2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2015/09/30

15.9.22 グリーン車の一日・3

踏切から線路沿いの道を進み、仲ノ町の車庫を覗く。


仲ノ町

仲ノ町(なかのちょう)駅は銚子駅から営業キロが0.5キロとほど近いところにある。
小さく古い駅舎と並んで銚電本社が設置され、車庫も併設されている。まずは線路際から車庫の留置車両を撮影。





デハ1000形(仲ノ町)

デハ1000形は2両が在籍。ご覧のように、車体は元営団地下鉄銀座線の2000形のものを使用している。
デハ1001が銀座線風、デハ1002が丸ノ内線方南町支線風の復刻塗装となっている。
元々は日立電鉄に行く予定だったが、日立電鉄での必要数が計画変更で減り、あぶれた2両を銚電が引き取った。結果、廃線になった日立電鉄の仲間より長生きしている。
移籍当時は赤・黒のツートンの当時の銚電標準色であったが、タイアップも含めた幾度かの塗装変更を経て現在に至っている。




デハ1000形(仲ノ町)

銀座線風がデハ1001、丸ノ内支線風がデハ1002で、それぞれ非パンタ側の正面車号は種車の営団時代の番号になっている。
片運転台だった営団2000形だが、パンタ側は別の2000形から持ってきた顔を切り接ぎしている。復刻のための営団時代の車号はもともと持っていた顔に描いてあるということだ。




駅に入り、車庫見学希望を伝えて150円の入場券を購入。
この「デキの硬券」と、もう一つのスタイルのやつが選べるとのことだったが、こちらを選択。




2000形・デハ1000形(仲ノ町)

ホームから西武赤電風の車両を撮る。この日運用に就いているグリーン車と同じ2000形で、今年この塗装に変わった。
銚電のつりかけ車両群が赤黒のハレーション全開塗装に変わったのは1990年代。それ以前はこの西武赤電にそっくりなツートンが標準色として用いられていたのだ。
湘南顔のデハ2000形には、その名前の元となった国鉄80系と同じライン取りの塗り分けがされている。実際赤電塗装が用いられていた時代に湘南顔の車両はなく、銚電では初登場の塗り分けラインだ。



デハ1000形(仲ノ町)

01系がない幼少の頃から銀座線に幾度となく乗った私には、パンタの載った姿はやはりヘンな感じ。
パンタグラフや電装機器は営団日比谷線3000系から、狭軌台車は富士急5700形(元小田急2200形)から持ってきている。
つまるところ、片運転台→両運転台、第三軌条集電→架線集電、標準軌台車→狭軌台車と種車から大きく変わっている。





2000形・デハ1000形・デキ3・元伊予鉄700系(仲ノ町)

2つの車両の間からは、銚電のヌシであるデキ3や、今回私が銚子へ来るきっかけとなった元伊予鉄の車両が見える。
元伊予鉄については外川の側線でじっくり撮れると思っていたが、すでにここに移っていたわけだ。


車庫見学

車庫への構内踏切から2002Fを撮る。この2000形とデハ1000形が縦列に並ぶ線路は車庫というより駅の側線であり、上下列車行き違いに使うことが可能。ただしホームは駅舎側にしかないので、当駅で客扱いをする営業列車同士の交換はできない。



2000形

ミニカー屋のHMが付いている。こちら側の塗り分けはただただ一直線と無難。西武2000系が赤電塗装にするとこんな感じになるんだろうな。
私は小2のときにこの銚電の「花電車」を見たり乗ったりするため家族で訪れたことがある。銚子の街までは家から車で向かった。
銚電訪問はそれ以来二度目となるが、当時の車両はすべてこの西武赤電風塗装だった。
花電車については、ネットで「銚子電鉄 花電車」検索すると当時の写真等も出てくる。


2000形

よく見ると連結器がなくなっている。以前の姿をネットで探すと、デハ2002と同じ指相撲スタイルの自動連結器が付いていたようだ。
2001Fとともに、車号表記は最近新しく加わった様子。





連結器やら台車やらがゴロゴロしている。密着連結器の右にあるのがクハ2502に付いていたやつだろうか?




元伊予鉄700系

この元伊予鉄700系は、クハ2500形とは違いホントの元京王5000系。裾絞りの優雅なスタイルでわかる。
とりあえず伊予鉄の姿のままでいるところを撮りたかったので、銚子詣での第一の目的は達成された。







元伊予鉄700系

まだまだ銚電編入の整備は始まったばかり。車内には伊予鉄時代の広告ステッカーがそのまま残っている。銚電デビューは来年の見込み。





デキ3・元伊予鉄700系

デキ3は1922(大正11)年のドイツ製機関車。1941(昭和16)年に銚電へやって来て醤油工場への貨物列車牽引が主な任務だったが、貨物廃止により働きどころを失った。
現在も車籍はあり、自走できるよう有志の手で整備が続けられているが、検査期限切れのため本線走行はできないんだそうだ。






デハ1000形

丸ノ内線方南町支線カラーのデハ1002は今年1月のさよなら運転を以て現役を退いた。


営団2000形(方南町・1993.3.7)(再掲)

こちらが丸ノ内線方南町支線での2000形。本来銀座線用の2000形だが、一部は丸ノ内線の方南町支線専用の3連となり、本当にこんな塗装で走っていたのだ。車両は惜しくも1番違いの2039号。






デハ1000形

デハ1001に幽霊が乗っていたのに気づいたのは、このアングルで撮ったときが初めてだった。
後で調べたら、休日夜にイベント列車としてこの日も含め走っているようだ。
実際このアングルのときは起動していて、パンタも上がっている。幽霊のアップの写真では、運転台に社員さんがいて操作しているのがわかる。







2000形(仲ノ町)

2001Fが戻ってきたので車庫から撮影。

私の後ろにいた小学生が2001F停車後に本線に近づきすぎたため、1001形から降りていた社員さんに「見学範囲外ですよ〜」と注意された。
実は、先客さんが数組この1000形2両の前まで出てきているのを見て私も来ていたが、その社員さんが何も言わないのでてっきり問題ないものだと思っていた。本線に近づかない間は黙認されていたようだ。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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