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2016/09/30

16.9.21 阪奈神フォロー旅・13/大阪市営地下鉄

大阪環状線の撮影を終え、大阪駅に。
外に出て、10年以上前に数回訪れたお好み焼店へ。
ややこしい大阪梅田界隈の地下道をあちらこちらと進み、カンを頼りに店にたどり着く。
入居していたビルは新しいものに変わり、店もまったく違う雰囲気に。ただ場所は同じだった。

食後にはほぼ日が暮れた状態に。
今回は有休を取って出てきているので、職場へのお土産を買わないといけない。
そこで、前日午前に訪れたNGKでウケ狙いの品物を買うことにした。

食事をした店から近い駅は大阪市営地下鉄谷町線の東梅田駅だ。


地下鉄巡り

大阪市営地下鉄は大阪環状線の内側に格子状に線路を張り巡らせている。
平成になってJR東西線、21世紀になって阪神なんば線が全通したが、それまでは環状線の内側を貫く高速鉄道は大阪市営地下鉄だけであった。
モンロー主義という考え方に基づき、大阪市が事実上市営鉄道以外の貫通路線建設を認めてこなかった歴史があったのだ。

そんな格子状の路線構成を見て「なんばまでできるだけ多くの路線を経て行ってみよう」という考えが沸いた。
シンプルに行くのであれば最初から御堂筋線の梅田駅に出てなんばへ一本、というルートだが、近いこともあって東梅田駅の改札口へ入った。

撮り鉄をしていなかった20代のころ、当時の大阪ドームでの野球観戦に行ったことがあった。
試合はデーゲームで、午前中にホテルを出てから時間つぶしで地下鉄各線に乗った。その時はニュートラム、OTS区間も通った。今里筋線はまだ形もなかった頃だ。

現時点で御堂筋線しか運用中の列車の写真は撮っていない状態。各線の車両を撮りながらちょこちょこと進んで行こう。

 谷町線 
谷町線は大阪市営地下鉄2号線。路線名は「谷町筋」から。
北は守口市・南は八尾市と両端が大阪市を飛び出しており、御堂筋線を押さえて路線延長トップを誇る。
経路は直上の道路の交差点を直角に近い形で曲がる箇所が多く、起点と終点を直線で結んだ距離では御堂筋線のほうが離れている。



谷町線30000系(東梅田)

まず現れたのは30000系。大阪市営地下鉄の最新系列で、御堂筋線用に31000台、谷町線用に32000台が充てられている。
谷町線は御堂筋線同様全線通しの列車と都島—文の里間の小運転列車の2本立てダイヤになっている。
谷町線は当初は御堂筋線の梅田駅に接続し島式ホームで対面のりかえできるようにする計画であったが、梅田駅に向かう途中で落盤事故があり、手を付け始めてから計画を変更、離れた位置にこの東梅田駅を設置した。
梅田駅の谷町線が来ず使わないままになっていた場所は、1989(平成元)年から、上下線共用の島式ホームが手狭になった御堂筋線のなかもず方面用ホームが設けられ、旧なかもず方面線路は江坂方面用ホームの拡張に活かされている。


谷町線30000系(東梅田)

八尾南行が到着。30000系が並んだ。谷町線の30000系は2009(平成21)年からの投入で御堂筋線より早い。現在13編成が在籍しており、旧形車である30系を置き換えた。
30000系が登場した頃の谷町線は30系のステンレス車・アルミ車、22系など多彩な顔ぶれであった。

30000系で次の南森町へ移動。


谷町線30000系(南森町)

22系も撮りたいので、すぐにのりかえに行かずしばし待ってみることに。


谷町線22系(南森町)

反対側に登場。22659Fは元・中央線24系だそうだ。中央線からの転属は多く、7本ある50番台が元・24系、2本ある60番台は元・24系50番台(←さらに元・OTS所属のOTS系)だそうだ。

南森町も御堂筋線の梅田駅同様にホームを増設した駅。
もともとは島式ホームだったところに大日行ホームを新設し、従来のホームは八尾南行専用ホームとなった。
この日午前中に通った学研都市線京橋駅や、東京だと山手線渋谷、メトロ銀座線新橋・日本橋、丸ノ内線霞ケ関駅などで見られるスタイルだ。


谷町線22系(南森町)

こちら側も次は22系が来た。さて、堺筋線にのりかえよう。

 堺筋線 
堺筋線は大阪市営地下鉄初の架線集電路線で、阪急千里線・京都線と相互乗り入れを行っている。
南は南海電鉄に接続する天下茶屋止まりだが、北は北千里・河原町まで行く列車がある。


堺筋線66系(南森町)

66系は堺筋線2代目の系列。初代は30系に似た60系アルミカーだったが、全廃されている。


堺筋線66系(南森町)

反対側線路の天神橋筋六丁目行。堺筋線内のみを走る列車。堺筋線は両端の駅が「天」で始まる。ビードに合わせず突っ切った茶帯の処理がダサい。
ご覧のように方向幕の漢字は長すぎて収まらず「六」で止めているが、英字はフルで書かれている。
実際には「天六」が通称になっていて、口でフルネームを言う人はほぼいない。
私が小さい頃に見た電車の本では60系が「天 六」とだけ書かれた方向幕を出してる写真が載っていて、路線図で一生懸命その駅名を探した記憶がある(…写真を見たのは勘違いかも)。
いま保存されている車両では「天神橋筋六」という幕が入っている。




阪急8300系・堺筋線66系(南森町)

阪急車を待っていたら、向こう側に来た。しかも8300系「古都」ラッピング編成だ。準急河原町行で、構内放送では「京都河原町」とアナウンスしている。
66系にはラインカラー変更・フルカラーLED表示・スカート付となったリニューアル車があるが、現れてくれなかった。


阪急3300系(南森町)

阪急の初代直通対応系列・3300系が登場。阪急独特のツヤツヤマルーンが美しい。
冷改の際に顔も変わり、種別幕の追加、何もなかった窓下へ標識灯が移るなどして2200系以降の顔に近づいた。
この列車に乗る。


阪急3300系

木目柄が特徴の阪急の車内。この内装で地下区間を通ると、時代や国を超えたような感覚に陥った。
3300系はとっくに引退した大阪市60系よりも早く製造が始まった車両であるが、いまだ多くの車両が現役で活躍している。
この編成はリニューアル工事を受けていて、ドアや妻面の化粧板が濃い色のものになって窓が下に拡大されたり、鎧戸がロールカーテンになったり、床に模様が入ったりと変化が起きている。
堺筋本町駅で降り、中央線ホームに移動。

 中央線 
中央線はコスモスクエアと長田を結ぶ東西の幹線。路線名は「中央大通」から。
コスモスクエア—大阪港の1駅間はもともとは大阪港トランスポートシステム(OTS)の路線として開通したが、現在は大阪市が運行(第二種)し、施設のみOTSが持つ(第三種)状況に変わっている。


(堺筋本町)

整理されてるような、されていないような駅名標。船場の表記は何を意味するのか?


近鉄7000系(堺筋本町)

現れたのは近鉄車。遠くで車のクラクションが聞こえたような気が…。
この駅は3月に訪れた淀屋橋駅と同じで「赤帯帽の偉い駅員さんが先頭に仁王立ちシステム」導入中で撮影には不向き。とっとと列車に乗ることにした。
中央線は長田駅を境に近鉄けいはんな線と相互乗り入れ運転をしている。けいはんな線は当初は生駒駅までの路線で「東大阪線」を名乗っていたが、学研奈良登美ヶ丘までの延伸と同時に改称した。
無論中央線に合わせた、近鉄では唯一の第三軌条集電方式。車両の塗色も他の路線では見られない独自のものだ。


近鉄7000系(森ノ宮)

谷町四丁目駅を経て森ノ宮駅に到着。
そして、乗っていてクラクションの正体がわかった。この車両が発する警笛だった。タイフォンではなく、まさにクラクションだ。
そんな無骨な警笛の車両だが、なんと鉄道車両初の通産省グッドデザイン商品に選ばれたという誉れ高き車両。



中央線20系(森ノ宮)

森ノ宮駅は2面3線。1番線にはこの回送表示の列車が停まっていたが、そのうち発車していった。
20系は大阪市営地下鉄初の量産VVVF車として登場し中央線と谷町線に導入されたが、谷町線用車両はけいはんな線開業を前に中央線に異動した。
これは、駅間の長いけいはんな線に対応するための在来車高速対応化改造を近鉄負担で実施とになったことに起因し、「20系を回して機器更新も兼ねてやってもらえ」というのがゲスな言い方のようだ。
まだ更新するまでもない24系は必要数を残してあとは20系と入れ替わりに谷町線へ出て行った。


中央線20系(森ノ宮)

生駒行。向こうの線路も含め、24系はなかなか現れない。そして近鉄車が来る確率が意外に高い感じだ。
11編成あった24系は谷町線との車両トレードで4編成しか残らず、最近20系トップナンバーが廃車となったため四つ橋線23系が1本異動してきて24系となり、5本体制になった。



(森ノ宮)

ホーム端からトンネル内を見る。ホームと同じレベルの通路らしきものが奥へ続く。
森ノ宮駅は車庫が隣接しており、長田方は複雑に渡り線が設けられている。
中央線は千日前線・四つ橋線・谷町線との交点にそれぞれ連絡線があり、3月に車庫を大阪城公園駅から眺めた際は千日前線25系も見えた。四つ橋線は大国町で御堂筋線とつながっているので、第三軌条式の5路線は自社線内で相互に車両のやりとりが可能だ。



近鉄7000系(森ノ宮)

24系は来ずこの列車であきらめたが、東大阪線開業30周年のHM付編成だった。すんげー文字が読みにくいんスけど…。
近鉄車も7020系という系列があるが、4編成しかなくなかなか会えないようだ。
長堀鶴見緑地線のホームに移動。

 長堀鶴見緑地線 
長堀鶴見緑地線は、1990(平成2)年に鶴見緑地での万博『国際花と緑の博覧会』(花博)のアクセス路線として開業。当初は京橋—鶴見緑地間の営業で、路線名も「鶴見緑地線」だった。
1996(平成8)年に京橋から心斎橋へ延伸した際、長堀通の下を通ることから現在の長い路線名に変更された。むしろ「長堀線」でよかったように思える。
翌年路線の両端が大正・門真南へ延伸されて現在の形になっている。
規格は小断面トンネル・小型車。国内の鉄輪式リニアモーターカーの営業路線第一号だ。


(森ノ宮)

中央線堺筋本町と違い、下に余白が多い駅名標。


長堀鶴見緑地線70系(森ノ宮)

長堀鶴見緑地線は70系のみ25編成が揃えられている。
7110Fは1次車で、更新工事を受けて2次車に合わせたこの塗色に変わった。


長堀鶴見緑地線70系(森ノ宮)

私の乗る方向の列車は門真南行。トップナンバー編成。当路線はワンマン運転であり、ホームドアが整備されている。


長堀鶴見緑地線70系

乗ってみたら、車内にローレル賞プレートが。
3月の山陽3000系、今月3日の神戸市1000形に続く、関西遠征時のトップナンバー編成&ローレル賞プレートへの遭遇となった。
しかし調べてみたら、70系に関してはトップナンバー編成以外にもローレル賞プレートが付いているようだ。


長堀鶴見緑地線70系(蒲生四丁目)

蒲生四丁目で降りる。
このトップナンバーは未更新。正面窓下の模様は7号線を示す「7」の字をアレンジしたものだが、更新車の中にはこの7がピンク色の編成もあるようだ。

次の路線、今里筋線へ移る。のりかえは結構な距離があった。

 今里筋線 
今里筋線は2006(平成18)年に開業した大阪市営地下鉄では最新の路線で、長堀鶴見緑地線同様小型リニアモーターカーでの運行。
大阪市の東側を通り、大阪市営地下鉄では唯一「大阪環状線内に入らない」・「基幹路線である御堂筋線と接続がない」路線という存在。
そんなところからか、利用者数は伸び悩んで長堀鶴見緑地線とともに赤字路線となっている。
大阪出身の私の知人は「あの辺りに路線を通してもシルバーパス利用者が多いから収入にならへん」なんて揶揄をしていたが…。


(蒲生四丁目)

少し下の空きが多いようにも見えるが、駅名標の余白バランスはあまり考えられていないんだろうか?
緊張して肩がすくんでいる感じ。リラックスして肩を下げる…上をもう少し開けると安定感が出る。


今里筋線80系(蒲生四丁目)

こちらでもトップナンバーに遭遇。80系は同じ小型リニアモーターカーの70系がベースになっている。
正面向かって左下の模様は8号線を示す「8」をアレンジしたものだ。
今里筋線と長堀鶴見緑地線は車両基地を経て連絡線でつながっていて、80系は長堀鶴見緑地線の鶴見検車場で検修を受ける。


今里筋線80系(蒲生四丁目)

3つめの終点・今里駅まで乗り通す。今里筋線は今回が初めての乗車だった。

 千日前線 
千日前線は南巽(みなみたつみ)—野田阪神間の路線。第三軌条式の路線では一番歴史が浅い。路線名は「千日前通」から。
現在の阪神なんば線となる路線の構想が出た際、大阪市がモンロー主義に基づきこの路線を計画したとも言われている。
鶴橋—桜川間は近鉄難波線〜阪神なんば線とごっつり被っているし、終点は阪神の駅への接続となっている。


(今里)

中央線堺筋本町での写真と同じ、高さがある駅名標。イレギュラー要素がなくすっきりしているが、駅ナンバリングは後から追記されているのが明らかだ。

この駅でも今里筋線からの移動は距離があった。新しい路線は昭和に掘られた路線と較べ建設時の既存の地中埋設物の多さの影響を受けるし、他路線と交差するには深く潜らなければいけない。
ふだん東京メトロを利用する私は、のりかえ通路が長い駅は予め知りながら通るので何ともないが、おそらく大阪の人が東京に来れば同じように感じるのりかえ駅は多数あるだろう。
ただ同じ東京でも都営地下鉄だったり、名古屋市営地下鉄なんかは無駄なコンコーススペースが多く、敢えて地上の出入口から改札までや改札からホームまでの距離を遠く感じさせるように造ってるんじゃないか? と思わせる駅が多いように感じる。


千日前線25系(今里)

小型車規格の路線が2つ続いた後に来た千日前線ホームは広く感じる。それは8両対応の規格で造られているせいもあるが、車両は4両編成から増えていない。
かつては第三軌条式路線の中では格下扱いで、古い車両ばかり集められていたが、この25系は初めて千日前線用に新製された系列であり、現在はこの1系列のみ在籍。


千日前線25系(今里)

運転士が後方を監視中。昨年1月から千日前線はワンマン運転となっている。これに先駆けて全駅にホームドアが設置された。
路線は南北とも延伸構想があるものの、費用対効果を考えると難しいようだ。

この列車に乗って5つめのなんばまで進む。19時近くになんばまで乗ると、千日前線でもさすがに混み合っていた。
なんばでは目的のNGKまで出たが、このなんばの地下街もまぁややこしく、構内の地図を確認しながら進んだ。

NGKでの買い物を済ませ、新大阪20時半の新幹線に間に合うかどうか確認。
まだどうにかなりそうだったので、新大阪へ出る御堂筋線ではなく、先に四つ橋線に乗ることにした。

NGKから地下街経由で案内標識に従って四つ橋線のなんば駅を目指したが、地下の中で階段を下りて上がってを繰り返したあと、まさか「一旦地上に出て路地を進んで行け」という指示が待っているとは思わなかった。
四つ橋線の駅は「西なんば駅」といいたい位置にあったが、地図で振り返ってみるとJR難波駅はさらに西にあった。

 四つ橋線 
四つ橋線は西梅田から御堂筋線に並行して南に下り、住之江公園までを結ぶ路線。北は十三までの延伸構想もあるようだ。
ラインカラーは御堂筋線が大動脈として赤とされたのに対し、静脈として青という根拠らしい。
それだけ御堂筋線に隠れた地味な路線ということだ。
路線内には四ツ橋駅があるが、路線名は「つ」、駅名は「ツ」と異なっている。
路線名は他線同様道路の名前「四つ橋筋」が由来、駅名は地名が由来なので違うんだそうだ。


四つ橋線23系(なんば)

諸々の荷物を持った状態であちこち振り回されて歩いた結果、汗だくに。
汗を拭きながら23系電車に乗り込んだ。こちらも現在は23系オンリーで変化に乏しい。


(大国町)

なんばから1つ南の大国町駅。御堂筋線と四つ橋線が方向別複々線状態で並び、島式ホーム上でののりかえが可能だ。
私は逆方向からとなるので階上のコンコースを経由してののりかえとなった。

ここから御堂筋線に乗り新大阪まで座りっぱなしで行けた。
御堂筋線は前日撮ったし、時間も少なくなったので撮影はなし。



N700系(新大阪)(sp)

午前中に新長田駅で確保しておいた新幹線はグリーン車。
きっと足が疲れているということと、隣に人が来ないほうがいいなぁということから、緑の券売機でグリーン車の空席状況を覗いたら、こりゃ出発まで埋まることはまずないな、という状況だった。

疲れているせいか新大阪駅では便の表示を見間違えて10分前まで違うホームにいた。
慌てて移動した正しいのりばは最新の27番線だった。

車両はN700Aとして新造された編成だった。
席は横一列誰もいないところたくさんあり、選択は正解。
うしろの列も誰もおらず、初めてリクライニングをフルで倒したっぷり寝て帰った。

これにて今回の遠征の記事はおしまい。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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