先月11日、西武鉄道の多摩地区の路線を回った。
その時のメインの用事は小川駅から向かう飲食店へ行くためで、一緒にひさびさのデジカメ撮影を行ったわけだ。
縁あって再び同じ店に向かうこととなった。
今回はデジカメは持って行かなかった。こないだ来たばかりだし、多摩湖線の9000系の赤・紺も撮れたし。
前回は休暇を取った月曜だったが、今回は普通の日曜。
『乗換案内』アプリで前回と同じタイミングで小川駅に着くように調べると、レッドアローではなく急行拝島行を使うシンプルなルートが出てきた。
併せて『西武線アプリ』もダウンロード。従前より存在は知っていたものの使う機会もなく、前回訪問時は頭から外れていた。
未撮影の新101系「湖風号」塗色が狭山線に出ていればついでに行こうか、という魂胆。
アプリの至福
地元の東西線から乗換案内よりも早い列車に乗った。
高田馬場では西武に入場後すぐやって来た急行拝島行に乗り、先頭車の乗務員室寄り端っこの席が空いたので、そこに座る。西武新宿から1駅だけ座ってきた客が降りたのだ。
おそらくこの列車は当初乗る予定の列車の一つ前の拝島急行だろう。
店の開店時刻に間に合うような時刻を調べてきたが、17分早い列車。
途中で降りて各停にのりかえて調整しようか…ムニャムニャ。
…寝かけたところで、上石神井からだったろうか、祖母・母・赤ん坊の3世代客が乗ってきて、乗務員室かぶりつきを始める。
母を抑えて祖母が率先して赤ん坊を抱き、ひっきりなしに赤ん坊に話しかけるもんでうるさくてしょうがない。
それでも目をつむっていたが、「あ、こないだの電車だねぇ…」という言葉が聞こえた。
田無に近づいたところで西武線アプリを思い出し、何を見たのか調べてみた。
…むむっ、これは!? とりあえず降りよう。
6000系(田無)(i)
乗ってきた急行は6000系の中で2本だけ新宿線で活躍するオリジナル顔編成の1本・6001F。
有楽町線直通用として造られた6000・6050系は、副都心線が直通先に加わった際に同線対応改造が行われ、先頭部の銀色部分が白に塗り替えられた。当初はその違和感から「バカ殿」などど呼ばれたが、1次車である6001・6002Fは運転台や床下の機器配置の都合から改造対象から外れ、6000系列25本のうち2本だけ銀顔のまま残り、池袋線からも離れている。
さて、これが西武線アプリのスクショである。急行が出たところで再度開いた画面。
祖母さんの言っていたのは『52席の至福』であった。
前述の通り抜いた瞬間は見ておらず、いまだ撮影どころか遭遇もしていない編成だ。
車内で見たときは2枚目の画面は見なかったが、上石神井発田無止まりの回送か。降りたのはナイスジャッジだった。
回送列車でも行先が表示される、撮り鉄にはありがたいアプリ。
4000系52型(田無)(i)
ホーム端で迎えたかったが、たどり着く前に来てしまった。中線に入る。
この編成は4000系ではあるが、52型という編成の呼び方もあるようだ。
さっそくデジカメをもってこなかったことを後悔する。
iPhone12 Pro Maxでの撮影だが、まぁちゃんと撮れてるからいいか。
4000系52型(田無)(i)
こういう派手なラッピング車は前後で柄が違うのも定番。
こちら側は低い所にピンク…ということは秩父の芝桜だろう。
4000系52型(田無)(i)
なぜにトランプのマーク? と考えたが、ジョーカーを除けばトランプは52枚。
調べると、編成の定員が52人というのが列車名の由来で、そこからのトランプ。
4つのマークにも意味をあてているようだが、詳細はWikiなどで
4000系52型(田無)(i)
西武新宿方は芝桜顔の1号車・クハ4009。
多目的車両ということで、がら〜んとしたレイアウト。
新宿線と池袋線は接続する所沢駅で都心の向きが反対となるため、池袋線の池袋—所沢—飯能間ではこの車両が飯能方となる。飯能から西武秩父へはスイッチバックとなるため、この車両が再び都心側となる。
4000系52型(田無)(i)
水しぶきは荒川。もちろん長瀞など上流地域のイメージだろう。
この車両の内外装デザインはあの建築家・隈研吾氏だそうだ。よく見るなぁ、クマさん。
まぁ観光車両といえば水戸岡鋭治氏の作品数が突出しているが。
4000系52型(田無)(i)
2号車・モハ4109。26席の客席を備える。
写真の1号車寄り両開きドアはすでに「元」であり閉鎖されている。
眺望的には元ドア脇はハズレかもしれない。
3号車寄りのドアは乗降用として生きている。
4000系52型(田無)(i)
3号車・モハ4110。キッチンカーで、窓が目張りされている。
オープンキッチン・クローズドキッチン・バーカウンターなんかが入っている。
4000系52型(田無)(i)
4号車・クハ4010。
2号車に同じく26席あり、列車名の「52席」は2両でまかなっている。
4000系52型(田無)(i)
クハ4010は池袋・本川越・飯能以遠での西武秩父方先頭車。
「あしがくぼの氷柱」がモチーフだそう。初めて聞いたが、詳細はリンク先で。
4000系52型(田無)(i)
西武鉄道のサイトで調べると、9〜12月の運行カレンダーが出ていた。
9〜11月の土日、祝日の9/23・11/3、12月の日曜は西武新宿—西武秩父の運行、池袋発は12月の土曜のみのようだ。
アプリの通りこの回送列車は上石神井発。
武蔵丘から出てきた52型は上石神井の電留線で食材搬入を行い、配線の関係で一旦この田無まで下って折返し、改めて西武新宿へ上って同駅から折返し営業運転に入る。西武新宿10:47発とのこと。
営業運転では方向幕に列車名が表示されるので、いつかそっちの正しい姿も撮らなきゃな。
新2000系(田無)(i)
前の写真で右側に到着した各停玉川上水行に乗り込む。
レジェンドのレジェンド
各停の車内で多摩湖線の運用編成もアプリで確認。
9000系紺・赤とも運用に就いていて、紺は多摩湖のほうにいる。
そして、新宿線では後続の当初私が乗る予定だった急行に三代目L-trainが充当されている。
…おいおい、萩山で紺と紺が並ぶんじゃないのかい?
新2000系(萩山)(i)
そんなわけで、あと1駅で目的地なのだが、今回も萩山で降りる。
乗ってきた新2000系は4+4の8両編成。
表示器がLEDと幕、戸袋窓と正面貫通路窓の大小と、編成同士で細かい点で差がある。
9000系(萩山)
多摩湖方からやってきたのは黄色の9004F。
9000系・30000系(萩山)(i)
3線すべてに列車が入った。2番線には30000系の多摩湖行臨時列車。
表示の通り西武新宿から急行で来たが、急行の通過運転は田無まで。そこから多摩湖までは各駅停車だ。
9000系・30000系(萩山)(i)
1番線は国分寺からの多摩湖線当駅止まり列車。
先に発車するも、後から動き出した多摩湖行に抜かれる。
それもそのはず、奥にある電留線へ入るために徐行していたのだ。
新2000系(萩山)(i)
電留線への線路と多摩湖線下り線を平面交差で跨いできたのは拝島線の各停8両編成。
最後尾車両の番号をスマホにメモした。2529F4連のクハ2630だ。
9000系(萩山)(i)
さぁ、前回に続いて同じアングルで紺の9008Fをお迎え。
9000系・20000系(萩山)(i)
そして、アプリの通り拝島急行は20105F。
ここは相鉄の駅か? と言いたくなるような紺紺並びが撮れた。
ライオンズの現ユニフォームの紺は「レジェンドブルー」という名が付いている。
元・2代目L-trainである9008Fはレジェンドのレジェンドと言える。
20000系(萩山—小川)(i)
残り1駅にして、当初予定の列車に乗った。
車内は座席背もたれにライオンズのロゴ、床に野球ボールが表現されている。
20000系(小川)(i)
目的地の小川駅に到着。
20000系は素の状態では正面の「ほっぺ」がグレーであるが、なんだかチープな感じがする。
この列車と同じように青く塗ったほうが締まるなぁ。
小川駅から目的の店へ向かった。
70周年は残念な年?
L-trainには今年はライオンズ70周年のHMが付いている。ライオンズは元を辿れば別の鉄道会社である西鉄のチームで、福岡を本拠地にしていた。
1951(昭和26)年春に西鉄クリッパーズが西日本パイレーツを吸収合併して西鉄ライオンズに改称。その後1970年代に太平洋クラブ→クラウンライターと会社がコロコロ変わり、1978(昭和53)年秋に西武ライオンズに生まれ変わった。
成績低迷からの集客不足で福岡からはるばる埼玉に移ったライオンズは、西武初年度の1979(昭和54)年シーズンも最下位でスタートしたが、その後常勝軍団と呼ばれる黄金時代を作り上げた。
70周年の今季、最後の最後でファイターズに抜かれ最下位となったが、なんとこれが移転初年度以来の最下位であった。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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