2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2014/06/02

14.6.1 流れ流れて沖に出る・2

鰭ヶ崎から下り列車に乗り、流山へ向かう。


流山駅と貴重なバス


5000系「若葉」(鰭ヶ崎)

乗り込んだのは「若葉」の流山方車両・パンタ付の5004号。


5000系「若葉」(鰭ヶ崎—平和台)

湘南ブラックフェイスの元・西武新101系。車内からの眺めはこんな感じ。展望車的。まぁ、最初の101系のほうがセンターピラーが狭くもっと見晴らしがよかったが。



5000系「若葉」(平和台—流山)

ノー知識で対面したこのゾーン。不思議な空間だ。


5000系「若葉』(流山)

運転台背後の車内側乗務員室扉の上部にはLED文字案内が設置されている。


5000系「若葉」(流山)

いっぽう、反対を向くと西武時代のまんまという感じ。レール方向の広告はなし。









5000系「若葉」(流山)

水色の「流馬」から始まったホームベース形の愛称表示は、シャレているものの読み取りづらい。

2番線には流鉄の中で一番入線が新しい「なの花」が休んでいた。「若葉」に後れること1年、昨年12月の就役だ。










5000系「なの花」(流山)

黄色のボディは西武そのもの。現在の流鉄の中でこの「なの花」のみ白ではなく黄緑の帯を巻いている。


5000系「あかぎ」「流馬」(流山)

奥の上屋内に2編成。「若葉」「なの花」より前から走っている「あかぎ」「流馬」だが、私は未だ走っている姿を見たことはあるものの撮れていない。


5000系「なの花」(流山)

改札を出て外から撮る。いつぞやも…


2000系「なの花」(流山・2011.5.8)(再掲)

2000系「なの花」は元西武701系だった。


5000系「若葉」(流山)

駅の馬橋方にある跨線橋から若葉を見送る。



5000系「なの花」(流山)

線路脇のトタン屋根の建物は相変わらずの姿。


5000系「あかぎ」「流馬」(流山)


(流山)

3両編成がなくなり、編成も6本から5本に減った流鉄。車庫を兼ねた流山駅も持て余し気味。

跨線橋を渡った先にはロータリーがある。上の写真のように、流山駅のホーム上屋より高い台地の位置にあたる。跨線橋を降りたすぐの所に東武バスの降車場があり、ロータリーを時計回りに進んだ道路上に始発の乗車場がある。
以前ここへ来たときに「どこかしらへバスが出ているが時刻表はとっても本数が少ない」という印象があった。
このロータリーから東へ延びる道は、TXの流山セントラルパーク駅へ続いており、そちらでもロータリーになっている。

もし乗れる時刻のバスがあれば乗ろうと時刻表を見たら、あと10分もしない12時32分発の南柏駅西口行があるじゃないか。
もちろん流山セントラルパーク駅経由なのだが、なんとこの南柏駅西口行は1日1本のみ。そして、他はすべて柏駅西口行なのだが、それも4本だけ。平日・土休日ともそれぞれ同じ本数…つまり1日5回しかバスがやって来ないのだ。
ちなみに、この土休日でいうと、12時32分を逃すと次の便は終バス18時58分だ。


(流山)

バスが降車場に到着。乗客は1人降りてきただけだった。

乗車場からは私を含め2人の乗車で流山セントラルパーク駅へ。
バス停数でいうと2つめなのだが、1つめは出発してすぐ通り過ぎた感じ。そこからパーク駅まではかなり長く、なんでもっと均等にバス停を設けないのか不思議に感じた。

流山セントラルパーク駅では数人の客が待っていて、私ともう1人のオッサンはここで降りて車内が入れ替わる形になった。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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