なつかし写真を載せ始めると、あれもこれもまだだったと気づくもので。
今回も旅行で訪れた際に撮った写真たちを紹介。奇しくも前回の小浜旅行の記事につづいて敬老の日がらみの連休のものだ。
甲斐小泉駅
貸別荘が流行ったこの当時、我が家ではこの甲斐小泉駅最寄りの貸別荘にちょくちょく泊まっていた。この日は自分だけ単独行動で写真撮影に出かけた。
(甲斐小泉・1989.9.16)
2つ先の清里を含め、高原リゾートが流行っていたこの時代らしい看板。表には日本語表記がないという斬新さだ。
なお、現在の駅舎は斬新なスタイルのコンパクトなものに変わっているが、この位置の看板はやはり英字表記のみ。また、駅前には平山郁夫シルクロード美術館というものの建ったようだ。
(甲斐小泉・1989.9.16)
定期列車は3時間に2本という感じか。ガラス戸の上の貼り紙は多数設定された夏季臨時列車の時刻。ほとんどが小淵沢—野辺山間の列車で、折り返しのできる野辺山の1つ手前の清里への客向けのものと考えてよい。
(甲斐小泉・1989.9.16)
駅舎ホーム側には国鉄時代からのクラシックな青看板と白樺をザックリ切った標高表記があった。
(甲斐小泉・1989.9.16)
配線は2面2線。駅本屋側小淵沢方に短い引き込み線がある。
キハ58系(甲斐小泉・1989.9.16)
列車がやって来た。飯山線向けの塗色の車両がこの頃は小海線でも活躍していた。
キハ58系(甲斐小泉・1989.9.16)
ネコ2匹をかすめながら出発。テールライト上の数字の札は車号で、前は非冷房のキハ58 681、後ろは冷房付のキハ58 410。
(甲斐小泉・1989.9.16)
この2枚はあんまり撮っちゃいけないアングルか? 若気の至りということで…すみません。
(甲斐小泉・1989.9.16)
小諸方面ホーム(番号なし)。ホームは互い違い。構内踏切を通って移動する。写真右に短い引き込み線の終端が見えている。
キハ58系(甲斐小泉・1989.9.16)
国鉄色のキハ58 1040先頭の小淵沢行。この列車に乗って隣の小淵沢へ移動した。調べるとこの1040はのち飯山線色になり先ほどの681とも編成を組んだようだ。
小淵沢駅
キハ52(小淵沢・1989.9.16)(再掲)
小淵沢の側線にはキハ52の2連が留置されていた。キハ52はキハ20の2エンジンタイプで、大糸線につい最近まで残っていた。写真の車両はキハ35系などにも見られたいかつい前面補強板が特徴。
キハ58系(小淵沢・1989.9.16)
乗ってきた編成のサボ。「ぶち」の字が「淵」ではなく「渕」になっている。
このあと中央線に乗ったのだが、それはまた別の記事で。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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