2026/09/06

あまり写真サルベージ

古い手持ち写真(鉄道系じゃないもの)を捜す用事ができて紙焼きアルバムをいろいろ漁っているうち、当ブログの「なつかし写真」で載せるに至ってなかった写真が出てきた。
理由の一つは写真の出来。そもそめレベルの低い写真ばかり載せているが、それ以下の物…というやつ。
もう一つは、車両が写ってなくて手を付けなかった写真だ。

今回はそれらを載せましょう。前者にあたるのは本当にひどいので、悪しからず。


バラバラ編


(田端・1988)

田端駅の跨線橋のたもとにあった建物。きっと店舗だったんだろうな。
跨線橋から線路脇へ続く階段へ向かうにはここをくぐるわけだ。
今は新しい橋が架かっている。


(後楽園・1988.9.1)

営団丸ノ内線後楽園駅ホームより。東京ドームで野球を観た帰りだ。
遊園地はいま『東京ドームシティ』になっているが、当時はまだ『後楽園ゆうえんち』で、古くさい観覧車が回っていた。
野球の半券で入れるサービスで怖くないジェットコースターに乗ったなぁ。
左端のニョロっとしたオレンジがジェットコースターのレールのイルミネーションで、丸ノ内線に並行していた。


横須賀・総武快速線113系(鶴見・1989)

わが地元近くの総武線を走っていた横総の113系だが、「横須賀線」区間での写真はほぼなく、こちらの一枚を拾い上げた。
背後は鶴見線の高架。高架下の生活感がある。


鶴見線クモハ12(鶴見・1989)

同じ時に撮ったのがこれ。
この1枚は今回の追加スキャンではないのだが、ブログ付属のアルバムに入れておきながら本編に一度も載せていなかったようなので、こちらでデビュー。当時の他の鶴見線の写真はこちら


京急1000形(横浜・1989)

京急1000形は結構撮ってると思ってたが、肌感覚と実際残っている写真の数に差があった。
そこででてきたこの一枚、せっかくなので載せましょう。
私がまだ車両の顔が撮れてれば気が済んでしまっていた時代だ。(リンク先以外の投稿にもなつかし写真はあるので、こちらのリストから探してね)


185系特急「踊り子」(品川・1989)

ピン甘色悪の「踊り子」。200番台使用で、まだ踊り子色に塗り替えられていない頃。
L特急のマークも「M」になっている。かつて「ントレー踊り子」で使われたときのM。


高崎線211系(上野・1989)

上野駅地下ホーム13番線に停まるの211系初期車。
顔のアイシャドウが黒ではなくシルバーであることと、ライトケースがヘッド・テール均等分割なのが初期車である証拠で、今も長野にこのタイプの顔が残っている
115系との間の構造物は旧・荷物ホーム。東北・上信越への長距離列車が発着していた名残だ。
現在は『TRAN SUITE 四季島』乗降用の13.5番線に変身している。

天王寺駅阪和線ホームとともに、直通列車増でこの広大で風情ある頭端式ホームも使いあぐねている、というのが正しい言い方か?
方向幕は白幕なのか白飛びなのか、どうにせよ酷い写りだな。(宇都宮・高崎線なつかし写真


高崎線211系(尾久—赤羽・1989)

アイシャドウが黒になった211系。
ライトケースもヘッド・テールの電球がそれぞれ窪みのセンターに入る様に、ヘッド側を広めに割る配分に変わっている。
顔がブレてるので載せていなかった。


(業平橋・1993)

東武伊勢崎線の業平橋(なりひらばし)駅。
のち東武スカイツリーラインのとうきょうスカイツリー駅となったうえ、当駅—曳舟間の完全高架化と併せ、駅自体もスカイツリー脇に移動し、この風景は完全に過去の姿となった。

なおスカイツリーが建っている場所は旧・貨物ヤードで、貨物廃止後は浅草駅に入れないラッシュ時の10両編成列車の折返し点として地平ホームが設置され、押上駅への連絡通路も兼ねていた。ま、有名な話ですな。
おそらく夕立ちあがりのライティングが気に入って1枚だけ撮ったんだろう。


京成編

残りはわが近場の京成ネタ。


京成3150形(東中山・1989)

現在京成のダイヤ上からは消えている急行列車。今の快速はこの急行から停車駅を絞ったものだ。
東中山は当時は特急停車駅でもあった。急行なのに待避線に居るのは、スカイライナーの通過待ちのため。

リアルタイムではこんな色ではなかっただろうな。当時はフジカラーのネガ「リアラ」を使っていて、赤の発色は特に強かった(これより後の時期になって、DPE店への注文時「リアラ仕上げ」という形で頼むようになったっけ)。
これがPhotoshopでも手強くて、オレンジに近づけようとすると周りもヘンな色になってしまうため、妥協の産物。
載せていなかったのは車両が1両の半分しか写ってなかったからだろうが、古い駅名標も絡めれば、見られる一枚かな。


京成3150形(京成西船—海神・1989)

JR武蔵野線をくぐって京成西船へのカーブをすすむ3150形。
赤電の中でいち早く更新工事を受けたのがこの車両。前面はおでこ左右のヘッドライト・下部左右のテールライトを窓下に移し、3600形と同じ配置にした。
貫通扉の種別表示は幕にされず、ガラス張りの内側にサボ受を作って優等列車は従来の種別板を入れていた(1枚前の写真)が「普通」板は存在しなかったため、普通列車はサボ受の赤地が見えている、更新前と同じ状態になった。

21世紀に入っても唯一種別板を使い続けたのが3500形原型車で、赤電種別板使用車消滅後に「普通」板が作られた(その世紀の境目辺りから使用の模様)。一応小さい種別幕は新造時からあったのだが。
なお3150形をリースした北総7050形では同じく「普通」サボが用意された。


京成3100形(海神—京成船橋・1989)

前の写真のあとそのまま線路沿いの道を船橋へ向けて自転車で進んでいき、デジカメを持ってから何度も行ったカーブで初めて撮影したあと辿り着いた踏切(おそらく海神2号)。すでに海神駅を越えた位置だ。
民家の軒下をかすめるようにカントのついた線路を片開きドアの18m車が駆け抜けていく、すばらしい電鉄風景。
3100形は3150形より後の更新で、ライトの移設こそなかったが、種別表示はしっかり幕が用意された。
(そのときのなつかし記事【リンクA】)


(海神—京成船橋・1989)

前の写真の踏切から東にもう一つ踏切(おそらく海神3号)があり、そこを過ぎると線路はカーブする築堤に上がっていく。JR総武線を越えるためだ。
総武線までに2ヶ所で道路が下をくぐっており、レンガの橋台が使われている。見ての通り、明らかにそれまでの道幅より狭くなっている。
写真奥(北側)は住居の左右にY字に道が分かれているが、手前もまた左右に道が分かれていて、上空から見ると京成をくぐる道路のX字(それともスパナ状?)ができているのがわかる。


(海神—京成船橋・1989)

この一枚はどの場所なのか現在位置が突き止められなかったが、前後の写真とまとまって保管してあったので、近辺と推測。
水路を跨ぐ小さい橋台だろう。△状の鉄線の柵は京成っぽさがあるが、そもそも線路の下の京成の構造物かも今はわからない。


(海神—京成船橋・1989)

こちらはX道路からもう一つ東側の道路。
同じくデジカメを手にしてからよく行った総武線の船橋カーブ脇の一方通行路の続きの道で、まだ南船橋のららぽーとがない頃、父運転のわが家の車も船橋東武への買い物でここをよく通った。現在もまったく変わらず抜け道となっている。

撮影は北側から。この道を北(写真手前)に進むと東武野田線の踏切があったが、ご存知の通り高架化されている。
幼児の頃クリーム色の電車(おそらく3000・5000系列メイン)に遭遇するのも買い物の時の楽しみであったが、徐々に高架ができていって踏切がなくなちゃったのも憶えている。

道路跨ぎのレンガ橋台2つはこの記事投稿時点でもバリバリ現役だ。水路のは場所が掴めず不明。


(海神—京成船橋・1989)

総武線を越えた京成船橋側の築堤。ネコ不法侵入中。
写真奥の踏切(おそらく海神4号)の先でカーブを曲がって総武線を乗り越す。前出の【リンクA】に出てくるカーブ写真はその踏切で撮っている。
この海神5号も含め、踏切はわざわざ築堤を階段で上っていくタイプで歩行者専用。なぜ下をくぐる形にできなかったのかとも思っている。
この築堤から東では地平に下り、京成船橋駅・大神宮下駅も地平にあった。

現在はこの辺りで築堤からコンクリート土台に変わり、その先で完全な橋状の高架線となり大神宮下駅の先まで続いている。踏切2つは廃止されている。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)