夜行列車なつかし写真の第2回。
今回も東京発の列車のもの。
富士・はやぶさ
廃止時には手を組んで走った2列車。
24系寝台特急「富士」(東京・1988.10.4)
「富士」はこの当時東京—宮崎を結んだ列車だった。翌年3月に区間が南宮崎まで1駅延長されたが、1997(平成9)年に大分まで短縮された。
24系寝台特急「富士」(東京・1989)
明るい時間に撮った「富士」。富士山形のHMを付けたEF66はきちんとは撮れていない(前記事の20系あさかぜの回送前の写真だけ)。
24系(回送)(東京・1989)
「はやぶさ」表示だが、よく見ると前出の「富士」の編成がなぜかこの停車中にテールマークを回したようだ。フレームアウトしない白いジャンバーのオッサンがともに写っているし、幌の汚れもまったく同じなので。車掌が顔を出しているから、こっちが後の時間であろう。
24系寝台特急「富士」(東京・1989)
オハネ25 1000番台はB個室「ソロ」で、JRになってから改造で登場した。L字型のユニットを「」のようにうまく組み合わせた半2階建て車両。
24系寝台特急「はやぶさ」(東京・1990)
こちらは本当の「はやぶさ」。「はやぶさ」は東京—西鹿児島間を九州内は鹿児島本線を経由して結んだ列車。
EF66 53+24系寝台特急「はやぶさ」(新橋・1992.5.11)
新橋で「富士」編成の品川への回送列車とすれ違う「はやぶさ」。「富士」同様1997(平成9)年に運行区間が東京—熊本間に短縮された。
オハ24(東京・1988)
24系のロビーカー。壁に囲まれた寝台車から抜け出してくつろげるフリースペース車両。翼形の帯は銀帯車の中で異彩を放っていた。写真がどの列車のものだったかは記録が残っていないが、この車両は「はやぶさ」「富士」で使われた。
営業を休止した食堂車がロビーカー代わりとされたものもあった。
「富士・はやぶさ」に乗る
私が今まででただ一度だけ寝台特急に乗ったのが2006(平成18)年10月。
この時は遅めの夏休みで2泊3日の一人旅。1日目はスターフライヤーで北九州空港へ出て、日豊本線415系、新幹線100系、山口線キハ40系を乗り継いで湯田温泉に宿泊。2日目秋芳洞へ行き、バスで新山口、新幹線100系で新下関、山陽本線117系で下関、連絡船で門司港へ渡り、鹿児島本線813系で門司へ出て「富士・はやぶさ」に乗り込んだ。
なおカメラは持っておらず、ガラケーで撮っている(秋芳洞で撮り過ぎて、門司では充電切れ間近だった)もので、写真は粗い。
ED76 ??+14系寝台特急「はやぶさ」(門司・2006.10.20)(mb)
「はやぶさ」は利用減少により前年から東京—門司間を「富士」との併結運転という形に。同時に「富士」とともに14系化された。
熊本からED76が牽引してきて、ここでお役御免。
EF81 ??+14系寝台特急「はやぶさ」(門司・2006.10.20)(mb)
こんどはEF81がつながれる。見ての通り、ED76ともども何号機かわからない写り。
ED76 90+14系寝台特急「富士」(門司・2006.10.20)(mb)
続いて島式ホーム反対側に到着したのが「富士」。富士山型のHMを前から撮れたのはこれだけだ。
「富士」編成は「はやぶさ」分を空けてホーム中ほどに停まったため明るい場所で撮れたが、このブレ。ブルトレならぬブレトレ。
14系寝台特急「富士」(門司・2006.10.20)(mb)
ED76が引っ込み14系14形の顔が現れた。長らく銀帯車で運行された「富士」、白帯は違和感があった。編成は「はやぶさ」と共通で、シングルDX・ソロ・二段のB寝台という構成だった。
14系寝台特急「富士」「はやぶさ」(門司・2006.10.20)(mb)
門司港方から推進でEF81+はやぶさ編成がやって来て、ガッチャンコ。はやぶさ側は銀帯の14系15形。この頃の15形は純正と24系25形からの改造車が混在していた。
14系寝台特急「はやぶさ」(門司・2006.10.20)(mb)
私が乗ったのはこの「はやぶさ」編成のシングルDX。車号はメモが残っており、24系25形から改造のオロネ14 3005。
14系として新製されたA個室寝台車は皆無で、存在したのはすべて同系内の改造や24系からの編入。
14系寝台特急「はやぶさ」(2006.10.20)(mb)
私の入った個室11はレール方向熊本側に座席兼ベッドが枕木方向に備わるが、となりの部屋だと反対向き。車窓を眺めることを考えると、この上り列車に都合がいい部屋だった。東京側に鏡、コップ、テーブル兼洗面台、電源コンセントなどがある。
充電切れ間近だったガラケーはコンセントに持参していた充電器をつないで回復した。
天井は2段ベッドのB寝台車と同じ高さなので、レール方向の狭さの感覚を和らげている。
14系寝台特急「はやぶさ」(2006.10.20)(mb)
枕木方向山陰側には頭上に荷棚、枕元にエアコン・照明のスイッチと読書灯がある。表装はキレイで、新製当時のものからリニューアルしていると思う。
荷棚はカバンとお土産の菓子箱(職場で配る用)を並べても余裕たっぷり。
14系寝台特急「はやぶさ」(2006.10.20)(mb)
テーブルを上げると洗面台が姿を現す。カバが口を開けているようにも見える。水はなんと排水口から上に進んだ位置にあるスリットから出てくる。正直使いづらい。水と湯のツマミがあり、左端には白い石けんも見える。
14系寝台特急「はやぶさ」(2006.10.20)(mb)
座面を引き出してベッドに。
タオル(2006.10.20)(mb)
備え付けのタオルはこんな柄だった。「さくら」は前年3月に廃止となり、この時点では「富士」「はやぶさ」が最後の九州ブルトレとなっていた。
EF66 51+14系寝台特急「富士」「はやぶさ」(東京・2006.10.21)(mb)
下関でEF81からバトンタッチしたEF66が長駆走り抜いて東京に到着。メモでは9:58着のダイヤで、門司から14時間43分だった。
14系寝台特急「富士」「はやぶさ」(東京・2006.10.21)(mb)
「はやぶさ」編成も東京方緩急車は14形だった。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2015/01/31
夜行列車 なつかし写真・1
今回は久しくやっていなかった「なつかし写真」の記事。
当ブログは宣伝はしておらず自己満足のためのものなので、更新するたび目を通されている方はまずいないと思うが、以前は「なつかし写真」がメインのような時期もあった。
「なつかし写真」は10代の頃にコンパクトカメラで撮った拙い写真の紙焼き・ネガフィルムをスキャンしたもので、大概のストックはアップしてしまったが、少々のやり残しがある。
その一つがブルートレインを中心とした夜行列車。撮影数は多くないが、こまごまとストックがある。
ブルートレインはダイヤ改正の都度数を減らしてきたが、再来月にはついに「北斗星」「トワイライトエクスプレス」が廃止となり、24系客車も特急での定期運行が消滅する。
あさかぜ
日本のブルトレの先駆けといえるのが寝台特急「あさかぜ」。
東京と博多・下関を結ぶ列車で、最初のブルートレイン車両・20系客車が初めて投入された列車である。
EF66 44+24系寝台特急「あさかぜ」(品川・1989)
いまや稼働機がなくなってしまったコルゲート付の顔のEF66が牽く。
24系寝台特急「あさかぜ」(東京・1989)
東北新幹線ホームの新設工事が行われている東京駅にたたずむ銀帯の24系25形。新幹線0系も見える。
24系のあさかぜの写真はこれだけしかなかった。
20系(品川・1988.4)(d)
こちらは「あさかぜ」表示で留置されている20系のカヤ21。後ろに続く車両のように幕帯が省略された車両がほとんどの中、この電源車は3本帯を維持していた。
当時私は中学生。デジカメなんぞなく、フィルムカメラで枚数を考えながら撮った時代である。
そうすると、ネタ列車をメインに撮りに行ってしまう。結果、以下のように20系の臨時あさかぜの写真のほうが多くなってしまった。
EF65 1095+20系寝台特急「あさかぜ」(品川・1988)
実際に営業列車に運用されている姿。臨時のあさかぜ82号だと思う。当然ハネは三段・ロネは二段だった。
となりの京浜東北線103系は簡易冷房改造車。こちらも懐かしい。最後尾のカヤ21は2本帯。
20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1988)
東京に到着し、「富士」のHMを付けたEF66 47と連結された電源車・カヤ21 123。
以前ブルトレを牽いてきたカマは、中線の11番線を使って自ら牽いてきた客車の反対側に機回しされていた。しかし先の写真のとおり東京駅は東北新幹線ホーム新設中。11番線と12・13番線ホームが場所を提供し廃止されていた。
そこで、前に到着した列車のカマが神田方へ引き上げ、牽いてきた客車が品川へ回送されたあと有楽町方に移動し、次に来たブルトレを牽いて品川へ引っ込むという流れになった。この写真では、前に到着したのが「富士」ということだ。複数のブルトレが運転されていたからこそのやり方。
20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1988)
ナハネフ23。分割運転対応のための切妻緩急車。貫通扉の両側に愛称表示器があり、写真の向こう側は「ASAKAZE」の表示になっていたと思う。
20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1988)
ナハネフ22。時代を感じさせる顔である。東京駅の113系も今は昔。
211系快速「アクティー」・20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1989.8.7)
1989年は平成元年。平成になっても20系のブルトレが臨時ながら運転されていた。
この年の3月に登場した東海道線東京口の快速「アクティー」はまだ「快速」のシンプルな表示。
20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1989.8.7)
きちんと表示が行われている、細分化されたナハネフ22の表示幕。
211系快速「アクティー」・20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1989.8.7)
ナハネフ22は動物の顔に見立てた場合の右目が展望室、電話機の見える左目が乗務員室。
20系はもちろん、今や211系や写真の9・10番線ホームもすでに姿を消している。
このあと中央線が新設の高々架ホームに移って京浜東北・山手・東海道線が2線ずつ西に移動したため、211系がいるのが現在の10番線である。
さくら・みずほ・出雲・瀬戸
カット数が少なく、今となっては後悔するばかり。カマの写真も少ないなぁ…。
14系寝台特急「さくら」(東京・1987.11.8)(d)
初めて鉄道写真を撮った日の1カット。0系新幹線が見える。
寝台特急「さくら」は東京と長崎・佐世保を結んだ列車で、分割併合向きである分散電源方式の14系寝台車が用いられた。
EF66 43(東京・1988)(f)
「みずほ」のHMを付けたEF66 43。「さくら」と同じ14系寝台車が用いられた「みずほ」は東京と熊本・長崎を結んでいた。
この写真では14系寝台車は先に到着したカマに牽かれて品川へ引っ込んだ後。HMは色が飛んでしまっている。
14系寝台特急「出雲」(東京・1989)
「出雲」は定期で2往復存在。東京—浜田の列車が14系の1・4号、東京—出雲市の列車が24系の2・3号だった。
24系寝台特急「出雲」(東京・1989)
ブルトレとしての「出雲」は京都から山陰本線に入っていた。現在の285系電車の「サンライズ出雲」は岡山から伯備線に入るルートで運行されている。
24系寝台特急「瀬戸」(東京・1989)
「出雲」と同じく現在は285系で『サンライズ化』されている「瀬戸」。瀬戸大橋開通までは宇野線の宇野まで走り、宇高連絡船に接続していた。
銀河
「銀河」は東京—大阪間を走る寝台急行。ビジネスマン向けに二都それぞれで朝から動き回れるようなダイヤが引かれていた。
寝台料金はともかく、急行料金は200kmを超えたあとは何kmでも同じ料金設定。東京—大阪間の営業キロは556.4kmなので、同区間を走る特急ブルトレと比べ「銀河」は乗り得列車でもあった。
24系寝台急行「銀河」(東京・1989)
ブルトレらしいテールマークが美しい。20系時代はあのホームベース形の大きなフレームいっぱいにこのデザインで表示された。
カマは他の東京発着のブルトレがEF66になってもPFのまま。HMはなく、特急との格の差が表されている。
24系寝台急行「銀河」(東京・1991.9.14)(再掲)
車両は24系25形0番台。24形と同じ顔を持つが、銀帯かつ裾帯がないため印象が異なる。
この写真は私が初めて寝台列車に乗った日のもの。乗車車両はオハネフ25 31で、おそらく編成の中間に入った車両だったと思う。
24系寝台急行「銀河」・485系(米原・1991.9.15)(再掲)
「銀河」に乗ったのは家族で小浜へ行くため。私は上段に寝た。
米原で北陸本線にのりかえる際、こうして485系(489?)のボンネット車の回送に出くわした。
2000(平成12)年には、当時のグリーンスタジアム神戸のナイター観戦に一人で出かけた帰りに再度「銀河」に乗車。
米原まで乗った1度目は高校生だったが、2度目はすでに大人。 オロネ24のプルマン式2段A寝台を体験した。このときも上段だった。ただ、カメラを持っていたのに「銀河」の写真は残っていない。何かの事情があってギリギリに乗車したような記憶もあるのだが…。
「銀河」は2008(平成20)年3月のダイヤ改正で廃止となった。廃止直前は結構世間で話題となったっけ。
24系・14系(品川・1988)(d)
ブルトレ客車が並ぶいまや夢のような光景。
左から24系「銀河」、14系「出雲」、24系「瀬戸」、24系金帯「出雲」、24系「あさかぜ」。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
当ブログは宣伝はしておらず自己満足のためのものなので、更新するたび目を通されている方はまずいないと思うが、以前は「なつかし写真」がメインのような時期もあった。
「なつかし写真」は10代の頃にコンパクトカメラで撮った拙い写真の紙焼き・ネガフィルムをスキャンしたもので、大概のストックはアップしてしまったが、少々のやり残しがある。
その一つがブルートレインを中心とした夜行列車。撮影数は多くないが、こまごまとストックがある。
ブルートレインはダイヤ改正の都度数を減らしてきたが、再来月にはついに「北斗星」「トワイライトエクスプレス」が廃止となり、24系客車も特急での定期運行が消滅する。
あさかぜ
日本のブルトレの先駆けといえるのが寝台特急「あさかぜ」。
東京と博多・下関を結ぶ列車で、最初のブルートレイン車両・20系客車が初めて投入された列車である。
EF66 44+24系寝台特急「あさかぜ」(品川・1989)
いまや稼働機がなくなってしまったコルゲート付の顔のEF66が牽く。
24系寝台特急「あさかぜ」(東京・1989)
東北新幹線ホームの新設工事が行われている東京駅にたたずむ銀帯の24系25形。新幹線0系も見える。
24系のあさかぜの写真はこれだけしかなかった。
20系(品川・1988.4)(d)
こちらは「あさかぜ」表示で留置されている20系のカヤ21。後ろに続く車両のように幕帯が省略された車両がほとんどの中、この電源車は3本帯を維持していた。
当時私は中学生。デジカメなんぞなく、フィルムカメラで枚数を考えながら撮った時代である。
そうすると、ネタ列車をメインに撮りに行ってしまう。結果、以下のように20系の臨時あさかぜの写真のほうが多くなってしまった。
EF65 1095+20系寝台特急「あさかぜ」(品川・1988)
実際に営業列車に運用されている姿。臨時のあさかぜ82号だと思う。当然ハネは三段・ロネは二段だった。
となりの京浜東北線103系は簡易冷房改造車。こちらも懐かしい。最後尾のカヤ21は2本帯。
20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1988)
東京に到着し、「富士」のHMを付けたEF66 47と連結された電源車・カヤ21 123。
以前ブルトレを牽いてきたカマは、中線の11番線を使って自ら牽いてきた客車の反対側に機回しされていた。しかし先の写真のとおり東京駅は東北新幹線ホーム新設中。11番線と12・13番線ホームが場所を提供し廃止されていた。
そこで、前に到着した列車のカマが神田方へ引き上げ、牽いてきた客車が品川へ回送されたあと有楽町方に移動し、次に来たブルトレを牽いて品川へ引っ込むという流れになった。この写真では、前に到着したのが「富士」ということだ。複数のブルトレが運転されていたからこそのやり方。
20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1988)
ナハネフ23。分割運転対応のための切妻緩急車。貫通扉の両側に愛称表示器があり、写真の向こう側は「ASAKAZE」の表示になっていたと思う。
20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1988)
ナハネフ22。時代を感じさせる顔である。東京駅の113系も今は昔。
211系快速「アクティー」・20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1989.8.7)
1989年は平成元年。平成になっても20系のブルトレが臨時ながら運転されていた。
この年の3月に登場した東海道線東京口の快速「アクティー」はまだ「快速」のシンプルな表示。
20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1989.8.7)
きちんと表示が行われている、細分化されたナハネフ22の表示幕。
211系快速「アクティー」・20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1989.8.7)
ナハネフ22は動物の顔に見立てた場合の右目が展望室、電話機の見える左目が乗務員室。
20系はもちろん、今や211系や写真の9・10番線ホームもすでに姿を消している。
このあと中央線が新設の高々架ホームに移って京浜東北・山手・東海道線が2線ずつ西に移動したため、211系がいるのが現在の10番線である。
さくら・みずほ・出雲・瀬戸
カット数が少なく、今となっては後悔するばかり。カマの写真も少ないなぁ…。
14系寝台特急「さくら」(東京・1987.11.8)(d)
初めて鉄道写真を撮った日の1カット。0系新幹線が見える。
寝台特急「さくら」は東京と長崎・佐世保を結んだ列車で、分割併合向きである分散電源方式の14系寝台車が用いられた。
EF66 43(東京・1988)(f)
「みずほ」のHMを付けたEF66 43。「さくら」と同じ14系寝台車が用いられた「みずほ」は東京と熊本・長崎を結んでいた。
この写真では14系寝台車は先に到着したカマに牽かれて品川へ引っ込んだ後。HMは色が飛んでしまっている。
14系寝台特急「出雲」(東京・1989)
「出雲」は定期で2往復存在。東京—浜田の列車が14系の1・4号、東京—出雲市の列車が24系の2・3号だった。
24系寝台特急「出雲」(東京・1989)
ブルトレとしての「出雲」は京都から山陰本線に入っていた。現在の285系電車の「サンライズ出雲」は岡山から伯備線に入るルートで運行されている。
24系寝台特急「瀬戸」(東京・1989)
「出雲」と同じく現在は285系で『サンライズ化』されている「瀬戸」。瀬戸大橋開通までは宇野線の宇野まで走り、宇高連絡船に接続していた。
銀河
「銀河」は東京—大阪間を走る寝台急行。ビジネスマン向けに二都それぞれで朝から動き回れるようなダイヤが引かれていた。
寝台料金はともかく、急行料金は200kmを超えたあとは何kmでも同じ料金設定。東京—大阪間の営業キロは556.4kmなので、同区間を走る特急ブルトレと比べ「銀河」は乗り得列車でもあった。
24系寝台急行「銀河」(東京・1989)
ブルトレらしいテールマークが美しい。20系時代はあのホームベース形の大きなフレームいっぱいにこのデザインで表示された。
カマは他の東京発着のブルトレがEF66になってもPFのまま。HMはなく、特急との格の差が表されている。
24系寝台急行「銀河」(東京・1991.9.14)(再掲)
車両は24系25形0番台。24形と同じ顔を持つが、銀帯かつ裾帯がないため印象が異なる。
この写真は私が初めて寝台列車に乗った日のもの。乗車車両はオハネフ25 31で、おそらく編成の中間に入った車両だったと思う。
24系寝台急行「銀河」・485系(米原・1991.9.15)(再掲)
「銀河」に乗ったのは家族で小浜へ行くため。私は上段に寝た。
米原で北陸本線にのりかえる際、こうして485系(489?)のボンネット車の回送に出くわした。
2000(平成12)年には、当時のグリーンスタジアム神戸のナイター観戦に一人で出かけた帰りに再度「銀河」に乗車。
米原まで乗った1度目は高校生だったが、2度目はすでに大人。 オロネ24のプルマン式2段A寝台を体験した。このときも上段だった。ただ、カメラを持っていたのに「銀河」の写真は残っていない。何かの事情があってギリギリに乗車したような記憶もあるのだが…。
「銀河」は2008(平成20)年3月のダイヤ改正で廃止となった。廃止直前は結構世間で話題となったっけ。
24系・14系(品川・1988)(d)
ブルトレ客車が並ぶいまや夢のような光景。
左から24系「銀河」、14系「出雲」、24系「瀬戸」、24系金帯「出雲」、24系「あさかぜ」。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)