2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2015/10/31

15.10.19 ポッポの丘・1

いすみ鉄道の沿線撮りをしたあとに向かったのは『ポッポの丘』。
御宿の養鶏業者が開設したもので、県内外で活躍した鉄道車両が並ぶ夢のような場所だ。

国道465号、い鉄上総中川駅近くの信号のある交差点から北へ進むと、西のほうの台地にカラフルな鉄道車両が並ぶ姿が見える。



田園地帯を抜けて台地沿いの道を少し進むとそこが入口。
日が傾き始め逆光の先に見える中型車両の姿は、まさに夢の中のぼやけた風景に感じた。

入場は無料。敷地のど真ん中にある駐車場に車を停め、早速保存車両を観察。
車両は敷地を囲むように並んでいるので、万葉線デ7000形から時計回りに見ていこう。


デ7052 万葉線デ7000形





万葉線で使われた路面電車。塗色は前身の加越能鉄道時代のままになっている。
設計は加越能鉄道が直通運転を行っていた富山地鉄射水線に所属したデ7000形に基づいていて、側面の写真でいうと中央から右側の窓配置がヘンテコになっている。
細長い窓の左隣の窓の位置に地鉄デ7000形では扉があり、細長い窓は本来車掌用の監視窓として設けられた。つまり、この車両は地鉄デ7000形からのプラモデルの切り接ぎ的な「窓とドアの位置交換」の設計で作られているのだ。
地鉄との重複を避けるため、こちらは7000形ながら7051からの付番となっている。
この車両はポッポの丘の母体である養鶏場で獲れた卵の販売コーナーとなっている。


いすみ204 いすみ鉄道いすみ200型





いすみ鉄道創業時の車両。
登場時はクロスシートで「いすみ100型」を名乗っていたが、のちに全車ロングシート化改造され「いすみ200型」に変更された。
さらには床の張り替えで「いすみ200'型」と変わったのだが、その時期がよくわからない。この記事では施設の説明看板に沿って「いすみ200型」としよう。
204号は7両のいすみ200型の中で最初に廃車になった車両。2010(平成22)年のキハ52導入がきっかけだったが、その前から長きに渡り戦力外になっていたようだ。
いすみ200'型として206のみい鉄内で現役となっているが、204以外の5両に関してはミャンマー国鉄で日本の各社のレールバスとともに現役続行中。


モハ3752 北陸鉄道モハ3750形









北陸鉄道加南線(路線群の総称)のクロスシート車・モハ5000形として登場した車両。
加南線は加賀温泉郷にあり、国鉄北陸本線から加賀温泉の各地へ向かう観光客が利用する路線群だった。張り上げ屋根車体の優雅な外観で加南線の代表的な車両となった。
後継車両の投入で石川総線へ移り、ロングシート化。さらに機器の変更でモハ3750形に形式変更された。
その後看板にもある車体更新工事では骨組みを残して外板をすべて張り替え、ノーシル・ノーヘッダーとなり、窓もユニットタイプに変更となった。


デハ702 銚子電鉄デハ700形











もとは近江鉄道の電動貨車デユワ101形の主要機器を利用しつつほぼ全とっかえの新製に近い形で2両が登場したモハ51形。のち2両とも銚電へ移籍した。
当初は非貫通3枚窓正面の両運転台車だったが、のちに編成運転が基本となったため片運転台化され、残された運転台側も非貫通2枚窓に変更された。
銚電への移籍時は西武所沢工場で改造を受けて再び両運転台に戻され、復活した運転台は非貫通3枚窓となった。登場時の3枚窓は中央のみ狭かったが、再設置の際は逆に中央の窓のみ広くなっている。
近江鉄道からの西武赤電色は存置、銚電標準色の変更にともない赤黒になったあと、晩年は702のみ1960年代の銚電塗装の青系に変更され、現在もその姿を保っている。


トロッコ 行川組




トロッコ。これについてはよくわからない。デハ702の手前に保護色で溶け込むように置かれている。


デハ701 銚子電鉄デハ700形













平成の銚電標準色で展示されているのがデハ701。足回りが見えない展示位置がなんともかんとも。
塗色のほか、テールライトが埋込式になっていたり、ドア窓の天地が狭かったりと、702との車体の差異も見られる。
テールライトに関しては笠上黒生駅での衝突事故の影響で、ガイコツテールから改修されたとのこと。702のそのガイコツテールは立ち入り禁止看板によって隠れてしまっているのが残念。
日よけの鎧戸はかなりボロボロになっているところも見える。


キハ38 1 JR久留里線キハ38形







キハ38形はキハ35系の機器を流用した改造名義で誕生した車両。八高線のサービス改善と当時の国鉄工場の技術向上の素材を兼ねて、0番台4両・トイレなし1000番台3両が造られた。
デザイン面以外のキハ35系からの変化としては、冷房が付いたこと。また、ステップ付3ドアでは強度が不足するとされ外吊り式だった扉も戸袋式に改まった。
国鉄のロングシート気動車としてはバケットシート、冷房などが初めて採用された形式でもある。
八高線では南線の電化まで使用されたあと、久留里線に移籍した。塗色は八高線時代、久留里線移籍時、写真のものと3パターンを経ている。
久留里線ではキハ30・キハ37形とともにJRで他路線には一切残っていない車両ばかりで活躍し、おととしキハE130形100番台に一斉に置き換えられ廃車となった。
5両がミャンマー国鉄に移籍し冷房車として重宝されているほか、水島臨海鉄道に1003が移籍し、同じく久留里線から移ったキハ37となぜか国鉄一般色風に塗られて編成を組んでいる。1両が国内現役、1両がポッポの丘、5両がミャンマーというのはいすみ200'型とまったく同一である。


キハ38+キハ37(横田—東横田・2010.2.14)(再掲)

現役時代のキハ38 1。渡り板に車号が書いてあるが、塗装が剥げて読みづらかったのがこの1だった。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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