今回は西武鉄道のなつかし写真。
京王の回のような車種別ではなく、路線と撮影場所を軸に進めよう。
なお、101系列に関しては人によっていろいろな呼び方があると思う。
当ブログでは原形車を「101系」、車体が変わったグループを「新101系」とし、新101系と変わらない「301系」を含めた三者をまとめる表現を「101系列」とする。
原形車を「旧101系」をする人も多いようだが、旧というのは「かつては、そうだった」という感じで私にはしっくりこないのだ。101系は101系であり続けているではないか。
池袋線
池袋線は池袋—吾野間の路線。西武鉄道のメインラインだ。
線路は飯能でスイッチバックをしていて、レッドアロー以外の列車の運行は基本的に飯能を境に分かれている。
私は西武を利用する機会はあまりなく、前回なつかし写真の京王ほどではないにしろ、撮影した回数も少ない。
しかし池袋線に関しては強い縁がある。なぜなら、本籍が池袋線の線路際の家だからだ。そこには現在も叔父夫婦が住んでいる。
101系(椎名町—東長崎・1989)(f)
中学生のころ、その家のある駅間で撮った101系。側面窓周りのベージュがなつかしい。
幼少期はあの家を訪れるたび、祖父に連れられすぐ近くの踏切で池袋線の電車を眺めていた。その「幼少」期…昭和50年代前半(1970年代後半)の池袋線は101系がエース。そしてまだまだ赤電が元気に走っていた。101系と同じ正面が連続窓の601系・551系、個別窓の501系あたりだと思う。もしかしたら赤い701系なんかも見ていたかもしれない。
家の中で聞こえる電車の音も、新性能車と旧性能車で全然モーター音がちがうので、後者の場合は見なくても赤電だとわかった。もちろん新性能だ旧性能だ、などという事は理解していなかったが。
新101系(椎名町—東長崎・1989)(f)
101系のマイナーチェンジ車・新101系は1979(昭和54)年に2連口から登場した。
101系(江古田—桜台・1991)
101系は1969(昭和44)年の西武秩父線開業に備えて用意された、山岳区間対応の、ブレーキ性能を強化した車両。車体は赤電801系と同じだが、レモンイエローとベージュの明るい塗装でまったくイメージが変わった。
以降登場の2000系・3000系や近代化された在来車もレモンイエロー化が進み、「西武=黄色の電車」という図式が定着した。ただし、赤電351系が多摩湖線国分寺駅有効長の都合からしぶとく残り、その1990(平成2)年6月の引退からステンレスカー6000系が登場するまでほぼ2年。西武のロングシート車がすべて黄色という時代はその間だけだった。
101系(江古田—桜台・1991)
1枚目の奥に見える桜台駅は高架化され、線路も過去の風景となった。線路両側が拡がっていることから、その高架化のアクションが始まっている頃だ。
2枚目は1枚目より池袋寄りで、奥を跨ぐのは環七の陸橋だろう。桜台への高架も環七の西から始まっている。その環七を北に進んだ地下に、西武有楽町線の新桜台駅がある。
101系のような20m3ドアロングシート車というのは大手私鉄では西武独自のスタイルだが、多くの形式が存在した。西武初の量産20m4ドア車は1977(昭和52)年の新宿線用2000系だ。
101系(桜台—練馬・1991)
こちらは完全に高架化された桜台—練馬間の地上時代。
101系は途中から冷房付で新製され、非冷房車も順次冷改された。屋根上クーラーキセは国鉄の通勤・近郊型車両のものと同じ形で、これも当時の私鉄では西武くらいだった。
2枚の写真で異なっているように、クーラーキセの材質に変遷があるのも国鉄〜JRと同じだ。
301系(桜台—練馬・1991)
301系は101系のマイナーチェンジ車である新101系の8連固定というスタンス。しかし301系として登場した当初は4連だった。101系・新101系・301系の三者で性能は変わらず、車号が300台になったことで301系と改めて呼び直した理由はよくわからない。
3000系(桜台—練馬・1991)
新101系フェイスから鼻筋を取り去った顔をした3000系は、新宿線用2000系の足回り(界磁チョッパ制御)と、101系と同じ3ドア車体という折衷電車で、池袋線用に造られた。
3000系の側窓は101系列の「日日日日」という4連から「田田」の2連に変わった。これは451系から601系まで用いられたスタイルに戻った窓配置だ。
3000系は2000系も含めた他形式との併結ができない。新101系や新2000系の2連口を付けて10連に…ということができず、3ドア車であることも含め現在は車両運用面でもダイヤ面でも足を引っ張っているようだ。
101系(練馬・1991.12)
地上時代の練馬駅の風景。写真のような「45度回転した正方形タイル」が並ぶスタイルは西武の古いホームの特徴。
この頃の4番線は豊島線線内折り返し列車が入っていた。豊島線は練馬と豊島園のひと駅間だけで、『としまえん』へのアクセス路線。なお地下では同じ駅間を都営大江戸線が結んでいる。
現在は西武有楽町線との接続駅でもある。西武有楽町線は開業時は小竹向原—新桜台のひと駅間だけの盲腸線で、西武は車両を提供せず営団有楽町線7000系だけが入っていた。
当時は「有楽町線から分かれた西武保有の路線」という意味で通じたが、その後練馬到達や副都心線開業などでその路線名は意味がわからない状態になってきた。
いっそ名前は「練馬線」にしてもいいと思うが。決して「名前は練りません」ということではない。
新101系(練馬・1991.12)
新101系は前述の通り1979(昭和54)年から登場した。正面は湘南スタイルを継承しつつも2面フレーム顔になり、種別表示窓が新たに登場。運転台位置も高くなった。ベンチレーターはグローブ形から角形に変更になった。
現在のリバイバルカラー編成がそうだが、正面窓周りは登場時は側面と同じベージュだった。その後現在の黒に至るまでにも中間のこげ茶のような時代があったと記憶している。要は徐々に暗くなっていったのだ。
写真は101系列の中でも新101系だけの存在であるクモハで、増結用の2連口。
3000系(練馬・1991.12)
練馬はこの当時、高架化準備のため1番線はすでになくなっていたようだ。
黄色い電車のうち、側面窓周りにベージュが入っていたのは101系列と3000系のみ。ともに池袋線に集中していたこともあって、「ベージュ入りは池袋線」というイメージも私の中にはあった。
黄色でベージュなしだった401・701・801系の消滅後、101系列と3000系のベージュは省力化のために廃止となり、101系は801系を思わせるルックスになった。
新2000系(練馬・1991.12)
1990(平成2)年、池袋線にようやく投入された量産4ドア車が新2000系。新宿線には2年早い1988(昭和63)年に投入が始まっている。
車体は2000系から発展したもので、正面に黒メイクとスカートが加わり、側面は一段下降窓化と戸袋窓の設置が行われている。
この後どんどん増備され、池袋線のラッシュの改善に貢献する。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
1 件のコメント:
こんばんは。
お写真と記事、楽しく拝見致しました。
改めて西武の車両も大きく変わったものだと実感しています。昔は自社製の車両を走らせていて、保守的な車両が多い印象でしたが、今では標準車体を採用した綺麗なアルミ社会の車両がますます増えています。
東京の通勤圏が拡大し、特に朝のラッシュアワーの混雑がますますひどくなっていった中、3扉の車両は使いづらくなったのだろうと思います。4扉車ばかりになった今の西武を見ると、当然仕方がないと理解しつつ、他の路線と同じになってしまって特徴が失われたような寂しさも感じます。
黄色い電車だけが走っていた期間が2年しかなかったとは、意外でした。それだけ黄色い色がインパクトがあったのかもしれません。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
コメントを投稿
コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。