2015/03/14

06.10.19-20 山口旅行(ガラケー)

出しそびれていた写真はまだまだある。
今回はデジカメを持っていない時代に山口・福岡へ一人旅行をしたときの写真。すべてDoCoMo(当時の表記)のガラケーでの撮影。


10月19日

2006(平成18)年10月、秋芳洞とブルートレイン乗車をメインとした2泊3日の旅行にでかけた(2日目の泊はブルトレ)。
当時働いていた業界はとにかく仕事の波の満ち引きが極端だった。
この年は夏と言える時期に夏休みを取れず、秋になってから夏休みをとるという、『ニュースステーション』の久米宏のような状態だった。

この日羽田空港から、当時まだ就航開始から半年というスターフライヤーの飛行機で新・北九州空港へ飛んだ。
機材は黒い塗装。室内も黒革のシートなど異彩を放っており、一度乗ってみたかった。
本かテレビかで観た秋芳洞に妙に気を惹かれていたこの頃、帰りのブルトレと合わせ、移動手段まで楽しいものをチョイスした、我ながらいいプランだったのだ。


415系(城野・2006.10.19)(mb)

北九州空港から路線バスに乗車(飛行機が遅れて出発ギリギリ間に合った)、朽網(くさみ)駅から日豊本線の小倉行に乗る。
乗ったのは415系のロングシート車だった。特急通過待ちの城野(じょうの)でしばし停車の間に撮影。



100系(新山口・2006.10.19)(mb

小倉で山陽新幹線の「こだま」にのりかえ、新山口へ移動。100系の4連(P編成)だった。
さすが山陽新幹線、トンネルが多かったな。

新山口で山口線にのりかえ。発車まで時間があるので駅にいる列車を撮影。



105系(新山口・2006.10.19)(mb

宇部線の105系。3ドアの新製車だ。体質改善30N工事を受け、側窓が原型から変わっている。


115系(新山口・2006.10.19)(mb

下り下関行。2ドア・転換クロスシートの3000番台クハで3ドアモハユニットを挟んだ編成。3000番台は117系より後の登場。
また、117系そのものから115系に編入された3500番台もモハユニットのみ存在する。


115系(新山口・2006.10.19)(mb

こちらは上り列車。


キハ40快速「やまぐちライナー」(新山口・2006.10.19)(mb

乗車を予定していた快速「やまぐちライナー」。まさか単行とは思わず、見えていたこの車両がそれだとは思いもしなかった。
ボックスシートにはありつけず、ロングシートに座った。新山口を出ると終点一つ前の湯田温泉だけに停まり、山口に至る。


キハ40(山口・2006.10.19)(mb

山口駅を出て山口市街を散策。瑠璃光寺などを気ままに観て回り、山口駅へ戻ってきた。
この列車は益田方面の列車だったと思う。


キハ40系(山口・2006.10.19)(mb

宿を取ってある湯田温泉駅までひと駅だけ乗ったのがこっちの列車。
宿は温泉大浴場のあるビジネスホテル。夕メシはガストだ。一人気ままで楽しい。


10月20日

バスで秋芳洞へ出て、鍾乳洞をたっぷり楽しむ。
楽しみすぎて、一緒に観ていく予定だった秋吉台は15分ほどで去ることに。再びバスに乗り新山口駅へ出た。
新山口から新下関までまた100系「こだま」のお世話になり、新下関で山陽本線にのりかえ。
新幹線訓練施設には0系訓練車が遠くでヘッドライトを点灯して停まっていたが、ケイタイカメラでは撮影不可能だった。



キハ40系・117系(下関・2006.10.20)(mb

乗ったのは117系。平日の夕方で、帰りの学生で混んでいた。これまたロングシートのお世話になった。
私が117系に乗ったのはこのときが初めてである。
隣はおそらく山陰線の列車であるキハ40系。その向こうにはJR九州の415系1500番台も見える。
デッドセクションの関係でいま関門トンネルを通るのはJR九州の415系だけとなっているが、今後老朽置き換え時期が来た時はどうするんだろうか?…と一瞬考えたが、今の時代はハイブリッド車があるから、交流と蓄電池のタイプを造れば事足りるのかもしれない。

下関駅からは歩きで唐戸桟橋まで出た(結構距離あり)。関門連絡船で門司港へ渡り、周辺を散策したあと門司港駅に入った。


415系(門司港・2006.10.20)(mb

風情ある終端駅・門司港駅。駅の規模とは裏腹に、ホームは閑散としている。



813系(門司港・2006.10.20)(mb

九州ならではの系列・813系。バリバリの水戸岡デザイン。



813系(門司港・2006.10.20)(mb

座席モケットもなかなかの柄。門司までこの列車のお世話になった。


817系(門司港・2006.10.20)(mb

こちらは留置の817系。国鉄時代は「正面には黄5号の警戒色が入る」なんて路線があったが、今や真っ黒でもOKな時代になったのだ。

門司からはブルトレ「富士」・「はやぶさ」に乗って帰京したのは、こちらの記事のとおり。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。