2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現Googleアルバム経由での再貼付しかなく、アルバムへの画像貼り直しを進めました。
しかし5月4日に作業の続きをしようとしたら、古いリンクが復活してるではないですか!💢
ということで、アルバムへの貼り直しをしちゃった分は記事への再貼付を進めています。
2011-2014年分の中で画像が全部や一部表示されない記事が残っています。
2009-2010・2015-2016年分記事は再貼付が完了しています。

2024/06/23

進捗報告 & 貨物列車なつかし写真

現在当ブログで、画像が表示されず白黒の⚠️や⛔️が付いたものが並ぶ記事がある。
長らくやっていると記事作成時の画像の貼り方に変遷があり(何しろもうすぐ開設15年を迎える)、今年4月に入ってから、その変遷の境目の1つより古い記事の画像が全て表示されなくなった。

具体的には、「16.8.20 なつやすみの総武本線」以降の記事は原状を保っており、それより前の記事の画像が消えた。

Googleアルバム上ではデータはありそうだがプレビューができない状態になっていた。
それであれば、改めて貼っていくか、と積極的かつ地道に作業(プレビューできない写真を改めてアルバムにアップして、そのプレビューできないほうは削除していく)を進めていった。


急がば回れ

ところが5月4日に、見えなくなっていた画像の表示が復活していることに気づいた。
実は「いつかしれっと復活するんちゃうん?」と思いながら日々作業前にチェックしていたのだが、ほんとにしれっと戻りやがった。

ということで、いま表示されてない写真は「アルバム上の画像データを更新しちゃったが、まだ記事へ貼り直す作業が済んでない写真」である。
アルバム上でプレビューができないまま未更新だった分が「しれっとプレビューが戻った」のだ。
『急がば回れ』を地でいってるな。

なお当記事アップの時点で、記事への画像貼り直しは2009年7月(開設時)〜2010年12月分と、2015年1月〜2016年7月分までが済んでいる。 あと4年分か…。


余計な手出し

画像を貼り直していると、「これ、色を直したいな」ってものがあって、ついでにレタッチして貼り直しているものがある。
そもそも前から黄色くて気になっていたのが2013年8月の近鉄名古屋駅※や鶴舞線の写真。「しれっと復活」の分だが、今回思い出して直してある。撮影時のカメラの設定がおかしくなっていたのだ。
※近鉄名古屋については、それでも黄色っぽいものがあるが…。これ以上いじるのが難しい。

他にも、これを直したら、次あれも気になるなぁ…とズルズル。やってるとキリがないのでいい加減で止めておいた。

なつかし写真(当ブログでは私が10代の頃フィルムカメラで撮った分)では原画が悪くてどうにもならないものもあったりしたが、別の発見もあった。
色を直したけど、そもそも載せた記事がない分が見つかったのだ。

…それが今回の「貨物列車」。
機関車単体の写真を集めた記事はある。
特定路線の記事に含めてアップ済の貨物列車の写真もあったが、そこからあぶれて寝かせたままだった写真たちが、今回のもの。

彼らにも日を当てましょう。


昭和感の2枚窓

ほとんどがEF65の牽引列車で、貨車も途中で切れてたり、ほぼ写ってないものもある。


EF65 28+貨車(五反田・1989)

EF65 0番台牽引のコンテナ列車。
0番台はEF65の中では「一般型」と呼ばれるが、これは500番台(高速旅客用P型と高速貨物用F型)、1000番台(高速貨客両用PF型)があるためだ。
前面窓回りにクリームが回っていない、他の直流電機と同じ塗色。



EF65 6+貨車(代々木・1990.10.29)

中央快速線を東へ進むワム列車(1枚目の単機は再掲)。
EF65 6は1988(昭和63)年に国鉄清算事業団から購入されてJR貨物で車籍復帰した車両。
当時は飯田橋駅東方のカーブ上から分岐した貨物の飯田町駅(歴史を辿ると中央線の前身・甲武鉄道のターミナル駅)があり、紙を輸送していた。
飯田町駅は5階建ての紙流通センターの2階に線路が2本、建物の両端へ分かれるように入る形であった。建物への線路は非電化で、DE10が引き継いだ。
飯田町駅跡は商業・オフィス複合施設『アイガーデンエア』となっている。


EF65 522+貨車(南浦和・1988)

まぁ何とザックリと撮ったお写真でしょう。
昭和63年・中2の私に貨物のダイヤなんぞ知る由もなく、突然現れた貨物列車にカメラを向けただけ、という感じ。
EF65 522は前面窓上にツララ切りが付いていて、その眉毛みたいな雰囲気から私はこのタイプを「両さん」と呼んでいた。


EF65 518+貨車(大宮・1988)

夜の大宮駅での1枚。中線の10番線に佇むEF65 518牽引の列車。
518号機については、ネット上ではツララ切り付グループに含めているサイトを複数見つけたのだが、ご覧の通り付いていない。
これは前述のアップ済分の西船橋で撮った写真でも同様。付いていたのを取ったのかもしれないし、詳細はわからない。


EF65 536+EF65 5??+貨車(品川・1989)

前のEF65 536は当初0番台の78号機として製造されたが、当時の寝台特急増発対応のためほどなく500番台P型化改造された。77〜84号機が535〜542号機に変身したそうだ。高速貨物でなければP型でもOKという例かな?
後ろのカマは番号がわからないが、前面の銀帯が見えるのでPFではなく500番台であることは確定。手前のパンタが下りている。


EF65 5??+貨車(市ヶ谷・1989)

飯田町貨物。若い人はここを貨物列車が走っている風景はヘンな感じだろうな。
未だ活躍中のPFに見慣れていると、この前面2枚窓は昭和感が溢れるな。まぁPFもゴリゴリ昭和だけども。カマの番号は不鮮明で不明。


EF65 534+貨車(三郷・1990)

三郷の西船橋方面ホームで遭遇した短いタンカー。
この時代、武蔵野線から京葉線へ抜ける貨物列車はなく、南流山から常磐線へ流れるものと思われる。


EF65 526+貨車(大宮・1990)

両さん526号牽引のタンカー。
500番台ツララ切り付のラストナンバーがこの車両、というのはあちこち見てきたページで共通していた情報。


EF65 536+貨車(大宮・1991)

再登場の536号機。コンテナに雪が載っている。
やっぱりコンテナは黄緑が国鉄っぽくて好きだ。


EF65 1???+貨車(東十条・1989)

EF65 1000番台はPF型。車番はこれまた不鮮明で特定できず。
1056号以降はパンタグラフが下枠交差型で新製されているが、一部それ以前のカマも下枠交差型に交換された例もあるようだ。



EF65 1059+EF65 ??+貨車(品川・1989)

これまた品川での写真。2両目は0番台で手前のパンタが下りている同様のパターンだ。
EF65 1059は1987(昭和62)年にまとったこの試験塗装を変更することなく、2009(平成21)年の廃車まで維持し続けたそうだ。
最近大宮で復刻機(EF65 2060をナンバーも含め改装)がメイキングされてイベントにちょこちょこ登場している。
その相方としてEF65 1065も試験塗装に復刻されている。


EF65 1???+貨車(五反田・1989)

当記事1枚目と同じ、五反田のカーブを行く。こちらはワムが連なる。
背後には東急池上線の7200系が高架ホームに停まっている。


EF65 1062+貨車(大宮・1990)

またまた大宮10番線。
ナンバープレートの色が変わったEF65 1062は、Wikiによれば写真の年に前面と側面の色がてれこにされた。
これは常用減圧促進改造非施工車を示すものだそうだ。


EF81 15+貨車(新松戸・1988.12.4)(d)

さいごの1枚だけEF81。短いが、黄色や銀のものも含めた派手なタンカー編成。
…銀? 聴いたことのあるフレーズ「銀タキ」で調べたら、1987(昭和62)年製造のタキ143645しかない的なことが書いてあるぞ。
そんな貴重な写真だったのか? …は、このカットしかなく確認のしようがないが、私有貨車(この辺もよく理解してない)も含めて銀はこれしかないのなら、間違いないだろう。
武蔵野線へ流れる連絡線は過ぎた位置だが、どこへ向かったんだろうか?
EF81の前面2枚窓はEF65の0・500番台よりも間が離れている。これは前任のEF80に対しても同じ感じで、目つきのどギツさが緩和された感じだ。
EF80については私が撮影を始めたころは既に消えていた。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)