2009/10/25

09.10.25 グリーン・トレインズ

北千住へ移動。ここでは列車の撮影も観察もせずのりかえだけ。
東武地上ホームから地下のメトロ千代田線ホームに移動する。延々歩かされるがこの間に改札はなく、JRも含めて千代田線ホーム経由で3社のラチ内が一体化している。
唯一つくばエクスプレスだけが別というわけだ。

千代田線で綾瀬へ出る。
常磐緩行線へ出るために乗ったのだが、千代田線北綾瀬支線もデジカメで未撮なので一旦降りた。
北綾瀬支線は6000系ハイフン車もしくは5000系アルミ車3連が綾瀬—北綾瀬の1駅間のピストン運用に就く。ハイフン車1本とアルミ車2本の3本体制だが、営業区間は単線折り返しなので同時に2編成が動くことはない。
支線用0番ホームの車止めの裏で20分ヘッドの列車が来るのを待っていると、となりの上り本線に203系が現れた。


203系(綾瀬)

0番ホーム車止め後ろはスチールの角柱が並ぶ高い柵があるが、コンデジならレンズを突っ込んで撮れる。
203系は千代田線直通用として登場した車両で、東西線直通用301系とともに一切の浮気なく一つの路線で地道に活躍してきた。
私は高校の通学に利用した。新松戸で武蔵野線からのりかえる定番の列車は203系の霞ヶ関行だった。1本後の6000系(明治神宮前行だったかな?)だと遅刻ギリギリだった。
203系としているが、もちろん207系900番台も共通運用だから何度も乗っている。




メトロ5000系アルミ車(綾瀬)

東西線・千代田線で活躍した5000系もいまやここでしか見られない。千代田線は開業当初は5000系のみで、6000系登場後も10年半共存したのち北綾瀬支線用以外はすべて東西線に移籍した。5000系は常磐線には入ったものの、小田急への入線はなかった。
なお、7連3本が造られたアルミ車はすべて新製から東西線で、東西線引退後に北綾瀬支線用として初めて緑の帯を締めた。
私は妙典の車庫で5000系アルミ車の解体作業を目の当たりにしたことがあり、この最後の5000系には末永く頑張ってもらいたい。


5000系を撮ったところで下りホームに戻り、金町に移動。
定点観測の記録モードに入り、飽きるまで撮ったら京成経由で帰る算段。できればE233系2000番台に逢いたい。


メトロ6000系(金町)

綾瀬から乗ったのは取手行。緩行線の我孫子—取手間に列車の運行があるのは朝と夕方〜夜間だけで、平日24往復・土休日15往復。快速線より新しく立派な利根川の橋梁が非常に勿体ない。メトロの車両が茨城県に入るのはこの利根川から取手駅までの間だけだ。
千代田線の乗り入れ先・小田急の唐木田から取手まで完走するのは平日唐木田発1・取手発2本、土休日唐木田発3本。3社直通なのでメトロ車が使われる。平日の唐木田行は朝の1本を取手・天王台で(我孫子からは1時間に1本程度唐木田行がある)、土休日の取手行は早い2本を小田急線内で、それぞれ明るい時間帯に撮れる。それが1編成だけの06系だったら相当ラッキーだ。

29編成は6000系5次車の最初の編成で、天井が高くなり屋根のカーブが変わったため方向幕上のアルミ部分の厚みが増した(車体中央に向かって高さが増えていく)。ドア窓は4次車までのものより少し大きくなり、車内妻面が緑系のデコラになっているのが特徴。
現在はVVVF化のうえドアが交換され、ドア窓は縦長になった。


203系(金町)

JRマークが妙に外側に寄っているマト65編成。203系は国鉄時代に造られた車両で、他の地下鉄乗り入れ車同様JNRマークが入っていた。左の運行番号・方向幕と同様ガラスの中にあったが、JR移行後はガラスの上に黒いシールを貼ってその上にJRマークをつけた。


メトロ6000系(金町)

チョッパ制御のままで外見も登場時の面影を残す4次車の27編成。
6000系はこの4次車から半蔵門線用8000系に倣ったスタイルに変更。側窓は異様に小さい二段窓から1段下降窓となりサイズも拡大、車内が明るくなった。屋根上も冷房準備工事が施されて千鳥配置の角形ベンチレーターは姿を消した。6000系の中でも登場時の姿が一番落ち着いているのがこの4次車だと思う。先の取手行5次車との方向幕上のアルミ部分の厚みの違いに注目。


203系(金町)

203系は17本が製造され現在まで廃車はないが、E233系2000番台の投入により順次廃車となる見込み。来年に投入が本格化するようなので、いまのところは203系も飽きるほど姿を見られる。
17本のうちマト51編成が量産先行車、マト52〜58編成が量産車の0番台、マト61〜69編成がボルスタレス台車使用の100番台だ。


メトロ6000系(金町)

1次車の04編成。側窓は天地が狭く、逆に乗務員室扉はなぜか上方に長い。
各種改造・更新で、現在はVVVF化・冷改・側窓1段窓化・ドア交換(5次車以降タイプ)・表示器LEDの状態になっている。冷改時は側窓は二段のままだったが、サッシが金色っぽくなったのが印象に残っている。


203系(金町)

柏行。常磐線内では綾瀬、松戸、柏、我孫子、取手行がある。
運行番号のKの表示は少しでも横に回り込んで見ると左の縦棒が隠れてしまう。ちなみに、Kは国鉄のKの名残で、メトロ車のSはSubwayのSだ。これは東西線でもまったく同一。
小田急車はEだが、なぜだかはわからない。OdakyuのOはゼロと混同するし、kyuのKは国鉄と被る。残ったdaのDは気動車に見えるからナシだ。小田原急行の急…ExpressのEなのかな?


209系1000番台(金町)

ようやく6000・203以外の車両が登場。2編成しかない209系1000番台だ。正面の帯が色褪せ始めているのが気になる。
現在の常磐緩行線には207系900番台、9月9日に運用開始したE233系2000番台、メトロ06系と、1編成しかない車両が3本。209系1000番台はそれに次ぐレア車だ。203系はE233系にすべて置き換えられるが、この209系は残る。
207系はE233系の投入で一線を退いたと見られたが、9月9日以降にもゲリラ復活があったようだ(203系に不具合が出た?)。未だ松戸で稼働状態で待機している。



6000系・JR207系900番台(代々木上原・2008.10.25・mb)


06系(代々木上原・2008.7.12・mb)

この3枚は小田急方面へ用事で出かけた際にケイタイで撮ったもの。奇しくも207系は今から丸1年前か。ともに狙ったわけではなく、大手町のホームに降り立って1本目に来た列車だ。このあとの日に大手町から新御茶ノ水までひと駅乗ったときは209系(撮ってない)。
その3度の遭遇の間に千代田線には乗っておらず、3連続ですべて狙わずしてレア形式に当たったのだ。
207系もJR移行時は203系同様に黒シールを貼った上でのJRマーク表示だったが、のち黒シールを剥がした状態に変わったようだ。


メトロ6000系(金町)

松戸行。18編成は代々木公園開業用の2次車。先ほどの04編成と同スタイルで登場→同スタイルの更新状態でVVVF化もされている。
千代田線は代々木上原到達前に代々木公園止まりだった時代があり、当時につくられた代々木公園の地下の車庫は今も使われている。


メトロ6000系(金町)

どんどん暗くなってきてオートの露出も変わったらしく、LEDがにじんだ写真になった。
30編成は5次車で、VVVF化されている。


203系(金町)

取手行。なんだか一気に夜になってしまった。E233系はまだ現れないが、暗さと寒さに負けて撤収。
今回撮った203系は100番台編成ばっかりだった。


改札を出て京成金町に移動。


3300形ファイアーオレンジ(京成金町)

またファイアーオレンジが日中の閉じこめ運用に入っていた。
私がこのリバイバルファイアーオレンジをナマで目にしたのは金町線においてだけだ。

京成高砂ですぐの快速にのりかえ。東中山で降りて、このところよくやっている「18時前後の2本の4連上野行待ち」をする。
このところ冬に向かって急激に気温が下がってきて、夜のホームにいると寒い。


3300形(東中山)

57はノーマル3300か。3344っていつだかも見たような…と思ったら、やっぱり2週間前に見たばかり。まったく同じ列車じゃないか。



2本目のB53は3500形原形車。2本ともオーソドックスなのが来てしまった。っても、3500形の原形車は4連4本だけだ。
そのうち2本が写真の3588Fを含むオールステンレスカー。

カメラのバッテリーもなくなったのでこれにて終了。この駅で改札を出て、歩いて帰宅した。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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