前回記事の最初の小見出しの後に書いたが、メトロ東西線の深川検車区行徳分室にまた新たに03系がやってきた。
これまでは電動機のない先頭車ばかりだったが、今回来たのは中間電動車を2両含んだ4両だという。
今回は自転車での散歩ついでに観察。
増殖
自宅からママチャリで妙典橋へ。
妙典橋は右岸(川の上流から下流を向いたときの左右で表現)へ向かって上り坂が続く構造で、私の使う「ご近所さんからのもらいもの」のボロチャリではなかなか辛い。変速付なのだが、全体的にペダルが重いのだ。
天気は、大きな川の上で風を浴びるにはちょうどいいところ。
03系(深川検車区行徳分室)
まず目に付いたのは橋の下流側の「大奥」の3組の03系先頭車。新顔到着で押し出されたようだ。
なおこの写真は上流側にのみある橋の歩道から撮っている。できれば見切れている欄干の位置から撮りたいが、車道上に出ることは非常に危険なので自粛。
05系ほか(深川検車区行徳分室)
本日は2番線に05系28Fが留まっており、土手からの03系観察は不可。
28Fはドアの開閉確認を行っており、ドアが開く瞬間の写真。周囲に車外スピーカーの自動放送が響き渡っていた。
03系(深川検車区行徳分室)
05系の間に潜り込む03系。03135と03132のおでこが見えた。
前者が今回新たに加わった4両組だ。
05系・03系(深川検車区行徳分室)
この位置の03系は本線側から35F4両、32F2両、30F2両。
03系(深川検車区行徳分室)
35Fの電動車はパンタ付(M1)が2両。
勝手にパンタなし(M2)との「1ユニット」と想像していたが。
あれ?
橋を下りて土手に回る。いつぞやも書いたが、妙典橋から分室脇の土手に出るのは簡単ではない。
03系(深川検車区行徳分室)
下流側から大奥の03系先頭車3組を見る。
03系(深川検車区行徳分室)
「札付き」の34F。札の文字の赤いところは褪色が進んでいる。
03系(深川検車区行徳分室)
側灯脇のプレート式ハートMロゴは外されているが、乗務員室扉脇のステッカーはそのまま残っている。
03系(深川検車区行徳分室)
この真ん中の2両は側窓のカーテンが上がっている。
03系(深川検車区行徳分室)
いちばん本線側にいる2両。
03系(深川検車区行徳分室)
真ん中の2両は33F。車号が立体でできているのがわかる。
03系(深川検車区行徳分室)
土手から線路レベルに下りる。フェンスがジャマなんだよな。
03系(深川検車区行徳分室)
先頭車同士の「連結」は本線上では見られなかった。
03系(深川検車区行徳分室)
いちばん本線側の2両は39F。
…あれ? 39Fも来てたのか! まだ知らなかった編成がこんなところにひょっこりはんしてたとは。
おさらいをしよう。
10月に撮った最初の出現の編成が30F。11月に撮った2本目が34F(当時「札」はなかった)。
1月に撮った3本目が札付きの32F。2月に撮った4本目が33F。4月に新たに確認したのが29F。
そして今月11日にやってきたのが、先ほど橋の上から撮った35F4両だった。
…調べてみると、03839が16日、03139が18日に北館林から陸送されたそうだ。
何と139はきのう来たばかりじゃないか。北館林の出発は未明だった(やっぱり大きいものを道路輸送するんだから深夜がいいよね)ようだから、土曜のきのう、タイミングがあえば搬入するところを見ることもできたかもな。
まぁ、昼過ぎまで用事があったのでここには来なかったのだが。
03系(深川検車区行徳分室)
大奥のヌシとなりつつある保線車と、大きなボビンと過ごす03系先頭車たち。
31Fがすでに就役している熊本電鉄にはあと2編成が行くことが発表されているが、残りはどこへ行くのやら?
西側から
江戸川の土手をまっすぐ進み、東西線本線をくぐって新行徳橋まで行った。
橋を渡って原木に帰ろうとしたのだが、そうだ…西側から35Fを撮っていなかった。
…ということで、またダラダラ漕いで分室に戻った。
03系(深川検車区行徳分室)
車庫を挟んで江戸川と反対側、西側のフェンスの隙間から。
03835に続くのは、原画をズームして見ると03635だった。おそらくその後ろに続くのは同じ35Fのパンタ付のもう1両・03235であろう。
JR E231系800番台・05系・03系(深川検車区行徳分室)
10時半を過ぎ、画面左の1番線には土休日恒例のJR車の昼寝編成が入っている。
03系(深川検車区行徳分室)
妙典橋に戻り、柵のわずかな網目から覗き撮り。
03系(深川検車区行徳分室)
こちらは隙間から。30Fの顔はここできょう初めて撮った。
3番線に35、32、30の計8両、4番線大奥に39、33、34の6両が居るわけだが…
29Fはどこへ行ってしまったのだろう?
…というようなことはリアルタイムではまったく気づかず、このまま帰宅したのであった。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2019/05/19
2019/05/12
19.5.12 ママの日
GWから変わっていたというのに、知らなかった。
京成本線の市川真間(いちかわまま)駅が5月12日の母の日にちなんで4月27日から「市川ママ駅」に変わっているというじゃないか。
知ったのはその母の日の数日前。Facebookでフォローしている市川市役所の発信で気づいたのだ。
私自身市川市内のみを流れる真間川(ままがわ)沿いの家に住んでおり、真間という地名には縁がある。
11日土曜は用事がいろいろあったので、12日、自宅からママチャリで市川ママ駅を目指した。
この母の日当日が「ママ駅」の最終日だ。
ママ駅にママ集う
自宅から一旦、江戸川を渡る妙典橋へ向かった。
03系を遮る留置車両がなければ妙典橋の上から撮ろうと思ったのだが、その遮る車両が留まっていたので妙典橋は渡らず、江戸川の土手をひたすら北上した。
なお前日11日に新たに03035Fの一部が加わった模様で、両先頭車のほか中間車2両も来たようだ。
京葉道路をくぐった先で地平に下りて、外かんの側道をまたひたすら進んで菅野駅へ出る。
菅野駅の周りは外かん整備に伴うロータリーや歩道橋の整備中だ。
くにゃくにゃと曲がった仮設通路を進んで踏切を渡ると、京成の線路に沿った道に出る。
3400形(市川ママ—菅野)
市川真間…もとい、市川ママ駅に近づいたところで踏切が鳴いたので、ひとまず撮る。
3438F。初代AEのなれの果てである3400形はまだまだ全車健在。
似た形のステンレスカー・3700形は行先と種別の表示がフルカラー&白色LED化されているが、こちらは全車表示幕が生きている。
(市川ママ)
市川ママ駅に到着。
駅名標はすべてカーネーション絵柄付の「市川ママ」表記となっている。
(市川ママ)
ホームの駅名標は「市川真間」の表記は残っていない。中国語表記が近いところではあるが。
(市川ママ)
南側のエレベーター口。(市川真間駅)の補記がされている。
(市川ママ)
エレベーター外側の縦形看板もきちんと変わっている。
(市川ママ)
南口階段。市川ママの表示を撮る市川ママ達の図。
テレビでも紹介されたためか、あちこちの表記をたくさんの人が撮りに来ている。
(市川ママ)
グループである京成バスのバス停もしっかり変わっている。
南口は角柱型の表示&屋根付きの都会型?スタイル。
バスのケツが切れちゃったな。バスは詳しくないが、よーく見るとヘッドライトの周りとか私はあまり馴染みのない形に進化している様子。
(市川ママ)
こちらは北口。ボード型の標があるだけで屋根はなし。
駅名表記変更の告知がされている。
(市川ママ)
北口は自転車置き場があり雑然とした風景。階段は南口よりずっと幅が広い。
(市川ママ)
北口エレベーター。
このように看板の形や大きさはまちまちで、差し替え用のサインを用意するのもいろいろ面倒だったろう。
(市川ママ)
改札口に上がってみると、ラチ内に記念撮影用のハート型ボードが設置されていた。
ナイキのお父さんが動いてくれないんだ…。
モニターの北総の記念乗車券も気になる。
(市川ママ)
カーネーション販売。コーヒーとお菓子や記念入場券の販売も行われていた。
ほか、3年後の母の日に届くという「タイムカプセル郵便」の受付や、5名限定でこどもの駅長体験(構内放送含む)なども行われた。
写真は客が画面に入るのを避けて撮っているが、この駅にしてはたくさんの人の姿があった。
駅名表記変更企画は他社ではちょこちょこ見られたものではあるが、京成では初めての試み。独特な語感を活かそうと市川真間駅の職員さんたちの発案から実現したものだそうだ。
マスコミも報じてたくさんの人が訪れたことは、じゅうぶんな効果があったと考えていいだろう。私も踊らされた一人である。
移動沿線撮り
市川ママ駅の観察を終え、大門通りにある店で昼食。
その大門通りを北に戻り、踏切に出る。せっかくカメラを持ってるのだから走っている列車を撮っていこう。
3000形(国府台—市川ママ)
5年前に画面奥の踏切を訪れたが、その成田寄りの隣の踏切。
いきなり裏に被られた。記事を見ると、5年前も1本目はやっぱり同じだったなぁ。
(国府台—市川ママ)
んしょっ。
3400形(国府台—市川ママ)
3428F。最初に市川ママ駅手前で撮ったやつより1つ後の車号の編成。
3600形(国府台—市川ママ)
3600形は廃車が進んでおり、現在チョッパ8連3本・VVVF4連1本の体制。
3500形更新車のほうがたくさん残っている。
3000形(国府台—市川ママ)
スカイアクセス線に比べるとこちら本線高砂以東は地味なラインナップ。
下り列車を3本撮ったところで撤収。
このあと大門通りをさらに北上し、通りが目指す所である真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)へ行ってきた。
丘の上にある弘法寺へは長い石段を上がって行くのだが、この石段の一段一段が高く、結構体力を奪われる。
手前にある手児奈霊堂も合わせて見て回ってきて、再び自転車へ。
自宅方面へ向かいつつ京成本線に沿って進むことにした。
出かける前に唯一調べてきたのが、数少ない本線高砂以東の都営車の運用。京成八幡を13時半すぎに出る上り快速に入るのだが、市川ママ付近で図らずもその時間となった。
未だ撮っていない5500形が来るのを期待するが…なんだ、5300形か…あれ? かつての急行を思わせる丸いマークが窓についているじゃないか。
都営5300形(市川ママ—菅野)
このマークは都営浅草線・京成・京急の相互直通50周年を記念したものだそうだ。図柄は千葉県の房総半島がド真ん中に来ているが…。
どうせどの編成にも貼ってるんだろうと思って調べたら、都営車でも5501Fとこの5311Fのみだというじゃないか。
京成は3028F、京急は604Fに貼られているとのこと。
5500形が来なかったのは残念だったが、この運用に入ったこの編成に出会えたのはラッキーであった。
3400形(市川ママ—菅野)
3448F。3400形は5編成の存在だが、短い撮影時間で3編成目に遭遇。
3500形更新車(市川ママ—菅野)
菅野駅へ向かって進んだところで3500形登場。
昨年10月に3532Fが更新車の廃車第一号編成となったが、1972(昭和47)年製のトップナンバーも含め若番車もまだまだ走っている。
3700形(菅野—京成八幡)
下り普通うすい行で菅野駅を出てきた3838F。3828Fとともに3700形では少数派の6連口だ。
3000形(菅野—京成八幡)
京成八幡に近づいた位置。要は、線路際の道を進みながら列車が現れれば撮っているわけだ。
3700形(京成八幡—鬼越)
京成八幡を過ぎた先の葛飾八幡宮門前の踏切でカーブアングル。
カーブの脇の市川市役所は建て替えの真っ最中で、巨大なクレーンが2本立っていた。
3718Fは3700形の「最初の顔」をしており、菅野で撮った3838Fは「最後の顔」である。ヘッド・テールライトの配置と種別表示器周りの処理が異なっている。
ただし3718Fのスカートは新製当初は付いていなかった。
3000形(京成八幡—鬼越)
京成八幡を出発した3015F。
3500形更新車(京成八幡—鬼越)
この列車を撮って終了。
このあと真間川に当たるまで線路際の道を進み、あとはひたすら川沿いの道を自宅まで走って帰った。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
京成本線の市川真間(いちかわまま)駅が5月12日の母の日にちなんで4月27日から「市川ママ駅」に変わっているというじゃないか。
知ったのはその母の日の数日前。Facebookでフォローしている市川市役所の発信で気づいたのだ。
私自身市川市内のみを流れる真間川(ままがわ)沿いの家に住んでおり、真間という地名には縁がある。
11日土曜は用事がいろいろあったので、12日、自宅からママチャリで市川ママ駅を目指した。
この母の日当日が「ママ駅」の最終日だ。
ママ駅にママ集う
自宅から一旦、江戸川を渡る妙典橋へ向かった。
03系を遮る留置車両がなければ妙典橋の上から撮ろうと思ったのだが、その遮る車両が留まっていたので妙典橋は渡らず、江戸川の土手をひたすら北上した。
なお前日11日に新たに03035Fの一部が加わった模様で、両先頭車のほか中間車2両も来たようだ。
京葉道路をくぐった先で地平に下りて、外かんの側道をまたひたすら進んで菅野駅へ出る。
菅野駅の周りは外かん整備に伴うロータリーや歩道橋の整備中だ。
くにゃくにゃと曲がった仮設通路を進んで踏切を渡ると、京成の線路に沿った道に出る。
3400形(市川ママ—菅野)
市川真間…もとい、市川ママ駅に近づいたところで踏切が鳴いたので、ひとまず撮る。
3438F。初代AEのなれの果てである3400形はまだまだ全車健在。
似た形のステンレスカー・3700形は行先と種別の表示がフルカラー&白色LED化されているが、こちらは全車表示幕が生きている。
(市川ママ)
市川ママ駅に到着。
駅名標はすべてカーネーション絵柄付の「市川ママ」表記となっている。
(市川ママ)
ホームの駅名標は「市川真間」の表記は残っていない。中国語表記が近いところではあるが。
(市川ママ)
南側のエレベーター口。(市川真間駅)の補記がされている。
(市川ママ)
エレベーター外側の縦形看板もきちんと変わっている。
(市川ママ)
南口階段。市川ママの表示を撮る市川ママ達の図。
テレビでも紹介されたためか、あちこちの表記をたくさんの人が撮りに来ている。
(市川ママ)
グループである京成バスのバス停もしっかり変わっている。
南口は角柱型の表示&屋根付きの都会型?スタイル。
バスのケツが切れちゃったな。バスは詳しくないが、よーく見るとヘッドライトの周りとか私はあまり馴染みのない形に進化している様子。
(市川ママ)
こちらは北口。ボード型の標があるだけで屋根はなし。
駅名表記変更の告知がされている。
(市川ママ)
北口は自転車置き場があり雑然とした風景。階段は南口よりずっと幅が広い。
(市川ママ)
北口エレベーター。
このように看板の形や大きさはまちまちで、差し替え用のサインを用意するのもいろいろ面倒だったろう。
(市川ママ)
改札口に上がってみると、ラチ内に記念撮影用のハート型ボードが設置されていた。
ナイキのお父さんが動いてくれないんだ…。
モニターの北総の記念乗車券も気になる。
(市川ママ)
カーネーション販売。コーヒーとお菓子や記念入場券の販売も行われていた。
ほか、3年後の母の日に届くという「タイムカプセル郵便」の受付や、5名限定でこどもの駅長体験(構内放送含む)なども行われた。
写真は客が画面に入るのを避けて撮っているが、この駅にしてはたくさんの人の姿があった。
駅名表記変更企画は他社ではちょこちょこ見られたものではあるが、京成では初めての試み。独特な語感を活かそうと市川真間駅の職員さんたちの発案から実現したものだそうだ。
マスコミも報じてたくさんの人が訪れたことは、じゅうぶんな効果があったと考えていいだろう。私も踊らされた一人である。
移動沿線撮り
市川ママ駅の観察を終え、大門通りにある店で昼食。
その大門通りを北に戻り、踏切に出る。せっかくカメラを持ってるのだから走っている列車を撮っていこう。
3000形(国府台—市川ママ)
5年前に画面奥の踏切を訪れたが、その成田寄りの隣の踏切。
いきなり裏に被られた。記事を見ると、5年前も1本目はやっぱり同じだったなぁ。
(国府台—市川ママ)
んしょっ。
3400形(国府台—市川ママ)
3428F。最初に市川ママ駅手前で撮ったやつより1つ後の車号の編成。
3600形(国府台—市川ママ)
3600形は廃車が進んでおり、現在チョッパ8連3本・VVVF4連1本の体制。
3500形更新車のほうがたくさん残っている。
3000形(国府台—市川ママ)
スカイアクセス線に比べるとこちら本線高砂以東は地味なラインナップ。
下り列車を3本撮ったところで撤収。
このあと大門通りをさらに北上し、通りが目指す所である真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)へ行ってきた。
丘の上にある弘法寺へは長い石段を上がって行くのだが、この石段の一段一段が高く、結構体力を奪われる。
手前にある手児奈霊堂も合わせて見て回ってきて、再び自転車へ。
自宅方面へ向かいつつ京成本線に沿って進むことにした。
出かける前に唯一調べてきたのが、数少ない本線高砂以東の都営車の運用。京成八幡を13時半すぎに出る上り快速に入るのだが、市川ママ付近で図らずもその時間となった。
未だ撮っていない5500形が来るのを期待するが…なんだ、5300形か…あれ? かつての急行を思わせる丸いマークが窓についているじゃないか。
都営5300形(市川ママ—菅野)
このマークは都営浅草線・京成・京急の相互直通50周年を記念したものだそうだ。図柄は千葉県の房総半島がド真ん中に来ているが…。
どうせどの編成にも貼ってるんだろうと思って調べたら、都営車でも5501Fとこの5311Fのみだというじゃないか。
京成は3028F、京急は604Fに貼られているとのこと。
5500形が来なかったのは残念だったが、この運用に入ったこの編成に出会えたのはラッキーであった。
3400形(市川ママ—菅野)
3448F。3400形は5編成の存在だが、短い撮影時間で3編成目に遭遇。
3500形更新車(市川ママ—菅野)
菅野駅へ向かって進んだところで3500形登場。
昨年10月に3532Fが更新車の廃車第一号編成となったが、1972(昭和47)年製のトップナンバーも含め若番車もまだまだ走っている。
3700形(菅野—京成八幡)
下り普通うすい行で菅野駅を出てきた3838F。3828Fとともに3700形では少数派の6連口だ。
3000形(菅野—京成八幡)
京成八幡に近づいた位置。要は、線路際の道を進みながら列車が現れれば撮っているわけだ。
3700形(京成八幡—鬼越)
京成八幡を過ぎた先の葛飾八幡宮門前の踏切でカーブアングル。
カーブの脇の市川市役所は建て替えの真っ最中で、巨大なクレーンが2本立っていた。
3718Fは3700形の「最初の顔」をしており、菅野で撮った3838Fは「最後の顔」である。ヘッド・テールライトの配置と種別表示器周りの処理が異なっている。
ただし3718Fのスカートは新製当初は付いていなかった。
3000形(京成八幡—鬼越)
京成八幡を出発した3015F。
3500形更新車(京成八幡—鬼越)
この列車を撮って終了。
このあと真間川に当たるまで線路際の道を進み、あとはひたすら川沿いの道を自宅まで走って帰った。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)