新開地駅での神鉄撮影のつづき。
新車より新しい旧形車
1番のりばにカッスカスの1000系列が登場。またもテンションが上がる。
神鉄1300系(新開地)
3ドアの1300系だ。
1300系最初のデ1300形は1000系デ1000形と同じ2ドア・2両固定で登場したが、デ1000形から回生ブレーキを省略したため別形式となった。
神鉄1300系(新開地)
折り返しの普通三田行となった1300系デ1350形は、デ1300形2両編成の4両固定化のために挿入した3ドア中間車デ1320形をベースにした2両固定・3ドアの車両。
神鉄1300系(新開地)
非ユニット窓の外ヅラながら、デ1350形は1000系列としては初の新製冷房車。内装は木目調。先ほどの1100系は淡緑色だった。
実は正面2枚窓の4連アルミカー3000系(こちらが神鉄初の冷房車)より後の製造であり、木目調も3000系を踏襲したものだ。
車内写真はデ1356。
神鉄1300系(新開地)
中間に入った1354・1355は中間車化され、4両固定編成となっている。
神鉄1300系(新開地)
1000系列での編成のやりくりのため、この1350形は1987(昭和62)年まで増備が続いた。
さらには2000系が登場した1991(平成3)年にも1500系(3連でワンマン対応。2000系の予備車を兼ねている)という1000系列の車両が新製されたことも驚きの一言だ。
神鉄1100系(新開地)
再び1100系登場。「鈴蘭台」「三木」は幕回し中で、実際は小野行。
小野は粟生線の終点・粟生の2つ手前の駅。残り3kmで終点なのに終着にしてしまうのだ。
神鉄1100系(新開地)
ステキなサウンドを記録しようと発車は動画モードで準備したものの、「メモリーカードがいっぱいです」とのメッセージが出てしまい撮れなかった。
実は、湖西線での撮影時にそのメッセージが出ていた。
旅行前にメモリーカードの過去画像の整理を忘れていたため、ひとまずは列車が来る合間に少しずつ過去画像を削除した。ほかに動画データが入っているが、自宅のMacへの移し方がわからず(なぜか動画は不可視ファイルになっている)、そのままになっているのだ。
この時点では過去画像はまだ削除しきれていなかったが、メッセージが出たのは湖西線の時に初めて出て以来だった。
神鉄5000系(新開地)
1500系・3000系・6000系を期待したが、真ん中の線路に来たのは5000系だった。
これにて神鉄の撮影を切り上げ、改札を入り直した。
ヌシ現る
ある程度神鉄の車両を眺められたので満足しながら東西線ホームに降りると、なんと「3600」と書かれた山陽3000系アルミカーが!
普通・飾磨(しかま)行の表示で発車したところだった。
はぁ、最後の神鉄5000系を撮らずに動いていれば…撮らずとも乗れたか。京都駅でのDD51ロンチキに続くショック。
阪神9300系・8000系(新開地)
我に返って左を見ると、オレンジの阪神車が2本停まっていた。この日初めて会えた。
8000系はかつての赤胴車塗色で新製されたが、リニューアルを機に隣の9300系と同じカラーリングに変更となっている。
(新開地)
既存のフレームを利用して阪神が作ったと思われる姫路方面ホーム頭上の路線図。アホほど字が小さく、事実上機能していないといっていい。
東西線は駅名標などサイン類は2010年の振り分けを機に差し替えられた。
阪神神戸高速線は阪神の、阪急神戸高速線は阪急のものが使われている。ただし全4駅の阪急神戸高速線は高速神戸駅・新開地駅が阪神管理、神戸三宮駅はそもそも阪急の駅であり、変化があったのは花隈駅だけだ。
山陽5000系(新開地)
山陽5000系の直通特急到着。宿の最寄り・大開を通過するこの電車に乗った。
無論、3000系トップナンバー・3000Fを追いかけるためだ。
山陽電鉄本線の起点である西代も通過。板宿に停車したあと地上区間に出る。
2面4線の東須磨を通過するが、3000Fの姿はなかった。
そして、追いついたのは山陽須磨駅だった。とりあえず降りる。
3000系(山陽須磨)
レジェンド・3000Fに会えた。しかし、顔に明かりが当たらない。わかっていれば地下駅で明るい新開地や大開で撮ったのに…。
3000系(山陽須磨)
3600車内。座席モケットは変わっているが、デコラなどに積年の汚れが見える。戸袋部は乗客がアタマを付けて擦れた跡があったり…。
3000系(山陽須磨)
ドアは窓より下にデコラが貼られた独特のもの。
3000系(山陽須磨—須磨浦公園)
3001車内。ローレル賞のプレートがすばらしい。なぜか真ん中のこの車両だけ無人。
3000系(須磨浦公園)
次の須磨浦公園ですぐ降りた。この駅でも正面に明かりは当たらず。
3000系はアルミ車と鋼製車があるが、アルミ車は最初の2本だけだ。
3000系の新製冷房車版である3050系の後半の車両が再びアルミ車体となり、無塗装の車両に関しては正面窓下に大きく赤帯が入った。
3000系の2本もこれに合わせて太帯に変わったが、最近この3000Fは登場時の細帯に戻され話題となっている。
アルミ製で車体の状態は良いはずだが、1964(昭和39)年製で経年50年を超えているため、引退前のひと花という噂も立っているのだ。
明日の朝イチで和田岬線を撮る。ホテルでしっかり睡眠もとりたい。惜しいがここで3000Fを見送る。23時近くであり、深入りは禁物だ。
後追いで3000の顔も撮ったが、当然ブレて失敗だった。
再び改札を入り直す。駅員も他の利用者もまったくいない、恐ろしいほど静かな駅だ。
そもそも阪神・阪急の電車が折り返す駅として子どもの頃から名前は知っていたが、まさか山陽電鉄で乗降客数最下位の駅だったとは知らなかった。
(須磨浦公園)
地下の通路を通って上りホームに移ると、線路からネコがぴょこっと下りホームに上がってきた。駅長だろうか?
(須磨浦公園)
駅の頭上を階段状の構造物が跨いでいる。
(須磨浦公園)
なるほど、頭上はロープウェイの駅か。
ベンチに座っていると列車の接近音がする…が、放送が流れない。…どうやらJRの線路が近くを走っているようだ。
調べると、駅は海の近く。JRは山電と海の間を走る。ロープウェイは鉢伏山につながっていて、さらにカーレーターというゴンドラで須磨山上遊園に出られるようだ。
5000系(山陽須磨—須磨浦公園)
やって来た5000系の普通東須磨行に乗る。扉間は固定クロスシート。
5000系(山陽須磨)
直通特急が通過した東須磨止まりということで不安になり、その直通特急が停まる須磨で降りる。
5002Fは5000系の中でも5000Fと2本だけの4両固定で、直通特急には入らない。これもレア編成といえる。
結局後続の高速神戸行に乗った。須磨浦公園でそのままもう1本待っていればよかったのだ。
この辺り、ノー知識&深夜帯であるがゆえの動きだ。
山陽3050系(大開)
大開に到着。車両は3000系列のうち新製から冷房付きで登場したグループの3050系。
リニューアル工事で黒サッシ化や連結面寄り車端の側窓が固定窓になり、ドアも交換されている。
固定窓の部分が、いかにも「古い車両を改修しました」って香りを出している。
これにて関西1日目の撮影終了。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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