2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2018/07/21

18.7.16 さぬき鉄・6/瓦町・栗林公園北口・高松

香川2日目。
7時前に宿を出て、非鉄の目的地へ徒歩で向かう。


ついでのことでん

宿から少し歩くとことでん瓦町駅の北側の踏切に出る。


琴平線1200形(片原町—瓦町)

ちょうどやってきたのは派手な綾川町広告車。眉毛付きのようなデザイン。

この後敢えて志度線の踏切を通るルートを選んだが、列車が来ないタイミングだったので諦める。 
非鉄の用事を済ませたあと次の非鉄の目的地へまた歩くと、なんとこの朝も1070形に遭遇。


琴平線1070形(瓦町—花園)

場所は長尾線の留置線。きのう車内から長尾線1300形を撮った場所だ。
停まっているのはなんだかボロっとしてしまっている1073F。


琴平線1070形(瓦町—花園)

アンテナぴょいっ。


琴平線1070形(瓦町—花園)

ちょうど2つの踏切のあいだで、2両しか留置できないスペースだ。


琴平線1070形(瓦町—花園)

屋根肩にも錆汁。まるで休車中のようだ。
この編成はきのう仏生山で寝ているのを撮ったので、営業運転に就いたあとなんだろう。



琴平線1070形(瓦町—花園)

転落防止ゴムと、JR西日本チックな優先座席の表示。



琴平線1070形(瓦町—花園)

引いたり、近づいたり。



琴平線1070形(瓦町—花園)

違和感を感じた。よく見ると、サボ受がこの1074は完全無塗装なのだ。
1073は天地の辺および左右の辺の内側が車体色に塗られている。
1074のサボ受は助士側に傾いているようにも見えるな。

ひととおり撮ったので、この場を離れる。


鳥居はくぐるな

2軒めの非鉄の用事を済ませ、やって来たのはJR高徳線の栗林公園北口(りつりんこうえんきたぐち)駅。
高徳線で隣の栗林駅や、ことでん琴平線の栗林公園駅よりも栗林公園そのものに近いらしい。
高松といえば栗林公園というぐらい有名な公園であるが、私は入ったことはないので何があるのかは知らない。



(栗林公園北口)

高架線に駅名標があり、真下に鳥居。
でも鳥居をくぐった先はその神社・稲荷大明神へ続く道になるだけで、駅へは金網ゲートの右側に延びる通路を進む。
高架下に券売機があり、善通寺までのきっぷを購入。ICカード端末は見当たらず、きっと使えないのだと判断した。
一応予讃線のある程度の範囲では使えるのは予習してきたが、高徳線は入ってなかったような気がした。


(栗林公園北口)

階段でホームへ。階段寄りにちょこっと屋根があるだけで、あとは日差しギンギンのホームが奥まで続く。
当駅は国鉄末期の1986(昭和61)年11月1日の開業で、隣の栗林駅も含めてすでに高架化されていた区間に設置されたものだ。
同日高徳線上には木太町(きたちょう)駅、古高松南(ふるたかまつみなみ)駅、讃岐牟礼(さぬきむれ)駅も開業している。
これは、高松駅から志度駅までの5つの駅のそれぞれの駅間に1つずつ駅を増やした格好で、都市間連絡だけでなく近郊輸送にも視野を拡げた策なのであろう。
分割民営化を控えた翌1987(昭和62)年3月23日には当駅と高松駅の間に昭和町駅も開業した。同駅はたった9日間でJR四国の駅に変わったことになる。


(栗林公園北口)

普通列車のみが停まる当駅は、1時間に1・2本程度、というところ。
青い時刻表の脇にある緑の小さい時刻表は通過列車のもの。撮り鉄にはありがたい。


(栗林公園北口)

上の写真の右につづくスペースには、7月豪雨を受けての運転状況の説明書きがある。
予讃線の本山—観音寺間は鉄橋が歪んでしまっていて通れずバス代行となっている旨が写真付きで案内されている。



(栗林公園北口)

アジサイが咲くホーム裏には、どこへ続くのやら楽しそうな道がある。



高徳線1500形(栗林公園北口)

カーブの単線高架を颯爽と進んで来たのは洗練された顔の1500形。
ホームレベルから階段を下りた位置に、線路レベルでガッチリ撮れる場所がある。


高徳線1500形(栗林公園北口)

後ろは洗練される前の1500形だった。


高徳線1500形

その洗練される前の1515に乗車。記念すべき私のJR四国初乗車だ。
1次車登場時の鉄道雑誌で見た時に感じた「古くさい内装」の車両。
1次車は2006(平成18)年製なのだが、外目と裏腹に内装はデコラや窓周りの処理がなんとなく年増なのだ。


高松駅



高徳線1500形(高松)

高松駅に到着。
1500形の側面窓割りはとっても大雑把に見える。なお1515は2008(平成20)年製の2次車だ。


高徳線1500形(高松)

こちら1566は2013(平成25)年に2両だけ登場した7次車で、1500形の中でも突出して前面スタイルが違う。
車内はクロス・ロングの千鳥配置に改められている。
続く8次車は3〜6次車の外観(2次車のスカートの色が緑になったスタイル)に戻っており、1500形34両中2両だけのこの顔に会えたのは運がよかったのかもしれない。

8:57発の普通琴平行に乗るので、それまでの間は当駅で撮れる車両を撮っていく。
なお、ピンクの113系が遠いホームから出て行くのが見えたが、さすがに撮れなかった。これは悔しい。


予讃線7000系(高松)

「観音寺」(かんおんじ)を掲出した7000系。
前述の通り、観音寺までこの車両は行けないので、手前の本山駅から代行バスにのりかえが生じる。
手前が両運転台制御電動車の7000形、奥が片運転台制御車の7100形。これが7000系の全形式である。
地方私鉄のように、単車にクハを増結するスタンスだ。


223系+5000系快速「マリンライナー」(高松)

2階建て車両が高松方先頭に付く快速「マリンライナー」。
現在はJR西日本の223系5000番台2連と2階建車を含むJR四国の5000系3連の併結が基本のスタイル。
JR東日本E217系のサロをベースに設計された2階建ての5100形は2階がグリーン席、1階が指定席となっている。
6両ある5100形のうち、写真の5103を含む前半3両に青系、後半3両に赤系のラインが2階建て部にあしらわれている。


223系+5000系快速「マリンライナー」(高松)

快速「マリンライナー」は瀬戸大橋を渡り岡山と高松を結ぶ速達列車。
寝台特急「サンライズ瀬戸」以外に同区間を結ぶ特急はなく、このマリンライナーが最速直通列車となる。
パノラマグリーン車を含むJR西日本の213系で運行が始まったのが瀬戸大橋開通のときで、それから30周年を示すHMが付けられている。


223系+5000系快速「マリンライナー」(高松)

さくらももこっぽい桃太郎のイラストが付いている。



223系+5000系快速「マリンライナー」(高松)

岡山方2連はJR西日本の223系5000番台。自由席車のみだ。



223系+5000系快速「マリンライナー」(高松)

左がJR四国5000系、右がJR西日本223系5000番台。
JRマークの色が違うが、両形式は同じタイミングで製造された基本的に同じ車両。
スカートをはじめ、細かいところと見ていくと多少の違いはあるようだ。


223系+5000系快速「マリンライナー」(高松)

こちらはJR四国5000系の自由席車。
223系5000番台共々、どうせマリンライナー中心の運用になるんだから、京阪神でいくらでも見る223系標準色ではなく独自のカラーリングにしてほしかった。
その点、国鉄時代に登場した先代の213系は海を意識した紺と水色の帯とされた。それは奇しくもJR西日本とJR四国のコーポレートカラーであった。…狙ってたのかもしれないが。
※後年追記:213系同様国鉄末期に造られた東海地区用211系0番代(4連2本のみ)は紺に白線を挿したカラー帯だったが、これはJR東海のコーポレートカラーが紺になるという予想があったためと言われているそうだ。新幹線の色ということかもね。



2000系特急「しまんと」(高松)

8番線に特急「しまんと5号」が入線。高松方は宍戸錠的な顔のN2000系。



2000系特急「しまんと」(高松)

反対側はただの2000系。たった2両なのに見た目が合わない。


2000系特急「しまんと」(高松)

「しまんと」は高松—高知間の特急で、1号のみ高松→高知→中村の運転。
高知から中村まででそれまでと同じ程度の時間がかかるようだ。


2000系特急「しまんと」(高松)

左の2153のドア窓が小さいのがカッコ悪く感じるが、これは製造当初からのものでなく、2007(平成19)年頃から交換されたものなんだそうだ。
もとは右の2428ほどではないが天地のあるものだった。



2000系特急「しまんと」(高松)

そういえば、昨年3月に琴平駅近くで撮った「しまんと」も同じような編成だった。



2000系特急「うずしお」(高松)

特急「うずしお4号」が徳島から到着。
すべてN2000系で揃った編成…ん? この2424は顔がNじゃないぞ。
調べてみたら、何とこの2424と後ろの2458はN2000系の量産先行車で、登場時はノーマル2000系のドアを赤くした奇っ怪な出で立ちで登場した車両であった。
のち量産車が宍戸錠化してカラーリングも改めた形で登場し、この先行車2両もカラーリングのみ合わせる形となった。
1500形7次車同様このスタイルはこの2両だけ。またも運のいい出会いだった。



2000系特急「うずしお」(高松)

5両編成で来たが、中間車を挟んだ宍戸錠たちはおうちに帰るようだ。



2000系特急「うずしお」(高松)

先頭車となっておめめキラ〜ンの2458。2連の「うずしお5号」で徳島へ向かう。
しかし、窓周りのカラーフィルムはボロボロだったり。



高徳線1500形(高松)

1500形が引田行になった。朝日のせいで方向幕の中がクッキリ写らない。
この顔もN2000系同様、従前の同型よりも宍戸錠化しているといえよう。


高徳線1500形(高松)

あぁ、この列車も折返しは半分になるのか。


高徳線1500形(高松)

1515は車庫入りとなる。


高徳線1500形(高松)

1566はワンマン運転の引田行に。
引田行は多数の設定があり、その3つ先の板野駅からは徳島駅との区間列車が多数設定されている。
その狭間にある讃岐相生・阿波大宮の2駅は1日9往復の普通列車しか来ない。
駅名の通りそこが香川と徳島の県境で阿波大宮駅は人家もまばらな場所のようだが、讃岐相生駅付近には住宅が建ち並んでいる。
同駅は引田駅から3kmと近く、付近の住民は普通に引田駅まで出て高徳線を使っているようだ。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

1 件のコメント:

風旅記 さんのコメント...

こんにちは。
経営が厳しいと言われてきた3島会社の中でも、北海道と四国は、外から見ていますと置かれた状況の違いを強く感じさせます。
お写真にありますように、四国では特急列車も2両編成といった最小限であることが珍しくありません。高速道路が縦横に通りまだ延伸されている中、鉄道を利用する乗客が減っているのがそのまま形になっているようで、寂しく映ります。
比べると北海道は鉄道の需要はまだ多いのではないでしょうか。より長い編成で頻発させるだけの乗客があるように見えます。距離の長さや冬の自動車に対する不安がそうさせているのでしょうか。しかしそのまま運営コストの高さにつながり儲けどころか赤字になっている、これも容易には抜け出せない構造的な問題です。
JR四国の地方私鉄を見ているかのような短い編成、国鉄然とした車両はもはや走っておらず、今の四国にはライトな鉄道が求められているように見えます。
いっそのことその道を突き進んで、四国の暮らしに役立つ鉄道の姿を見出していって欲しいものです。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com

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