一ノ関
一ノ関は東北新幹線も停まる主要駅。電車ローカルはこの一ノ関まで。

455系(一ノ関・1988.11.3)(d)
デカ目の455系。塗装が同じ中、タイフォンカバーのバリエーション等いろいろな東海顔が存在する。

キハ58系(一ノ関・1988.11.3)(d)
盛岡色のキハ58。一ノ関では大船渡線が分岐している。この車両はその列車かもしれない。
盛岡
一ノ関からはED75が牽引する50系の客レに乗車。盛岡に達した。
せっかくの電化区間で、足の遅い機関車牽引列車が各駅停車で走っていることがとても不思議でならなかった。


ED75 152+50系(盛岡・1988.11.3)(d)
牽引機はED75 152だった。

ED75 119(盛岡・1988.11.3)(d)
こちらは留置中の単機。


50系(盛岡・1988.11.3)(d)
旧形客車置き換えで登場し「レッドトレイン」と呼ばれた50系客車。東北の幹線ではこの50系の列車が多数走っていた。
発電音がないため走行時はそれは静か。発車時に1両ずつカタカタと機関車に引っ張られる感じも面白かった。
ただ機関車は加減速が劣るため、駅に停まるたびにモタモタしている感じもあった。
ノーマルな50系客車は全国からすでに姿を消した。現在東北では701系電車がこれらに代わっている。

キハ58系(盛岡・1988.11.3)
パノラミックウィンドウのキハ58系普通列車。
盛岡は田沢湖線(=現・秋田新幹線)が分岐し、少し先の好摩駅から分かれる花輪線の列車も現れる。
田沢湖線は1982(昭和57)年に電化されていたが、あくまで特急「たざわ」のためであり、普通列車は気動車が使われた。電化時の変電所の設置について「普通列車の分は考えなくていい」との秋田県の見解が元だそうだ。
現在は普通列車には標準軌台車の701系電車が用いられている。


485系特急「たざわ」(盛岡・1988.11.3)(d)
こちらが特急「たざわ」。田沢湖線のミニ新幹線化によって廃止になった。盛岡〜秋田〜青森のルートを走った。


50系・485系特急「はつかり」(盛岡・1988.11.3)(d)
この当時、東北新幹線はこの盛岡が終点。青森への連絡特急として「はつかり」が走っていた。


50系・485系特急「はつかり」(盛岡・1988.11.3)(d)
「はつかり」は上野—青森の特急だったが、東北新幹線開業後はこの盛岡からの列車となった。
またこの年、青函トンネルの開業により一部の列車が函館まで区間を延ばしている。


50系・485系特急「はつかり」(盛岡・1988.11.3)(d)
青森方はオデコ2灯のクハ481-1500番台。後ろはノーマルライトのクハだった。
「はつかり」は東北新幹線八戸延伸時に廃止となった。
おはらいばこ
盛岡駅の西側にはたくさんの国鉄形車両が留置されていて、どれもが解体待ちをしているような感じだった。

オハフ33 2432(盛岡・1988.11.3)(d)
50系に追われたんであろう、オハフ33。

サハシ481 34(盛岡・1988.11.3)(d)
サハシ481。すでに在来線電車特急に食堂車の連結はなくなっており、この姿をナマで見られただけで感動した。
ちなみにこの当時は特急「雷鳥」にこのサハシを改造した『だんらん』という和風サロンカーが連結されていた。
「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」ではついこないだまでサハシ改造の食堂車が活躍していたことも忘れてはならない。

サハシ581 ??(盛岡・1988.11.3)(d)
仙台に続いて遭遇の581・583系のサハシ。写りが悪く車号はわからなかった。

DE10・DD13・オハフ33 2432(盛岡・1988.11.3)(d)
DE10やDD13、後ろは屋根上機器の形からED75の群れと思われる。DD13は国鉄の歴史とともに全車廃車となり、JRへは1両も引き継がれていない。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)