2009/10/02

88.4.3 クモハ40と田町電車区公開

旧国の写真第三弾はJR東日本のクモハ40。
JR移行後、国府津電車区で職員輸送用・牽引用として使われていたクモハ40の2両が、動態保存車としてイベント用に使用されることになった。

車両はクモハ40504とクモハ40074。その2両が「重連」で品川駅に登場した1988年4月3日の写真を、田町電車区公開の写真とともにアップ。
中2の始業前。まだ撮影経験が少なく、画を考えて撮ってない写真が多い。




クモハ40054(品川)(d)

クモハ40054は平妻の車両。小さい円盤はJR東日本1周年記念の東北・上越新幹線をモチーフにしたヘッドマークだ。
現役としては「下河原線」の国分寺〜東京競馬場前間で働いたのが最後で、路線廃止によって国府津の事業用車になった。
現在この車両は青梅鉄道公園で公開されている。屋外展示で上屋がつけられているものの、横からの雨風は完全には避けられない感じだ。



クモハ40074(品川)

クモハ40074は丸妻の車両。国鉄の終焉と共に除籍されたが、写真の2週間前に車籍復帰した。
丸妻の美しさからか、こちらは054とは違って見事大宮の鉄道博物館に入った。





クモハ40054(左)・074(品川)(「東コツ」以外はd)

平妻と丸妻の違いがよくわかる連結面。横のおじさんは立ちはだかってどいてくれなかった。声での要求はしていないが。


同日、田町電車区が公開されていたのでそちらも訪れた。


167系・211系(田町電車区)(d)

留置線には3本の電車が並べられていた。懐かしいヘッドマークをつけるのはこういう企画の常だが、素の状態も撮れるといいなぁ。
社員の隠し味で、運用番号が年月日(昭和)になっているのが面白い。


167系(田町電車区)(d)

167系は修学旅行用として登場した車両で、竣工当時はオレンジと黄色の修学旅行色だった。のち修学旅行が新幹線主体に移行すると、湘南色となって一般の列車や団体用などに用いられた。
この当時は東海道線の臨時快速列車として使用されたりもしていた。まだアクティーが設定されていないころで、停車駅は急行「東海」に準じたもの。伊東線直通で、後年「伊豆マリン号」の名前とヘッドマークがついた。


211系(田町電車区)(d)

211系は国鉄時代の1985(昭和60)年に登場し、東海道線に投入された。
写真は初期の車両で、正面窓上部が黒ではなくベージュになっている。また、ライトのケーシングはヘッド/テールがほぼ均等になっているが、これも後出の増備車のほとんどがヘッドライト分を広くとったものに変わっている。
初期形の均等分割ライトケースをよーく見るとヘッドライトは「自身の部屋」の中心ではなく、外に寄っていることがわかる。のちの車両のテール分が狭いケースは、電球の位置は初期形と変わってないのかもしれない。


185系(田町電車区)(d)

185系は1981(昭和56)年に登場。東海道線の183系特急「あまぎ」と153系急行「伊豆」を統合し特急「踊り子」として運用するために投入された。
斜めストライプ3本という国鉄としては革命的なカラーリングで登場したが、顔は近郊形117系譲り、一段下降窓、リクライニングしない転換クロスシート、広幅で1両に片側2カ所の乗降ドアなど、特急用としては格の低いスタイルで、普通列車にも使える前提となっていた。
185系は「踊り子」デビュー前に急行「伊豆」で使用されたが、正式な特急「あまぎ」として使われた実績があるかどうかはわからない。ネットで探すと、「『あまぎ』表示で『踊り子』として走っている写真」があったが、詳細不明。ただ、緑の「あまぎ」マークは185系によく似合う。

この「あまぎ」表示の車両は東北・高崎・上越線用向けの寒冷地用200番台で、田町に転属し踊り子色になっている。


185系(田町電車区)

上屋内で整備中の185系。こちらは「急行 伊豆」を表示している。こちらは元々東海道線用の0番台。ヘッドマーク下のルーバーが開放されているのが0番台で、フタをしてあるのが200番台だ。


185系(田町電車区)

「シュプール上越」表示ながら0番台。スキー臨のこの列車に0番台が使われることはないだろうな。この車両も運行番号が年月日になっている。
0番台は10連と5連、200番台は7連と編成が異なる。5連は伊豆箱根鉄道駿豆線直通の修善寺行運用で重宝される。



167系(田町電車区)(d)

こちらは準急幕を出した167系。トップナンバーだった。


クモヤ143(田町電車区)

クモヤ143はATC搭載牽引車として新製された車両。今でもこの手の車両を新製する必要があったのかと疑問だが、独特のカラーリングとスタイルは好きだ。




クロ157-1(田町電車区)(d)

何も知らずに入った基地公開で一番驚いたのはこの車両。クロ157だ。
157系に合わせた仕様で1960(昭和35)年に登場した貴賓車で、お召し列車に使われた。唯1両の存在で、4枚折戸や側面中央窓のパワーウィンドウなど何もかもが異端。
157系や153系との併結により走れるようになっていたが、のちペアを組む車両は183系、185系と変化。157系一般車と同じ塗色の変遷(特急色風→赤が濃くなり正式な特急色に)を経て、185系に合わせた塗色に改められている。
未だ車籍はあるものの1993(平成5)年を最後に使われないままだそう。E655系の登場でさらに幻の車両になった。
近郊・急行形フェイスで現存の低運転台車はこの車両のみ(写真当時も)。


以上、やはり撮影経験が少ないころで枚数が少なく、もっと撮ればよかったのにと思うばかりだ。
次回は同じ頃の品川駅でのジョイフルトレインや人気機関車たちの写真を。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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