降客数1万人超えの駅は河辺(かべ)が西限。複線区間は東青梅までで、本数が多い青梅との1駅間は単線。青梅駅は側線がたくさんあるもののホームは1面2線のみで、このあたりは運行上のネックになっているようだ。折り返し列車のある拠点駅・1面2線・側線が多いという形は秩父鉄道の熊谷駅に似ている。

現在の使用車両は中央線・五日市線と共用のE233系で統一されており、10連貫通、4+6の分割可能編成がある。



103系(立川・1991)

写真当時の青梅線の主力は103系。中央線での活躍は短かったが、この青梅線や五日市線、武蔵野線はオレンジの103系が大量に活躍していた。
写真の車両はAU712の簡易冷房で、方向幕が101系タイプ。弱冷房車のステッカーがドア上に見えるので4連口だと思う。2枚目はフラッシュが光っている。ごめんなさいm(_ _)m。
低運転台車はクモハも多く、3連〜10連で時代によりさまざまな編成が組まれ、拝島で五日市線列車と分割・併合する運行も行われた。


103系(立川・1991.12.1)

ATC搭載タイプの高運転台車。もちろんATCは使っていない。この編成は6連。



103系(西立川・1993.11.6)

国営昭和記念公園に隣接する西立川駅は奥多摩方に渡り線が設置されている。上屋は立川寄りにあり、4連の上り列車はそこまで進んでいく。
この編成はパンタ付電動車・モハ103のみクーラーキセがステンレスのAU75Eになっている。


103系(西立川・1993.11.6)

先の写真の列車が立川から戻ってきた。立川—奥多摩の全線走破の列車はこの時代のほうが多かったようだ。


103系(西立川・1993.11.6)

仰々しい顔の高運転台車に短編成は似合わない。


201系(西立川・1993.11.6)(再掲)

1両を除いて過去帳入りした「中央線の201系」が青梅特快で入線。
103系引退後の青梅・五日市線はこの201系に統一されていたが、中央線とともに最新鋭のE233系に置き換わった。

私は青梅以西を走るE233系をナマでは観ていないが、4ドアの広幅ステンレス車4連が単線の山中を走る姿は不思議な感覚だろう。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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