車両の系列別に並べていこう。
初代7000系
初代7000系は営団地下鉄日比谷線乗り入れ対応の18m・3ドア車。東急車輌がアメリカのバッド社との技術提携の上作った車両だ。
それ以前に登場した5200系・6000系がスキンステンレスカーだったのに対し、オールステンレスカーとして登場した。

初代7000系(茅場町・1989)
日比谷線を走る初代7000系。(フラッシュごめんなさい)
日比谷線は営団3000系がスキンステンレス、東武2000系が鋼製と、乗り入れる3者でそれぞれ違うタイプの車体を用いた。
同じステンレスでも丸みを感じる営団3000系に対し、初代7000系は雨樋の位置も低くアメリカらしい武骨で質素な車体。昭和中期建築の地下駅で出会うとどこか不気味な雰囲気だった。
ニューヨークの地下鉄などにも似たような車体の車両がいたようだ。




初代7000系(学芸大学・1990)
初代7000系は現在も7700系に変身して一部が生き残っているが、構造上の都合から7000系としては冷改をされないまま終始した。これは営団3000系や東武2000系も同様。


初代7000系(南千住・1991)
助士側ライトケース上に見えるフックには、東横線で優等運用に就いた際に種別板がつけられていた。急行の種別板は赤地の長方形に白抜きで「急行」の文字が入ったシンプルなものだった。

初代7000系(学芸大学・1991)
日比谷線直通運用は1991年半ばで終了したそう。この写真はそれに近い頃のもので、7035はその中でも最後の1編成として残った先頭車だそうだ。日比谷線直通撤退と同時に東横線からも撤退、以降は目蒲線で4連で活躍を続けた。
1000系
1000系は日比谷線乗り入れの初代7000系の後継として登場した。9000系をベースにした車体・VVVFインバータ制御も光るが、何と言っても利用者には冷房がついたことが大いなる進歩だった。


1000系(新丸子・1990)
日比谷線直通列車の1000系は青地の「日比谷線直通」幕がアクセント。日比谷線から東横線に来る下り列車は当然その表示は出さずに走る。


1000系(南千住・1991)
現在も日比谷線乗り入れは継続しているが、その運用数は往年よりだいぶ減ったようだ。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)