前記事のとおり、今回はレンタカー旅。
旅のメインの非鉄の用事の合間にことでんを撮ってきた。
ついでの1枚
8月20日。
雲辺寺ロープウェイ第二駐車場でのブルトレ保存者撮影をしたあと、宿のある高松に戻った。
1300形(片原町—瓦町・2022.8.20)(i)
宿にチェックインする前に、駐車場のあるファミマに寄った。
車を降りるタイミングで脇の踏切が鳴いたので、ついでにスマホで記録。
『お〜いお茶!』のラッピング編成1301Fは、初めてことでんを撮った日から何度も会っている。
この記事ではこの1枚だけ20日の撮影。日でくくれば前記事だが、ことでん流れのためこっちに含めた。
みどりの長尾線
8月21日。
レンタカー移動の最中、先に見えることでん長尾線の踏切を赤い電車が横切っていった。
10時過ぎの花園駅近くで、瓦町へ出る列車だった。
旅の用事の1つを済ませ、次に向かう間に赤い電車を狙って長尾線撮影に赴く。
たどり着いたのは、西前田駅脇の踏切。まず現れたのは同駅11:13発の高松築港行だ。
1200形(西前田—高田)
1255F。長尾線の1200形(元・京急700形)は4本が所属。うち3本は50番台で、琴平線の車両と区別されている。
琴平線の1200形は琴電転入時に放送装置の電圧を同線所属の他形式と揃える改造が行われているが、長尾線では併結での営業運転がないため非改造であることが由来。
京急700形(六郷土手・1992.4)(再掲)
種車の京急739F。写真先頭の739が現・1256。最後尾が740で現・1255。ことでんでの付番は奇数・偶数が逆になっている。
1200形化の際は中間のT車を抜いて2連とした上で1M1T組成のバランスに変えてあり、奇数車・偶数車とも連結面寄りの台車のみモーターが付いていて、高松築港寄りにあたる偶数車はパンタが撤去されている。
私が撮った700形の写真は2枚しかなく、そのうちの1枚の車両が今も走っているのは嬉しい。30年前か…。
1200形(西前田)
停車中に駅に接して撮影。ことでんの標準的な規模の駅だ。
1255Fは元・セブンイレブンの広告編成。広告がなくなったあとベースの青緑1色塗りだった時期があり私にはその姿の印象が強いが、振り返ったらおととし今の姿でも撮って・乗っていた。前回のことでん撮影の大トリだった。
1200形(西前田)
11:19発の長尾行は1251F。赤いのが来ないな。
1200形(西前田—高田)
長尾線は24分ヘッド。2時間で5本というローテーションになる。
おととしの前回訪問時は20分ヘッドだったが、コロナ影響もありその11月のダイヤ改正で減便された。
次の場所を求めて移動。吉田川橋梁の前後がカーブで面白そうだ。
吉田川の両岸とも堤防道路で、踏切となっている。まずは右岸の踏切で上り列車を待つ。
1200形(水田—西前田)
現れたのは1215F。
当初琴平線配置だったため、下2ケタが50番台ではない。
1215Fが向かった次駅・水田で上下列車が交換するはずのなので、ほどなくやって来る下り列車を撮るためそそくさと下流の道路橋を渡って左岸に移動。
吉田川橋梁を進めばショートカットだが、絶対にやってはいけない。
600形(水田—西前田)
高松自動車道を低い高架線でくぐって現れたのは赤いのではなかったが、まさかの600形。
ことでんで唯一全3路線に配置されている15.5m車で、名古屋市営地下鉄の車両を冷房やパンタ取付も含めて改造したものだ。
長尾線で現在主に活躍している元・京急の大型車1200・1300形が入線するまで、長尾線は小型車規格の車両限界だった。
その小型車規格ゆえつりかけ駆動の古典車両ばかりで運用していた時代に、待望の冷房車として投入された。
大型車対応工事が済むと長尾線に元・京急車を入れ、押し出される600形を小型車規格のままの志度線に移し、志度線の旧型車を一掃した。
志度線の必要分を満たしても600形は2連4本が余り、長尾線と琴平線に2本ずつ配置の現在に至る。琴平線ではつなげて4両編成とし、主にラッシュ時に運用される。
こちら長尾線では全列車が2連なので、小型車の600形の出番は少なめ。この日曜11時台に会えるとは思っていなかったな。もしかしたら日常風景なのかもしれないが。
600形(水田—西前田)
613Fは名城線中間車からの改造。613は1700形、614は同1900形が種車で、運転台取付も改造内容に含まれる。
私のイメージでは長尾線の600形は平日のラッシュ時くらいしか走らないものだと思っていた。私が訪れるといつだって瓦町の留置線にいたのだ。
走行シーンの遭遇は、おととし前述の1255Fに乗る直前、仏生山へ向かう回送列車を見た1回だけだったので、これは収穫だった。
(水田—西前田)
吉田川橋梁はコンクリートの近代的な橋だが、長尾線の大型車対応の際のタイミングで架け替えられている。
2枚目は右岸側。道路のガードレールとそれに並行する白い柵の曲がり具合やレールが置かれたスペースを見れば、旧橋は上流側(1枚目の左側)に架かっていた想像はすぐにつく。
1200形(水田—西前田)
1251Fが長尾から戻ってきた。白い柵は軌道敷に対するものなのがわかる。そしてその曲がり方はかなり急だ。
この旧・吉田川橋梁へのアプローチの急カーブも大型車対応のネックだったそうだ。
ほかは主に駅のホームを削ったり移動したりする形で対応した。
1200形(水田—西前田)
高架と築堤を進んできたのはこちらも再遭遇・きょう最初に撮った1255F。
長尾線は吉田川橋梁を渡るとこの築堤と高架を進み、高松道をくぐると高度を上げて長尾線唯一の高架駅・水田に至る。
初めて長尾線に乗った日、知識なしで水田駅にさしかかった時は驚いたが、その時に対向列車として停まっていたのがこの1255F。前出の青緑の姿のリンクの記事では、高架化の経緯も含めてまとめてある。
あかい長尾線
時間は変わって17時頃。あちこち回って宿のある高松市街に戻ってきた際、赤いのが居やしないかと寝蔵を訪れる。
1300形(瓦町—花園)(i)
やっぱりここか。今年春に京急カラーに回帰した「追憶の赤い電車」1305F。
この1枚はiPhone撮影のもので色合いが若干違う。同じアングルのデジカメの写真が、露出が特におかしなことになっていたので(まぁわかる方はわかる通り、ほかの写真も空が飛び気味である)。
1300形(瓦町—花園)
これまで元・京急新性能車のリバイバルカラーは琴平線の1080形(還暦の赤い電車)・1200形(情熱の赤い電車)と過去2度登場していたが、長尾線は初登場である。
前2回同様、任意団体によるクラウドファンディングで費用を集めて実施されている。
1080形と1300形は元は同じ京急初代1000形であるが、仕様の違いが大きいため形式が分けられている。
見た目でわかりやすい1080形との相違点は、屋根上の集中式冷房と、黒地白抜きの方向幕。方向幕配色については琴電移籍後も種車を踏襲しているのが、鉄道ファンとしては好感。
まぁ通常は長尾線色だからそれで1300形と確定できるが。
長尾線用らしく他形式との併結営業運転をしない前提の構造なのも、1080形との大きな違いだ。
1300形(瓦町—花園)
ことでん色の際の車号は、ちょうど白帯に収まる位置だったことがわかる。
1300形・1200形(瓦町—花園)
人工地盤の軒下で、左が留置線・右が営業線。長尾方の顔だけちょっと外に出ている。
軒下の奥・瓦町駅寄りにもう1本置けるようになっている。
600形(瓦町—花園)
踏切を挟んだ長尾寄りには、訪れるたびいつもこいつがいる。これで4回連続(2018・2019・2020)だ。
11時台に吉田川で撮ったんだが、先に抜けた赤いのより奥に押し込められているのが面白い。
長尾線のもう1本・601F(上記2019のリンク記事にあり)は東山線250形からの改造で屋根肩のカーブがゆるく印象が違うが、私が訪れた際にこの位置に601Fがいたことがない。たまたまかもしれないが。
後日追記:調べたら、このときの613Fは瓦町→長尾→高松築港→瓦町(高松築港発の列車を瓦町での車両交換で出入庫)だけ運用に入った模様。かなりなラッキー。
これにてこの日の撮影はおしまい。赤いやつの走行シーンはあす撮っておきたいな…。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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