2010/10/24

10.10.23 マニ・オニ・モト・カー

今回はマニ50とそれにちなんだ車輸送系列車のなつかし写真などを。


マニ50とオニ50

きのう尾久を訪れた際、ホーム近くの線に「ゆうマニ」ことマニ50 2186が1両でぽつんとたたずんでいた。背後にはスカイツリー。





マニ50 2186(尾久)

ゆうマニは485系のジョイトレ「リゾートエクスプレスゆう」が非電化区間へ入る際の電源車兼控車で、双頭連結器を装備している。車両の配給列車にもよく用いられることで有名で、本来のゆうを誘(いざなう)う仕事よりもそちらのほうが多い。
最近では車両交代が進むわが近所の京葉線にも頻繁に顔を出している

マニ50は50系客車の荷物車で1977(昭和52)年から236両も製造されたが、1986(昭和61)年には荷物輸送が廃止されたため、翌年のJR以降後に残ったのは63両だけだったそうだ。


マニ50(尾久・1988)

奇しくも同じような位置で撮った原形のマニ50(もう22年前か…)。50系客車はレッドトレインとよばれる赤塗装だったが、マニ50やスユニ50は紺塗装。独特な折妻が50系であることを示している。車番は拡大しても読み取れなかった。



マニ50(尾久・1990)

こちらはマニ50 2130。見比べると、ゆうマニは荷扉が1つつぶされているのがわかる。


オニ50(尾久・1990)

マニ50に続いて連結されているのはオニ50 2312。オハ50から形式変更されたこの車両は「アメリカントレイン」で使用されたもの。駅に留置するアメリカ製品の展示パビリオンとして使われた。
オハ50として使われているころは非冷房だったのに、このアメトレ化の際に冷改を受けている。写真はマーキングなどを外した抜け殻状態。



オニ50+マニ50(尾久・1990)

2枚目はその前の4枚とは別の日のもの。
オニ50 2312はこの年の8月に上越・高崎線で11日間運行された「HITACHI80周年記念号」で14系7両とともに編成された2両のオニ50のうちの1両と判った。写真の向かって左のオニ50はそのもう1両である2308号だと思う。
2両は写真の状態のあと14系と同じ青20号+白帯2本に塗り替えられてその列車に使用された。当時の鉄道雑誌(たぶん当時地元書店で毎号取り寄せしていたDJ誌)でその写真を見て、「この50系は何だ?」と驚いた。何しろオニ50の説明が全く書いていなかったのだ。この記事を書くにあたって調べたところ、その前の姿をこうして撮っていることが判明した。
なお、その後の2両は列車に使われることもなく姿を消したようだ。


MOTOトレイン

生き残ったマニ50が活用された例にはこんな列車もあった。


「MOTOトレイン」マニ50+14系急行「八甲田」(上野・1988.8.12)(d)

「MOTOトレイン」は荷物輸送が廃止になった国鉄時代の1986年夏に登場したもので、バイクツーリング客が東京から愛車とともに北海道へ渡れるというもの。上野—青森を走る14系座席車急行「八甲田」に、MOTOトレイン客専用オハネ14が1両とバイク積載用に整備したマニ50(車番変更なし)を2両増結する形で運行された。
青函トンネル未開通のあいだは、マニ50はそのまま青函連絡船に積み込み函館まで航送、寝台車は積まないので、客は連絡船の客室に移ったそうだ。トンネル開通後は急行八甲田が青森から先を快速「海峡」として函館まで延長運転する形に移行した。



「MOTOトレイン」マニ50+14系急行「八甲田」(上野・1988.8.12)(d)

寝台車はマニ50 2両のとなりに連結されていた。この日はなんとトップナンバー・オハネ14 1だった。このMOTOトレイン客用オハネ14は原形の3段寝台車が使われた。

寝台特急「日本海」にも「モトとレール」という同じような運行が行われていた。関西弁で「元取れん」に聞こえる愛称を嫌い、元取れるこの名前になったそうだ。字面では「モト&レール」の意味になるが、「トレール」というのもバイク用語だ。
こちらはマニ50は1両・オハネ25 1両の増結。マニ50は24系に合わせた青20号に銀帯2本になった。


カートレイン

バイクではなく車を運んじゃうのがその名も「カートレイン」。



EF65 1???+ワキ10000+20系「カートレイン九州」(品川・1988)(d)

私の撮った写真の中に、このカートレインの先頭から撮ったものがまったくないのが悲しい。それは、通るのを知っていて撮ったわけではないからなのだが。
こちらも国鉄時代の1985(昭和60)年に運行が始まった列車で、汐留—東小倉間で運転。その後東京側は恵比寿、浜松町と出発駅が移った。浜松町駅のカートレインホームについてはこないだの記事参照。



EF65 1???+ワキ10000+20系「カートレイン九州」・「やまぐち」用12系(品川・1989)

こちらの記事でもちらっと紹介した、やまぐち号用12系との並んだときのもの。ワキ10000にカヤ21が顔をつけてつながっているので、最後尾はナロネ21が妻面丸出しという形だろう。


EF58 61+12系「江戸」・EF65 1???+ワキ10000+20系「カートレイン九州」(品川・1988.4)(d)(再掲)

61牽引のジョイトレ「江戸」と並んだカートレイン。最後尾はこんな感じになる。カートレイン九州は写真のように20系客車が使われていたが、のち14系に交代したようだ。




EF65 1???+20系+ワキ10000「カートレイン九州」(品川・1989.8)

このへんがようやく車両をすっぽり撮れているもの。私にとっては幻の列車になってしまった。なお、カートレイン九州に関してはどの写真も運行中のものか回送中のものか、よくわからない。

カートレインはほかにも「カートレインユーロ名古屋」(熱田—東小倉)や「カートレイン北海道」(恵比寿→浜松町—白石)、北のみの「カートレイン釧路」(白石—新富士)や「カートレインさっぽろ」(東青森—白石)などがあった。
…白石と新富士というと同名の駅があるのでもうどこだかわからなくなってしまうが、当然ともに北海道内の駅。ま、別のほうの新富士は新幹線のみなので、わかるといえばわかるが。
なお名古屋のものは名前のとおりジョイトレ「ユーロライナー」の客車を2両使用していて、車を積むマニ44(貨車そのもののパレット式荷物車)も同色に塗り替えたものが使われた。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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