京成3300形ラストラン撮影を終えたあと一旦帰宅して、車にのりかえて再度出かけた。
このあいだ間近で状態をチェックしてきた妙典の河津桜がどうなってるか、また見に行った。
接写限定
駐車場から東西線の低〜い高架をくぐると、線路に近い1本は半分ぐらい花が開いていた。
列車と絡めてみる。
05系(妙典—原木中山)
まだつぼみのものも多い分、引きで撮るとピンクには見えない。
河津桜
咲いているものだけを撮るとこんな感じ。接写限定の桜景色。
東葉2000系(妙典—原木中山)
最初の05系とこの2000系はA線列車で、奥の線路。
05系(妙典—原木中山)
こちらは手前の線路・B線の列車。
05系(妙典—原木中山)
連写した中から、桜の中にハートMロゴが見えるこのカットをチョイス。
07系(妙典—原木中山)
B線の07系を撮っておしまい。来週末はまだ花があるかどうか…。
なおタイトルはおととし・昨年に続いての河津桜ネタなので同様のネーミングにした。
おととしが3月16日、昨年が3月8日の撮影だったので、2月28日の今回はさらに「アーリー」が増えたのだ。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2015/02/28
15.2.28 SIK
京成3300形がこの28日土曜の臨時特急「成田山号」(京成上野→京成成田)で最後を飾る。
生き残った2編成を連結した8両編成で、前後で異なったHMが付くことも京成電鉄公式サイトで告知されている。
3300形はおととし2〜3月にリバイバル青電、同・赤電、同・ファイアーオレンジと順番にラストランを行った。
その他同時期に残っていたノーマル3300形も少しずつ数を減らした。
私は青電ラストランは逃したが、赤電とファイアーオレンジのラストランは同じ場所で記録した。
今回も同じポイントでの撮影に赴いた。
シクシク
自宅からチャリで現地へ。
京成西船駅前の踏切にさしかかったとき、すでに警報機が鳴いていた。カメラを出してるヒマがないタイミングで列車が現れたのだが、なんと3300形の送り込み回送。
上野方運転台側のヘッドライト下には涙のステッカーが貼られ、種別幕は「回」。
成田方は種別幕を隠す円形のHMに「回送」の文字が入っていた。
実はそこまでちょっと遠回りで来てしまっていたので、それがなければ撮れたかもしれない。
3700形(京成西船—海神)
10時前に現地に到着。列車は上野10:23発。
編成すっぽりにこだわる撮影者は同じカーブの上野寄りに立つ。そちらには数人がいたが、私が決めている成田寄りには誰もいなかった。ご覧のように8連だと編成がすっぽり入らないから…だろう。私は編成すっぽりにはこだわらないので。
それよりも、この位置で京成の現役の全形式を撮っている中、ノーマル3300形のみ上記の上野寄りでしか撮れていなかった。そこをコンプリートするのも今回の目的なのだ。
3000形(京成西船—海神)
恒例、薄い帯のうすい行3022F。
3000形(京成西船—海神)
3300形に代わる分としておととし登場した3000形8次車。登場は3022Fと比べると5年ちょっとの差があり、帯はまだまだ濃い。
3000形(京成西船—海神)
優等に3000形8連口が入ると、3000形3連チャンが起こりやすい。
3500形更新車(京成西船—海神)
流してみたが、あまりにテキトーでうまくいかなかった。その中の1枚。3508号。
3700形(京成西船—海神)
3700形最終製造編成の3868Fは9次車。この記事最初の写真の編成・3858Fが8次車。
9次車は当初製造予定はなかったが、3600形を芝山鉄道へリースした分の補填で登場したそうだ。
3500形更新車(京成西船—海神)
こんどのうすい行は3500形更新車だった。上野方から2+4の6両編成。
3700形(京成西船—海神)
うーん、あんなところに撮影者が映り込んでいたとは…。
3000形(京成西船—海神)
3004Fも帯はかなり褪色している。いつも思うが、3700形とはステッカーのタイプが違うんだと思う。
都営5300形(京成西船—海神)
アクセントとなる都営車登場。佐倉行快速。
3000形(京成西船—海神)
こんどは薄くないうすい行。
3600形(京成西船—海神)
日車製3688F6連に東急製3668Fから抜いた中間車2両を挿入した8連。中央の2両は東急製の特徴である「つり合い梁」が裾に片側2カ所ずつ付いており、一目で判る。
3050形(京成西船—海神)
上り快速で3050形が来たので、後追いながら記録。
3000形(京成西船—海神)
画面外左奥の武蔵野線の高架をEF66担当の蘇我行貨物が通ったのをすでに見ている(順番ではこの日はEF210だったと思う)。その時刻を考えると、3300形が来てもいい頃かも。
3600形(京成西船—海神)
サクラ色種別の快速佐倉行が通過し、いよいよお目当て登場。
3300形(京成西船—海神)
既報どおりの円形HM付で3300形8連登場。先頭はトップナンバーの3301号。先に書いた回送列車はこのHMと同じ円形ステッカーに横書きで「回送」と入っていた。
編成は入っていなくとも、後ろにこちらを向いた先頭車がつながってることから8連であることも判る。
3300形(京成西船—海神)
なんとか記録できた上野方。これが涙を流した姿。
運行番号は「S1K」。1はリーゼントが付かない書体のためアルファベットの「I(アイ)」にも見える。
つまり、「シク」と読めて、泣いている「しくしく…」を表現しているんだと思う。(送り込み回送は「S11」表示)
追記:…なんて書いてしまったが、どうやら「S1K」はかつてのホンモノの「成田山号」の運行番号だった様子
なお3300形は近年は4連単独のみでの運行だったが、今回のラストランに先立って8連での試運転も行われた。
トップナンバーを含む成田方3304Fは空気バネ、上野方3344Fはコイルバネ台車で、それぞれの台車を持つ編成の併結はいろいろ理由があったようで長い間行われていなかったが、これも実現した今回の運転は貴重な記録となった。
これにてここでの撮影終了。改めて今回の位置で撮影の3300形4色をまとめて見てみよう。
(撮影年月日:青電2011.7.24/赤電2013.3.20/炎電2013.3.24)
青電以外はみんなラストラン。ここで4連列車を撮るには顔に日が当たる朝の1本に絞られるが、3500形原型車に当たることが多く、一度だけ青電に当たった。充当車両をつかんでいないとキャッチは難しいのだ。
ファイアーオレンジについては白地種別幕時代に「ミラフォレスタ号」でも撮っている。
これにて京成3300形は全廃となるが、北総鉄道には未だリースで働いている7260形が残っている。そちらの動向にも注目だ。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
生き残った2編成を連結した8両編成で、前後で異なったHMが付くことも京成電鉄公式サイトで告知されている。
3300形はおととし2〜3月にリバイバル青電、同・赤電、同・ファイアーオレンジと順番にラストランを行った。
その他同時期に残っていたノーマル3300形も少しずつ数を減らした。
私は青電ラストランは逃したが、赤電とファイアーオレンジのラストランは同じ場所で記録した。
今回も同じポイントでの撮影に赴いた。
シクシク
自宅からチャリで現地へ。
京成西船駅前の踏切にさしかかったとき、すでに警報機が鳴いていた。カメラを出してるヒマがないタイミングで列車が現れたのだが、なんと3300形の送り込み回送。
上野方運転台側のヘッドライト下には涙のステッカーが貼られ、種別幕は「回」。
成田方は種別幕を隠す円形のHMに「回送」の文字が入っていた。
実はそこまでちょっと遠回りで来てしまっていたので、それがなければ撮れたかもしれない。
3700形(京成西船—海神)
10時前に現地に到着。列車は上野10:23発。
編成すっぽりにこだわる撮影者は同じカーブの上野寄りに立つ。そちらには数人がいたが、私が決めている成田寄りには誰もいなかった。ご覧のように8連だと編成がすっぽり入らないから…だろう。私は編成すっぽりにはこだわらないので。
それよりも、この位置で京成の現役の全形式を撮っている中、ノーマル3300形のみ上記の上野寄りでしか撮れていなかった。そこをコンプリートするのも今回の目的なのだ。
3000形(京成西船—海神)
恒例、薄い帯のうすい行3022F。
3000形(京成西船—海神)
3300形に代わる分としておととし登場した3000形8次車。登場は3022Fと比べると5年ちょっとの差があり、帯はまだまだ濃い。
3000形(京成西船—海神)
優等に3000形8連口が入ると、3000形3連チャンが起こりやすい。
3500形更新車(京成西船—海神)
流してみたが、あまりにテキトーでうまくいかなかった。その中の1枚。3508号。
3700形(京成西船—海神)
3700形最終製造編成の3868Fは9次車。この記事最初の写真の編成・3858Fが8次車。
9次車は当初製造予定はなかったが、3600形を芝山鉄道へリースした分の補填で登場したそうだ。
3500形更新車(京成西船—海神)
こんどのうすい行は3500形更新車だった。上野方から2+4の6両編成。
3700形(京成西船—海神)
うーん、あんなところに撮影者が映り込んでいたとは…。
3000形(京成西船—海神)
3004Fも帯はかなり褪色している。いつも思うが、3700形とはステッカーのタイプが違うんだと思う。
都営5300形(京成西船—海神)
アクセントとなる都営車登場。佐倉行快速。
3000形(京成西船—海神)
こんどは薄くないうすい行。
3600形(京成西船—海神)
日車製3688F6連に東急製3668Fから抜いた中間車2両を挿入した8連。中央の2両は東急製の特徴である「つり合い梁」が裾に片側2カ所ずつ付いており、一目で判る。
3050形(京成西船—海神)
上り快速で3050形が来たので、後追いながら記録。
3000形(京成西船—海神)
画面外左奥の武蔵野線の高架をEF66担当の蘇我行貨物が通ったのをすでに見ている(順番ではこの日はEF210だったと思う)。その時刻を考えると、3300形が来てもいい頃かも。
3600形(京成西船—海神)
サクラ色種別の快速佐倉行が通過し、いよいよお目当て登場。
3300形(京成西船—海神)
既報どおりの円形HM付で3300形8連登場。先頭はトップナンバーの3301号。先に書いた回送列車はこのHMと同じ円形ステッカーに横書きで「回送」と入っていた。
編成は入っていなくとも、後ろにこちらを向いた先頭車がつながってることから8連であることも判る。
3300形(京成西船—海神)
なんとか記録できた上野方。これが涙を流した姿。
運行番号は「S1K」。1はリーゼントが付かない書体のためアルファベットの「I(アイ)」にも見える。
つまり、「シク」と読めて、泣いている「しくしく…」を表現しているんだと思う。(送り込み回送は「S11」表示)
追記:…なんて書いてしまったが、どうやら「S1K」はかつてのホンモノの「成田山号」の運行番号だった様子
なお3300形は近年は4連単独のみでの運行だったが、今回のラストランに先立って8連での試運転も行われた。
トップナンバーを含む成田方3304Fは空気バネ、上野方3344Fはコイルバネ台車で、それぞれの台車を持つ編成の併結はいろいろ理由があったようで長い間行われていなかったが、これも実現した今回の運転は貴重な記録となった。
これにてここでの撮影終了。改めて今回の位置で撮影の3300形4色をまとめて見てみよう。
(撮影年月日:青電2011.7.24/赤電2013.3.20/炎電2013.3.24)
青電以外はみんなラストラン。ここで4連列車を撮るには顔に日が当たる朝の1本に絞られるが、3500形原型車に当たることが多く、一度だけ青電に当たった。充当車両をつかんでいないとキャッチは難しいのだ。
ファイアーオレンジについては白地種別幕時代に「ミラフォレスタ号」でも撮っている。
これにて京成3300形は全廃となるが、北総鉄道には未だリースで働いている7260形が残っている。そちらの動向にも注目だ。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2015/02/23
15.2.23 行徳分室ちょこっと
本日は月曜だが用事のため休み。
きのうときょうの暖かさで東西線脇の河津桜が咲いていないかと、昼過ぎに車で妙典の河川敷へ行った。
小学校前の駐車場に車を置いて東西線の高架をくぐると、桜はすでに開花しているものもあったが、ほとんどがまだつぼみの状態だった。
ゲリラ撮影会?
勢いで行徳分室の脇を久々に歩く。2番線の07系は最後尾が建屋内に入っていた。
07系ほか(深川検車区行徳分室)
建屋の出口に鉤型の風防のようなものができていた。
東葉2000系・15000系・JR E231系800番台・05系(深川検車区行徳分室)
4〜7番線はすべて違う車種が並ぶ。5〜7番線で見れば東西線を走行する各社の代表車両が並べられたようにも見える。
建設中の妙典橋
建屋脇の橋脚へ向けて、妙典橋の桁が伸び始めている。
まず台船で水路の中央のスパンに主桁が置かれた。今度は接するスパンの橋脚を主桁から送出し工法で架ける。緑色の部材は橋桁ではなく、送出しに使うためのレールのようなもの。この緑の部材が架かってから、本来の桁が主桁から送り出される。
なおこの橋は車が片側1車線ずつのほか、上流側(上の写真では左側)のみに歩道が付くことになっている。
07系(深川検車区行徳分室)
赤旗が付いている07系。「転削」と書いてあるようだ。
へぇ、あの建屋で車輪転削をしているのか。何も知らんかった。
07系・05系・JR E231系800番台・15000系・東葉2000系(深川検車区行徳分室)
ゲリラ撮影会状態。
カラス
堤防上の芝生部分の水たまりにカラス。しばし連写していたら飛び立ち、看板の上に立った。
ケツがあるのでこれにて車へ戻った。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
きのうときょうの暖かさで東西線脇の河津桜が咲いていないかと、昼過ぎに車で妙典の河川敷へ行った。
小学校前の駐車場に車を置いて東西線の高架をくぐると、桜はすでに開花しているものもあったが、ほとんどがまだつぼみの状態だった。
ゲリラ撮影会?
勢いで行徳分室の脇を久々に歩く。2番線の07系は最後尾が建屋内に入っていた。
07系ほか(深川検車区行徳分室)
建屋の出口に鉤型の風防のようなものができていた。
東葉2000系・15000系・JR E231系800番台・05系(深川検車区行徳分室)
4〜7番線はすべて違う車種が並ぶ。5〜7番線で見れば東西線を走行する各社の代表車両が並べられたようにも見える。
建設中の妙典橋
建屋脇の橋脚へ向けて、妙典橋の桁が伸び始めている。
まず台船で水路の中央のスパンに主桁が置かれた。今度は接するスパンの橋脚を主桁から送出し工法で架ける。緑色の部材は橋桁ではなく、送出しに使うためのレールのようなもの。この緑の部材が架かってから、本来の桁が主桁から送り出される。
なおこの橋は車が片側1車線ずつのほか、上流側(上の写真では左側)のみに歩道が付くことになっている。
07系(深川検車区行徳分室)
赤旗が付いている07系。「転削」と書いてあるようだ。
へぇ、あの建屋で車輪転削をしているのか。何も知らんかった。
07系・05系・JR E231系800番台・15000系・東葉2000系(深川検車区行徳分室)
ゲリラ撮影会状態。
カラス
堤防上の芝生部分の水たまりにカラス。しばし連写していたら飛び立ち、看板の上に立った。
ケツがあるのでこれにて車へ戻った。
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機関車 なつかし写真
客車のあとは、その客車や貨車を引っ張る機関車単体の写真も出そう。
EF58
EF58は湘南マスクの車体が特徴的な機関車。私が写真を撮り始めた頃は、すでに動態保存的に数機が残るのみとなっていた。
JR東日本に61・89、東海に122・157、西日本に150号機という陣容だったと思う。
EF58 61(品川・1988)(d)
ブルトレが佇む品川に現れた61号機。同時期の写真はすでにアップ済みなので、特に掲載していなかった上の2枚を公開。
キャプションに(d)の表記がある通りカメラ屋にフィルムスキャンを頼んだものだが、黄色い汚れはさすがに取れなかったようだ。
アップ済みの過去記事はこちら(EF55 1、EF64 1001含む)。
EF58 89(田端運転所・1988)
89号機は青+前面クリーム警戒色から晩年はぶどう色に戻された。私はこの色の時代しかナマで見ていない。
EF58 89(田端運転所・1989)
こちらは先ほどとは別の日のもの。逆光でぶどう色の車両を撮れば、そりゃこんな結果になりますな。
EF62
EF62は横軽対応の機関車。台車は3軸の重厚なスタイルだ。
EF62 ??(南浦和・1988.12.23)
単機で大宮方面へ向かうEF62。ご覧の通り車号は判別できない。
EF62 ??・EF81 86(田端運転所・1989)
81と並んだEF62。こちらもテカりで車号がわからないのが残念。
EF62は何号機だか忘れたが、部品取りになった廃車が尾久の線路群の上野寄りに置かれていたっけ。
EF64
EF64は0番台と1000番台でまるで別の機関車のようだ。0番台に関しては都内で遭遇する機会は少ない。
EF64 19+EF64 18(塩尻・1989.9.16)(再掲)
数少ない0番台の写真なので、これは再掲。重連単機は珍しくないかもしれないが、連番なのが面白い。
EF64 39(原宿・1989)
都内で遭遇した0番台。
EF64 1000番台・EF65 500番台・EF65 1019(田端運転所・1989)
雪をまとったEF64 1000番台が複数並ぶ。レインボー色は初代の1019号機。
EF81 117・EF64 1002・EF65 505(田端運転所・1989)
正面2枚窓の機関車に挟まれる。この年でナンバープレートが青になっているのは早いほうか?
EF65
EF65は0番台・500番台・1000番台とバリエーション豊か。
EF65 46(船橋・1989)(再掲)
東武野田線を横目に単機で船橋を通過する0番台。
EF65 6(代々木・1990.10.29)
中央快速線を東京方面から転線し新宿駅に入る。飯田町貨物駅からの回送か?
宇都宮・高崎線211系・EF65 2(大宮・1994.10.9)
中電快速と並んだ2号機。そしてまたも東武野田線とコラボ。
EF65 525(田端運転所・1989.8.7)
高速列車用500番台はEF60 500番台同様の前面窓まで回り込んだクリーム塗装が特徴。
基本のP型(旅客用)と貨物用に装備を追加したF型があったが、525はF型だったようだ。
EF65 535(品川・1989)
のちに501号機以外の生き残りとして注目されることとなる535号機。こちらはEF65 0番台として竣工後ほどなくP型へ改造編入された経歴があるそうだ。
EF65 1029(浦和—北浦和・1988.12.25)(d)
汎用バージョンとして整備されたのが1000番台。貫通扉が付いてイメージが変わった。
オリエント急行を撮りに来たこの日、もうちょっと早くシャッターが切れてれば顔も明るかったのだが。フィルムカメラなのでコマ数を消費できなかった。
EF65 1099(1989)
おそらく田端運転所で撮ったのではないかと思うが、紙焼きのスキャンであり、ネガで前後のコマを見ていないので不明。(探せばわかるかもしれないが)。
EF65 1134(東京・1989)
ブルトレ牽引機が引き上げるところだろう。神田方には何かしらのHMが付いているんだろうな。
EF65 1101(大宮・1990)
大宮の中線に佇む1101号機。1069号機以降が下枠交差形パンタ・車号がプレート式のスタイル。
EF65 1076(代々木・1990.10.29)
ふたたび代々木で転線していくEF65の図。6号機と同じ日の撮影。
赤プレートは自動空気ブレーキの常用減圧促進改造車を意味する。…そうだ。(詳しくない)
EF81
EF81は交直両用のパワフルな機関車。私が写真を取り始めたころはEF80を目にすることはできず、交直両用機関車といえばコイツだった。
EF81 79(田端運転所・1989)
登場時の塗色・ローズピンク(赤13号)のEF81。直流機が青、交流機が赤なのに、その間の交直機がうすピンクというのは解せなかった。
友人と行動を共にしていたこの日、その友人が「(運転所内で)写真を撮らせてください」と頼みに行こうと言い出し、詰所へ向かう途中で失敬した1枚だ。
趣味誌にもよく写真が出るように、国鉄時代はひと言断れば現場内で撮らせてくれるというおおらかな対応が行われていたそうだが、JR化から1年が過ぎているこのときは断られた。
今考えれば危険をはらむため断られて当然なのだが、このときは噂で「車両にいたずらしたり部品盗難をした奴が出たのが断るようになった原因だ」とも言われていた。
DE11 1046・EF81 78(田端運転所・1989)
北斗星牽引機として「星ガマ」化された78号機。交流機関車と同じ赤2号ベースとなり、流れ星のマークが入った。星ガマは寝台特急牽引のために改修工事を行った車両なんだそうだ。
その後JR東日本のEF81は特別塗色車以外はすべてローピンから赤2号に変わった。
EF65 1019+EF81 93(田端運転所・1989)
レインボー機とくっついている93号機。レインボー機はEF65が写真の1019号機から1118号機へバトンタッチしたが、EF81 95は今も現役である。ジョイトレそのものはとっくに引退しているが、カマが2機も専用塗色を維持しているのが面白い。
EF81 134(大宮・1991.6.6)
ローピンと緑のガイシの対比が美しい134号機。
EF500
EF500は1990(平成2)年に直流用EF200とともに試作機901号が登場した。
形式の数字が新たに3ケタになっている点でも表現されているが、VVVFインバータ制御の次世代機としての登場だった。
EF65 1046+EF500-901(大宮・1991.6.6)(再掲)
登場時に新鶴見機関区の公開イベントで接したEF500だが、各種試験の結果量産は見送られ、幻の機関車となった。
この写真は前のEF81 134と同日の撮影。リンク先の記事にも載せたが、流れで再掲。
DE10
DE10はDD13に代わる入換用機関車。
DE10 1556(品川・1989)
DD13がセンターキャブだったのに対し、DE10はセミセンターキャブ。
運転台は枕木方向を向いており、運転士は腰やら首やらを横に向けて操作することになる。本来の入れ換えならまだしも、本線運用のときなんかは大変だ。私はこのカマを見るたびそれを想像し、体がムズ痒くなってくる。
DE10 1554(八王子・1991)
品川のものとは2番違いの1554号機。当ブログ付属アルバムで確認すると、1553を田端、1555を八王子で撮っており(ともに2012(平成24)年のゴールデンウィーク)、4番連続で記録していることになる。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
EF58
EF58は湘南マスクの車体が特徴的な機関車。私が写真を撮り始めた頃は、すでに動態保存的に数機が残るのみとなっていた。
JR東日本に61・89、東海に122・157、西日本に150号機という陣容だったと思う。
EF58 61(品川・1988)(d)
ブルトレが佇む品川に現れた61号機。同時期の写真はすでにアップ済みなので、特に掲載していなかった上の2枚を公開。
キャプションに(d)の表記がある通りカメラ屋にフィルムスキャンを頼んだものだが、黄色い汚れはさすがに取れなかったようだ。
アップ済みの過去記事はこちら(EF55 1、EF64 1001含む)。
EF58 89(田端運転所・1988)
89号機は青+前面クリーム警戒色から晩年はぶどう色に戻された。私はこの色の時代しかナマで見ていない。
EF58 89(田端運転所・1989)
こちらは先ほどとは別の日のもの。逆光でぶどう色の車両を撮れば、そりゃこんな結果になりますな。
EF62
EF62は横軽対応の機関車。台車は3軸の重厚なスタイルだ。
EF62 ??(南浦和・1988.12.23)
単機で大宮方面へ向かうEF62。ご覧の通り車号は判別できない。
EF62 ??・EF81 86(田端運転所・1989)
81と並んだEF62。こちらもテカりで車号がわからないのが残念。
EF62は何号機だか忘れたが、部品取りになった廃車が尾久の線路群の上野寄りに置かれていたっけ。
EF64
EF64は0番台と1000番台でまるで別の機関車のようだ。0番台に関しては都内で遭遇する機会は少ない。
EF64 19+EF64 18(塩尻・1989.9.16)(再掲)
数少ない0番台の写真なので、これは再掲。重連単機は珍しくないかもしれないが、連番なのが面白い。
EF64 39(原宿・1989)
都内で遭遇した0番台。
EF64 1000番台・EF65 500番台・EF65 1019(田端運転所・1989)
雪をまとったEF64 1000番台が複数並ぶ。レインボー色は初代の1019号機。
EF81 117・EF64 1002・EF65 505(田端運転所・1989)
正面2枚窓の機関車に挟まれる。この年でナンバープレートが青になっているのは早いほうか?
EF65
EF65は0番台・500番台・1000番台とバリエーション豊か。
EF65 46(船橋・1989)(再掲)
東武野田線を横目に単機で船橋を通過する0番台。
EF65 6(代々木・1990.10.29)
中央快速線を東京方面から転線し新宿駅に入る。飯田町貨物駅からの回送か?
宇都宮・高崎線211系・EF65 2(大宮・1994.10.9)
中電快速と並んだ2号機。そしてまたも東武野田線とコラボ。
EF65 525(田端運転所・1989.8.7)
高速列車用500番台はEF60 500番台同様の前面窓まで回り込んだクリーム塗装が特徴。
基本のP型(旅客用)と貨物用に装備を追加したF型があったが、525はF型だったようだ。
EF65 535(品川・1989)
のちに501号機以外の生き残りとして注目されることとなる535号機。こちらはEF65 0番台として竣工後ほどなくP型へ改造編入された経歴があるそうだ。
EF65 1029(浦和—北浦和・1988.12.25)(d)
汎用バージョンとして整備されたのが1000番台。貫通扉が付いてイメージが変わった。
オリエント急行を撮りに来たこの日、もうちょっと早くシャッターが切れてれば顔も明るかったのだが。フィルムカメラなのでコマ数を消費できなかった。
EF65 1099(1989)
おそらく田端運転所で撮ったのではないかと思うが、紙焼きのスキャンであり、ネガで前後のコマを見ていないので不明。(探せばわかるかもしれないが)。
EF65 1134(東京・1989)
ブルトレ牽引機が引き上げるところだろう。神田方には何かしらのHMが付いているんだろうな。
EF65 1101(大宮・1990)
大宮の中線に佇む1101号機。1069号機以降が下枠交差形パンタ・車号がプレート式のスタイル。
EF65 1076(代々木・1990.10.29)
ふたたび代々木で転線していくEF65の図。6号機と同じ日の撮影。
赤プレートは自動空気ブレーキの常用減圧促進改造車を意味する。…そうだ。(詳しくない)
EF81
EF81は交直両用のパワフルな機関車。私が写真を取り始めたころはEF80を目にすることはできず、交直両用機関車といえばコイツだった。
EF81 79(田端運転所・1989)
登場時の塗色・ローズピンク(赤13号)のEF81。直流機が青、交流機が赤なのに、その間の交直機がうすピンクというのは解せなかった。
友人と行動を共にしていたこの日、その友人が「(運転所内で)写真を撮らせてください」と頼みに行こうと言い出し、詰所へ向かう途中で失敬した1枚だ。
趣味誌にもよく写真が出るように、国鉄時代はひと言断れば現場内で撮らせてくれるというおおらかな対応が行われていたそうだが、JR化から1年が過ぎているこのときは断られた。
今考えれば危険をはらむため断られて当然なのだが、このときは噂で「車両にいたずらしたり部品盗難をした奴が出たのが断るようになった原因だ」とも言われていた。
DE11 1046・EF81 78(田端運転所・1989)
北斗星牽引機として「星ガマ」化された78号機。交流機関車と同じ赤2号ベースとなり、流れ星のマークが入った。星ガマは寝台特急牽引のために改修工事を行った車両なんだそうだ。
その後JR東日本のEF81は特別塗色車以外はすべてローピンから赤2号に変わった。
EF65 1019+EF81 93(田端運転所・1989)
レインボー機とくっついている93号機。レインボー機はEF65が写真の1019号機から1118号機へバトンタッチしたが、EF81 95は今も現役である。ジョイトレそのものはとっくに引退しているが、カマが2機も専用塗色を維持しているのが面白い。
EF81 134(大宮・1991.6.6)
ローピンと緑のガイシの対比が美しい134号機。
EF500
EF500は1990(平成2)年に直流用EF200とともに試作機901号が登場した。
形式の数字が新たに3ケタになっている点でも表現されているが、VVVFインバータ制御の次世代機としての登場だった。
EF65 1046+EF500-901(大宮・1991.6.6)(再掲)
登場時に新鶴見機関区の公開イベントで接したEF500だが、各種試験の結果量産は見送られ、幻の機関車となった。
この写真は前のEF81 134と同日の撮影。リンク先の記事にも載せたが、流れで再掲。
DE10
DE10はDD13に代わる入換用機関車。
DE10 1556(品川・1989)
DD13がセンターキャブだったのに対し、DE10はセミセンターキャブ。
運転台は枕木方向を向いており、運転士は腰やら首やらを横に向けて操作することになる。本来の入れ換えならまだしも、本線運用のときなんかは大変だ。私はこのカマを見るたびそれを想像し、体がムズ痒くなってくる。
DE10 1554(八王子・1991)
品川のものとは2番違いの1554号機。当ブログ付属アルバムで確認すると、1553を田端、1555を八王子で撮っており(ともに2012(平成24)年のゴールデンウィーク)、4番連続で記録していることになる。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)