2021/06/27

21.2.20&4.17&6.7&6.27 小ネタ集(スマホ)

まぁ記事の立つペースは遅いままで。
相変わらず撮影のために出かけることはなく、出かけたついでのiPhone撮影写真を。


シル&ヘッダー


1000系特別仕様車(上野・2021.2.20)(i)

前記事の2.27の河津桜より一週間前の撮影。
柏で整体を受けたあと、三越前駅まで移動したときに反対ホームに現れたメトロ銀座線1000系の特別仕様車。これが私の初遭遇である。

もし撮影目的で出ているのであれば浅草から戻ってくるのを待ち構えたもんだが、目指した飲食店の昼の営業時間の都合上、泣く泣くこの1枚でガマンした。

そもそも1000系は後続の丸ノ内線2000系とともに営団・メトロ伝統のアルミ車体であるが、それまでの車両たちのような部分的な帯ではなく完全ラッピングで車体装飾をしている。
この39Fと40F…1000系最終増備編成はそのラッピングにシル・ヘッダーの表現(見ての通り陰影を描いているだけで平面)を加え、ヘッドライトも1ツ目スタイルにして、銀座線の先祖である東京地下鉄道1000形の姿を再現した。

そもそも1000系そのものの外観がその1000形に基づいた意匠であったのだが、この2本はさらに近づけたわけだ。
車内は木目デコラと緑のシートモケット、照明も電球色の表現を可能とし、予備灯も装備している。
予備灯は窓柱に付いているもので、走行中に第三軌条が途切れるところで天井の照明が消えると、その間だけ補助灯的に点灯するのだ(常に動作していたから非常灯とは言い難い)。
これは01系に統一される1993(平成5)年まで走っていた2000・1500形でも見られたので、私も幾度となく体験している。

元となった1000形の内壁はたしかに木目であったが、実は1000形の内壁も木目を印刷した化粧板だったことは意外と知られていないのではないか?
国内初の地下鉄であり不燃対策は当時から注力されていたが、木製の内装は当時の鉄道車両の標準であり、雰囲気を合わせたのだ。

考えてみれば、全面ラッピングも似たような感覚だ。ただ当ブログで何度か触れているが、1000系も製造から月日が進んできて、ラッピングに汚れや痛みが見える編成も出てきているのが気になる。
明かり区間は渋谷駅前後と上野の車庫だ。上野の車庫は地平と地下の2層建てである。


アーパーエクスプレス

月イチの柏の整体の帰り(そればっかだな、おい)。

通常は常磐緩行で新松戸へ出て武蔵野線で西船橋へ進むのだが、昨年5月は2ヶ月前に登場した東武アーバンパークライン(野田線)の船橋口の急行を体験しようと東武の改札に入った。
ただそのときは改札に入ったタイミングで急行が出てしまい、次の急行まで30分、それは待てぬと普通列車に乗ったのだった。

今回は改札を入る前に発車予告表示を確認。数分後に出るグッドタイミングだったので入場した。



60000系(柏・2021.4.17)(i)

東武の柏駅ホームは2面4線の頭端式。手前が船橋行急行で、奥は大宮方面の列車。
もともと船橋口の柏駅ホームは東側…常磐緩行線ホーム側にあって路線名も「船橋線」であったが、1930(昭和5)年に西側の野田線ホームに統合された。
その後1948(昭和25)年に路線名としても船橋線は野田線に吸収された。

大宮口〜船橋口相互ののりかえは橋上コンコースに上がるほか頭端側で平面移動もできるが、遠回りになる。


8000系(柏・2021.4.17)(i)

こちらは後続列車となる普通。
8000系はいつなくなるのか? たまに乗る身での視点では、まだまだ当たり前のように見られる感じだ。
同じような感覚だった武蔵野線205系は昨年10月についに消えてしまったな。


60000系(柏—新柏の車内・2021.4.17)(i)

出発。柏を出ると、新柏・増尾・逆井(さかさい)は通過して、高柳を目指す。

高柳は柏方に留置線を備える駅である。この数年で環境が大きく変わった。
船橋口では逆井—高柳—六実の3つの駅の間が単線で残っていたが、複線化が決定。複線化に伴い運行開始する急行は高柳で緩急接続を行うため、同駅を「地上駅舎・2面2線の対向式ホーム」から「橋上駅舎・島式2面4線」に変身させたのだ。
またかつては留置線から出る列車は当駅始発だったのに対し、船橋方からやってくる入庫列車はなぜか手前の六実駅止まりで運行され、高柳駅を回送でスルーしてその先の留置線に入るという形がとられていたが、それも急行運転開始と同時に解消された。
逆に長らく設定があった六実駅発着列車は廃止され、同駅は2面3線から2面2線に縮小された。


60000系(船橋・2021.4.17)(i)

さすがにちゃんとダイヤを組んだ速達列車だけあって、高柳と新鎌ケ谷に停まっただけでスイスイと船橋に着いた。
平成に入っても5000系列が幅を効かせていたが、あのころのチンタラ感はなくなったな。

ただ大宮口の春日部—運河間はいまだ単線のまま。野田市周辺は高架化工事をしているが、それも補助金の範囲が踏切解消の分だけのため単線で高架化が進んでいる。
地上の単線区間でも今世紀に入ってから南桜井駅や梅郷駅の場内の複線部分を伸ばす工事を行った。行き違い可能範囲を拡げ、少しでもダイヤ引きの縛りが減るよう工夫が施されている。


ほんとにどうでもいい2枚


2000系(2021.6.7)(i)

仕事終わりで淡路町の飲食店へ向かった際の、丸ノ内線2000系車内。
2面ディスプレイが幅を効かせる中、路線図はついに天井に追いやられていた。
いまはスマホでなんでも見られる時代であるが、路線図を確認したいアナログ世代には字が小さくて目も首も疲れ、辛い仕打ちだろう。


12-000形(両国・2021.6.7)(i)

淡路町で食事をしたあとひたすら東へ腹ごなしで歩き、都営大江戸線両国駅までたどり着いた。
A5出入口から入ったが、改札までがとにかく遠い構造は都営地下鉄臭がプンプン。
JR総武線の両国駅まで一番近い出入口同士でも300mほど離れており、のりかえ駅としては不完全である。

やってきた列車が清澄白河止まりだったのでつい撮った。12-000形にフルカラーLED化した編成があるとは知らなかったな。
大江戸線を使うことはなかなかなく、清澄白河行は自身では初めて撮ったと思っていたが、8年前の清澄白河駅ですでに撮っていた

でも大江戸線、10月からは職場の移転に伴って通勤で乗ることになりそう。自身の異動がない限りは。


快特

当記事のアップは6月26日だったが、翌日予定外で写真が加わったので追加。

日曜であるこの日、出先でのいろんな流れから、飛行機に乗るためではないが羽田空港へ向かった。
都営浅草線の東銀座の改札を入ると、黄色い京急1000形! しかしドアが閉まったところだった。
次にやってきた列車は都合よく乗りっぱなしで行ける快特羽田空港行。北総7300形であった。


北総7300形(羽田空港第1・第2ターミナル・2021.6.27)(i)

終点の羽田空港第1・第2ターミナル駅(…長ぇな)で記録。
少し前には東銀座から日本橋まで2駅だけ乗った日もあるのだが、やはりこの7300形だった。

北総線が京成高砂に延伸開業したのが1991(平成3)年3月で、この形式はいとこである京成3700形とともにその時期にデビューした。
今年で30周年だが、車体はピカピカしているな。

いとこの3700形は京急線内の種別である 快特 の表示を持たず、京急線内で快特に入る際は京成の種別である 快速特急 を用いている。種別表示器のコマは空いているのに、なぜか頑なにその使い方を続けている。
対してこの7300形は京成で通常は快速特急に入ることがないためか、逆に 快特 の表示しか入っていない。
なお両形式には ×急行 、3700形には ×快特 の表示も入っている。(×は飛行機マーク)

京急の「快特」は以前は快速特急の略だったが、現在は「快特」が正式名称。
京成では「快速」という種別があるため、特急の上位種別を“かいとく"と呼ぶと紛らわしいため、「快速特急」となっている。
ただ現在京成では「急行」の運用が消滅しているため、「快速」を「急行」にして、「快速特急」を「快特」にすればもろもろスッキリする気がする。


北総7300形(羽田空港第1・第2ターミナル・2021.6.27)(i)

前回乗った際に初めて知った、LCD化されたドア上表示器。
アングルばかり気にして撮ったため、嫌いなハングル表示になっているのにまったく気づいていなかったな。

コロナ禍で旅行は活発化しておらず、空港内は日曜の夕方にしてはやっぱり人が少ない感じだった。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)