前回記事から約ひと月で、再び進捗報告。
過去記事の画像リンク切れ対応については粛々と進め、2011・2012年の記事の更新が終わった。残りは2013・2014年分だけとなった。
貧乏性で取捨選択が甘いため画像の点数が多いのが当ブログの特徴であり、作業が面倒くさいのは自業自得。しかし、効率の良い再貼付法を自分なりにあれこれ見いだして、更新のスピードは上がったかな。
凹みは塗る
画像の貼り直しでいろいろデータを見ていると、未だ記事に上げていない「ぬりえ」が見つかった。当ブログで言う「ぬりえ」とは、ささやかなウソ電である。ほぼブラックフェイス調整だ。
今回は過去に載せたぬりえと、上げてなかったもの、さらに新たにササっと塗ったものを並べていく。
まずは過去ネタ再掲載から。元のリアル写真と、塗ったものの順。
東武10030系(牛田・2009.10.25)(再掲)
10030系は前面窓下が黒くなっているが、わざわざ凹ませたデザインの中でその上の部分はフチが無塗装であり、黒部分が浮いてしまっているように感じる。
10030系ぬりえ(嘘田)(再掲)
凹んだところを全部黒にすればとても馴染みが良い、と作ったのがこの最初のぬりえ。
アップ時は知らなかったが、実は東上線の11461Fはまさにこの状態で新製されたそう。ただその後は標準型に合わされた。
このぬりえはちょいウソのため現実にない表示幕に打ち替えてウソを強調(「杉戸」は東武動物公園駅の旧称)。またたまたま牛田駅の写真だったので、キャプションを「うそだ」に替えたダジャレにした。
この幕いじりと撮影地ダジャレが後のぬりえにも基本的に続くこととなる。
JR253系特急「成田エクスプレス」(稲毛・2010.2.20)(再掲)
稲毛で撮った253系。
JR253系ぬりえ(ラ稲毛)(再掲)
N'EXを追われる253系が東武直通特急車として用いられると聞き、前任の485系を参考にした配色やってみたのがこれ。奥は面倒なので先頭車のみ加工。
貫通扉窓の「N'EX」のロゴは日光にちなみ「N'IX」とし、飛行機をイチョウにしてある。
駅名ダジャレはうまくいかず、嘘の英語「ライ」を稲毛に絡めただけ。ブラックフェイス絡みばかりの一連のぬりえの中で、このネタだけ例外の加工。
西武6050系(保谷・2015.5.9)(再掲)
西武6000系を西武イエローにラッピングした編成。
そもそも黄色の電車も現役で走っているのになぜこれをやったのか謎が強かったが、顔がなんだか物足りなく思った。
西武6050系ぬりえ(ほら谷)(再掲)
黄色の電車はやっぱり前面のステンレス飾りがないとねぇ。あとせっかく縦に入る線があるんだから、センター分けでないとはいえ、新101系みたいに黄色にしようよ、というのがこのぬりえ。
これは行先表示をいじってなかったな。
西武新101系(白糸台・2018.5.5)(再掲)
新101系に赤電塗装を施したこの編成。
額縁顔を無視して701・801系と同じ塗り分けにしたものの、新101系の前面窓は天地が狭く、眠そうな顔になってしまっている。
西武新101系ぬりえ(ほら糸台)(再掲)
凹み部分のブラック完全復活でもよかったが、701・801系の窓っぽい高さだけ黒く塗ったのがコレ。
行先は武蔵境からひねって「嘘谷境(Useya sakai)」とした(800×600ピクセルなので英字は拡大しても読み取れないが)。関西弁で「うせやん」とか言うでしょ? まぁ「うそやさかい」を「うせやさかい」までこねくり回す文法があるかどうかは知らんけど。
ことでん1070形(高松築港—片原町・2018.7.15)(再掲)
凹み顔がぬりえ欲をかき立てられることでん1070形。
2枚窓だった京急先代600形の顔を貫通型に改造したのは、行先サボ使用のため。扉を内に開けて車内で安全に差し替えるのだ。
この貫通型化の際、京急800形や1500形に似た額縁フェイスにされたものの、入線当初から段差で色を変えることなく推移している。
ことでん1070形ぬりえ(高松築港—片ほら町)(再掲)
だから、塗ってみるわけです。ちなみに扉部分は段はなく、凹みを囲みきっているわけではない。
「琴電琴平」は「嘘電琴平」に。「ことでん」Kロゴは「うそでん」Uロゴにした。撮影地は…保谷で使った「ほら」ばっかりだな。
初出し
お次は初めて上げる分。
都営地下鉄の昭和のステンレスカー2形式は、以前ぬりえを作っておきながらアップするタイミングを失っていた。
都営6000形(蓮根・1993.3.8)(再掲)
現在も秩父や熊本で実働中の都営三田線6000形。
顔は周囲を面取りしてあって境目があり、「これはブラックフェイスに塗れるじゃないか」と10代のころに思っていた。
都営6000形ぬりえ(嘘根)
貫通扉上の水切り(?)が侵出してくるが、左右窓回りを黒くしてみた。ん〜、垢抜けないな。
データの作成日を見たら、このぬりえは「田町」のウソ行先も含め14年前に作っていたものだった。三田駅と接続するのがJR田町駅だが、なんでそうしたのか憶えていない。白金高輪駅の仮称「清正公前」でもよかったな。
都営5200形(京急川崎・1992.2.10)(再掲)
6000形より後の登場の浅草線5200形。
5000形の足回りにセミステンレス車体を載せたスタイルで6連2本だけ製造されたレア車。6000形や、10-000形試作車と兄弟関係の顔をしている。
都営5200形ぬりえ(京急川詐欺)
フレームがはっきりした凹みは塗るべし。6000形よりハマってる感じもする。
行先は京急の三崎口からの延伸が実現していないままの「油壺」(あぶらつぼ)に。これも6000形と同時期に作っていた画像。油壺に替えたのは今だ。
JR中央・総武緩行線209系500番台(西荻窪・2016.5.3)(再掲)
ここからは今作ったやつ。
どこかの記事に書いていると思うが、この209系500番台やE231系の顔、私はバランスが悪いと思っている。
カラー帯が左右突き抜けている点と、窓下黒部分の角丸半径が大きすぎる点。直線と曲線がゴチャゴチャしている。
JR中央・総武緩行線209系500番台ぬりえ(偽荻窪)
窓下黒部分の角を直角に、カラー帯は左右を切って黒と同幅に。そして、ライト回りの黒も上の角は丸みをなくして、窓回り・カラー帯と左右のラインが一体形成されるようにした。
見慣れたものから変えれば違和感はあるが、自分にはしっくりくる形。やっぱりカラー帯の突き抜けがいちばんよくなかったなぁ。つまるところ、E231系500番台が私の思った見直し希望点を体現してくれたのだ。
黄帯の両端を消して白にするのはちょっと雑な処理になってしまった。
行先は黄色い電車が行かない「成田」に。緑の英字はそもそも元画像で見えてないので加えていない。
西武2000系(新井薬師前—沼袋・2016.3.13)(再掲)
さいごは西武2000系。
後に続いた新2000系が前面窓と表示幕回りを黒塗りしたスタイルであり、こっちも窓回りの凹みは塗りたくなるってもんで。
西武2000系ぬりえ(新井詐欺師前—塗袋)
なんと自然な結果に。まぁ全部、「黒くしたから何だよ?」って話なんですが。行先は消え去った貨物駅「安比奈(あひな)」にした。
あとやってみたいのは、ことでん1070形同様凹みを造りながら塗装では無視している遠州鉄道30形51Fだが、自ら撮った写真がなく現存もしないのでどうにもできない。
リアル例
さいごは、私のぬりえではなく実例。
JR中央・総武緩行線101系(船橋・1988)(再掲)
国鉄新性能車の礎・101系。食パン切妻でありながら前面窓の内傾処理のため、窓回りに凹みが設けられている。
これはロクサン形をはじめ改造車を含む旧形国電で多く用いられた形を継承している。
秩鉄1000系(熊谷・2008.6.15)(mb)
101系の一部は秩父鉄道へ譲渡され1000系となった。
譲渡当時の在来車と同じレモンイエローに茶帯の塗装でデビューしたが、その後の塗色変更でこんなことに。塗っちゃいましたか。凹んでたら塗るよねぇ、フフフ…。
西武新101系(本町信号所・1993.5.29)(再掲)
こちらは西武の101系。101系からデザインが変わった新101系はザ・ブラックフェイスの国鉄201系と同期。
当初前面額縁内は側面窓回りと同じトニーベージュであったが、その後ダークブラウンを経てブラックに至った。
秩鉄6000系(三峰口・2008.6.15)(mb)
あちこちの私鉄へ譲渡された新101系の中でも一番の魔改造がこの秩父鉄道6000系。急行「秩父路」用クロスシート車となった。
愛称表示器はともかく、他にも余計な整形が施され、その一環で「鼻筋」も黒となってブラックフェイスは西武3000系風になった。
都度触れているが、6000系の中で茶系のリバイバルカラーをまとった編成は、魔改造時にせり上がった運転台側の窓下を黒く塗ってブラックフェイス下辺を左右一直線に戻している。
運転台下のせり上がりは「顔がひきつっている」ようで、標準色の編成にも反映して解消してほしいところ。
JR八高線キハ38(八王子・1992.5.11)(再掲)
キハ35系を更新したキハ38。八高線でキハ110系が導入されるまで活躍した。
実は前面窓回りの凹みは211系のように左右に分かれているのだが、八高線時代…つまり新製時からなぜかその間も黒く塗られていた。秩鉄6000系とは逆パターンという感じ。
貫通扉まで塗り分けされているが、貫通幌によってその塗り分け処理は台無しに。
JR久留里線キハ38(平山—上総松丘・2011.4.4)(再掲)
八高線を追われて久留里線に移ったキハ38。当初は後出のクリームと紺の初代久留里線色となった(どうやらポッポの丘にいる車両が現在はそれになっている模様)が、1年ちょっとで写真の新久留里線色に変更された。
凹み分だけ黒としたのはこの新久留里線色化のときだった。
JR久留里線キハ37+キハ30(大宮・1991)(再掲)
こちらが初代久留里線色。房総用113系のスカ色っぽい色を用いている。
JR久留里線キハ37(平山—上総松丘・2011.7.6)(再掲)
新久留里線色化の際、キハ38に合わせるようにブラックフェイス化されたキハ37。この場合は黒Hゴムのほうが溶け込んでよかったな。
JR八高線キハ30(八王子・1991)(再掲)
八高線では国鉄一般色→首都圏色で活躍したキハ35系。
JR久留里線キハ30(木更津・2009.10.11)(再掲)
前出の初代久留里線色を経て、新久留里線色ではこれまたキハ38風のブラックフェイス化が施された。これにはキハ30自身もビックリしただろう。黒Hゴムでしっくりきとりまっさ。
でも前面補強板や旧色から続く3本ボーダー、ジャンパなどでごっちゃごちゃゴチャゴチャしている。
久留里線はキハ30のみ国鉄一般色となった後、国鉄形気動車は引退。現在はキハE130系1000番台で統一されている。まだE130撮ってないな…。
国鉄形は多くが水島臨海鉄道へ移って現役なのが嬉しいが、キハ38の1両がこの記事よろしく凹みを完全無視した国鉄一般色になったのはお口アングリだったな。
JR八高線キハ110系(毛呂—越生・2017.5.5)(再掲)
高麗川以北の八高線非電化区間はキハ110系の天下。キハ110・111・112があり、すべて200番台となっている。
JR八高線キハ110系(毛呂—越生・2017.5.5)(再掲)
前出のキハ38の塗色をリバイバルしたキハ110系。前面はキハ38のカーブは再現せず、左右の窓に挟まれた部分を黒くしただけ。カッチリ長方形ブラックフェイスとなった。
三岐鉄道270系(西桑名・2013.8.18)(再掲)
三岐鉄道の北勢線は2003(平成15)年に近鉄から譲渡された。
譲渡前の車両は近鉄マルーン単色だったが、三岐鉄道三岐線と同様の黄色+裾オレンジに変更。アクセントとして先頭車窓回りはブラックフェイス化され、見事に垢抜けた。
いや、垢抜けというよりクセが増したか?
新京成8000形(京成稲毛—みどり台・2012.12.24)(再掲)
京急800形・国鉄201系・西武新101系と同時期に登場した新世代凹みフェイスの新京成8000形。その色と鼻筋・車両基地の名前から「くぬぎ山のタヌキ」と呼ばれた。
当初は在来車のツートンを継承したが、のちクリームに茶帯に変更。写真はその後京成千葉線直通用に整備された編成向けにアレンジされた、帯を赤茶ボーダーにしたスタイル。
新京成8000形(前原・2017.6.24)(再掲)
CIに伴い4パターン目の白+ピンクになった8518F。その際に前面凹みがブラックフェイス化された。久留里線キハ37同様、Hゴムが黒だったらよかったのにな。
これで「くぬぎ山のパンダ」となったわけだが、8000形自体の廃車が進んでいるタイミングだったため、この8518Fが最初で最後のパンダとなった。
8000形は2021(令和3)年11月で運用を終了し形式消滅している。
これ系のネタでも、やはり東海地方の豊橋鉄道渥美線1800系が撮れていないが気になる存在。
東急7200系を譲受したもので、移籍当初は前面窓回りの装飾はなかったものの、編成ごとに色を変える「カラフルトレイン」化の際に、新久留里線色同様の左右ブラックフェイスとなった。
そうそう、京成3300形のグレー系塗装移行時にお試しで登場したアレはひどかったな。3月の記事に再掲したばかりなので、そちらでどーぞ。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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