当ブログで言うところの「なつかし写真」については当然新たに撮ることはできない。ティーンエイジャーの頃に撮った紙焼き写真をスキャンして、大概アップしたと思っていたのだが、まだ載せてなかったのがあった。
世田谷線
東急世田谷線は、三軒茶屋と下高井戸を結ぶ軌道線。東急の路線の中で唯一の軌道線かつ軌間1372mmという独特の存在だ。
元は渋谷—二子玉川園(現・二子玉川)を結ぶ玉川線から分かれる支線「下高井戸線」であったが、国道246号の併用軌道を走る玉川線が地下鉄化へ向けて廃止となったため単独で残り、路線名が「世田谷線」に改められた。
世田谷線自体は全線専用軌道であり、沿線の幹線道路整備も進んでいなかったことが残された理由のようだ。
現在田園都市線に取り込まれている渋谷—二子玉川園間が当初「新玉川線」とされたのは上記の経緯によるものだ。
今回の写真は高2の春に京王の撮影ついでで撮ったもので、たった2枚がすべてである。
デハ70形(下高井戸・1991.4.23)
デハ70形は戦時中の1942(昭和17)年から製造された車両だが、1983(昭和58)年までに写真の車体に更新された。原型の面影はないようだ。
この写真の状態が最終形ではなく、このあと目蒲・池上線から引退した初代3000系列の発生品のシールドビームヘッドライトを窓下左右に設置し、おでこのライトは撤去。顔の印象が変わった。
さらに台車を新製してカルダン駆動化も行われたが、非冷房のまま2000(平成12)年のうちに引退。使用の浅い台車は現在の300系に流用されている。
デハ150形(下高井戸・1991.4.23)
デハ150形は1964(昭和39)年から製造された車両。
10年前に登場したカルダン駆動・モノコック構造車体のデハ200形は見た目は注目を浴びたものの、操作面や整備面で不便が多く、車両増備の際に旧来のスタイルに戻して造られたのがデハ150形だ。
駆動装置こそつりかけであるが、車体は7000系に続くバッド社の技法を用いている。ただしステンレスではなく高抗張力鋼製。側面窓下のコルゲートも製造時は鋼製であったが、更新により本物のステンレス製に替わった。そこだけ無塗装のため独特の雰囲気を持っている。
正面窓下のステンレスの線はアクセントの飾りであり、後年登場の国鉄103系高運転台車のそれに通ずるものがある。
ライト周りは7000系にそっくり。屋根上のベンチレーターも例に漏れず、7000系のほか京王3000系・南海6000・6100系などと同形のバッド社系御用達の物が用いられている。
こちらも写真の状態のあと初代3000系列の発生品でシールドビーム化されたが、ケース自体のスタイルは変わらなかった。また正面助士側の窓が開閉2段窓化され、窓周りで印象が変わった。
デハ150形は2001(平成13)年の車両の300系統一まで使われたが、デハ70形と違い終生つりかけ駆動のままであった。
現在カラフルなステンレス製VVVF車・300系の天下であるが、私が実際に乗ったのは写真の東急グリーンの車両のみの時代に数回程度。幼少で親に連れられた状態がほとんどだったと思う。
最後に乗ったときは一人で、たぶん撮影をしていない20代の時期だったと思う。均一料金のため、乗車口で直接小銭を払って乗った記憶が鮮明に残っている。
いまは利用する用事もなく縁がないが、そのうち乗ったり撮ったりしようかね。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)