2019/10/21

19.10.21 兵庫へGo!・8/新開地・長田

新開地駅前の宿をチェックアウトし、旅の荷物を持った状態で再出発。
新開地駅に入る。


そっくりさん

旅の最終日である本日のメインは神鉄。
リバイバルカラーの1357F・1151Fをメインディッシュに、その他の車両も何でも撮る。

1000系列に関してはいろいろな分け方があるようだが、便宜的に以下に整理する。(斜体は消滅形式)

1000系 回生ブレーキ付2両固定と増結用単車
  • 1000形-1000形:2ドア2連・回生ブレーキ付(回生ブレーキは効果が薄く早々に使用中止)
  • 1050形:2ドア1両・増結用片運転台車で電気的には単車走行可能
  • 1070形:3ドア1両・増結用両運転台車→1100系と組んで4両固定化
1100系 3両固定
  • 1100形-1200形-1100形:2ドア3連
  • 1150形-1250形-1150形:3ドア3連
1300系 2両固定とその4連化用中間車
  • 1300形-1300形:2ドア2連(1000形から回生ブレーキを廃したスペック)
  • 1320形-1320形:3ドア2両・1300形編成に挿入する中間車 (1370形に改造)
  • 1350形-1350形:3ドア2連→2編成つなげて4両固定化
  • 1370形-1370形:3ドア2連・1320形を先頭車化改造したもの→2編成つなげて4両固定化
1500系 ワンマン対応3両固定。広義では1100系
  • 1500形-1600形-1500形:3ドア3連・ワンマン対応で新製。他の1000系列と併結不可(現在営業用車両は全編成ワンマン対応改造済)

6500系(新開地)

粟生線ホームにいたのは6500系6511F。今年デビューの編成。
全国登山鉄道‰(パーミル)会設立10周年記念のHMを付けている。「‰」の/0を赤くして10を表現している。
「‰会」は南海、富士急、大井川、叡電、箱根登山、アルピコと神鉄の7社が集まった登山鉄道の親睦団体。南海がリーダーのようだ。
神鉄はその中でも一番都会に近いところから登山区間が始まっている会社だ。



2000系(新開地)

中線には初遭遇の2000系。2枚の写真は両側のドアを開けていたため車内を通り抜けて撮ったものだ。
2000系はもともと公園都市線向けのワンマン対応車として1991(平成3年)に3連で登場した。
その時代にしては珍しく抵抗制御車である。前記事で触れた阪神の5131・5331形とは反対に、車体は垢抜けたタイプだが足回りは古くさいという組合せ。
この2009Fは3連までの公園都市線には絡まない4連で登場したため当初ワンマン対応装備はなかったが、現在神鉄は全線ワンマン運転となったため、当然ワンマン対応に変わっている。
2000系は3連3本、4連2本の陣容となっている。



5000系(新開地)

先発はこちらのそっくりさん・5000系準急三田行。
5000系は2000系をVVVFインバータ制御に変更した系列で、4連オンリーだ。車内は阪急系であることがよくわかる色調。
この列車に乗りこむ。3年前の当駅訪問時は車内こそ撮ったものの、神鉄の列車への正味の乗車はこれが初めてだ。


長田カーブ

この日の動きにガッチリとしたプランはないが、ツボは決めた形で出てきた。
新開地から湊川へは0.4kmと短く地下のまま進む。湊川を出ると地上へ出るが、2つの山岳トンネルをくぐった先で大きなカーブを描いた上り坂となる。さすが‰会、と思わせるいきなりの登山だ。
トンネル出口に踏切があり、その先はずっと細い道が線路に並行している。柵も低く、どうぞカーブ写真を撮ってくださいという場所じゃないか。

カーブの先に長田駅があり、迷うことなく下りた。
自動改札機があるものの無人駅という、中心部から1つ目の駅でいきなりこんな感じかと驚きながら出場。
目の前の道を左に進めば、あとは「好きな位置から撮って下さい歩道」が続く。



5000系(湊川—長田)

すぐさま5000系の上り列車(坂は下り)が現れた。線路が下っているのがわかる。
助士側に座っているのはマスコットの「しんちゃん」。



1500系(湊川—長田)

メインの下り線(上り坂)に最初に現れたのは1500系。
制御電動車1500形が付随車1600形を挟んだ3連で、2編成だけの存在だ。
この車両も3000系・2000系・6000系と同様、3年前の新開地駅訪問時には撮れなかった形式。
この車体でなんと2000系と同期の1991(平成3)年製というのだから、この会社はよくわからなくて面白い。
1500系は広義の1100系に入る。2000系3連の公園都市線のワンマン運転予備車として造られたため当初からワンマン運転対応となっていることが1150・1250形編成との特別な違い。あとは台車の枕バネがゴム製というのも珍しいようだ。

アルミ車体の新世代車・3000系が初登場したのが1973(昭和48)年であるが、以降も1000系列は次々と造られている。
公園都市線運用のみがワンマンの時代、1500系が公園都市線に入るのは2000系が入場で足りなくなったときが主で、通常は粟生線の3連運用メインで走っていたそうだ。ただし営業運転で他の編成と連結することはできない(以前粟生線では5両運転があった)ため、常に単独で走ってきた。
さすれば、単に2000系をあと2本造ればよかったのでは? と世の誰もが考えるわけだが…。
ちなみに3000系3017Fも3000系最終編成として同じ年に造られている。2000系4連が登場したのが翌年。ここも2000系4連でよかったのでは? …謎多き会社である。



1500系・1100系(湊川—長田)

カーブの背中側には長田駅。広義の同系が離合。
新開地行きは1969(昭和44)年製の1107F。制御電動車1100形が付随車1200形を挟んだ3連。
1500形との正面からの違いは、前パン、貫通路上の水切りが高い、正面の裾帯の高さ左右にステップが付いているという点だが、両車が22歳差には全く見えない。


1100系(湊川—長田)

一番の違いは、1100系1100形・1200形は2ドアであること。
いやー、このアングルで前パン、もっさカッコいいなぁ。抵抗器ズラ〜リだし。


2000系(湊川—長田)

こちらもしんちゃんを乗せた2009F。新開地で撮った編成。
いいカーブだね。


1300系(湊川—長田)

上り列車としてお目当ての一つ・オレンジ+グレーのリバイバルカラー編成が登場。
1350形1357F・4連だ。冒頭の通り1300系は2連口の1300形がすでに姿を消し、4連化された1350形と1370形が走っている。
1350形は2連2ドアの1300形に挿入する3ドア中間車1320形を先頭車化した格好で、2連で新造された形式。
3000系登場後の1979(昭和54)年の初登場で、全車新製時から冷房を搭載している。
この1357Fは4両とも1984(昭和59)年製。1350形は全車健在で、造られた6編成は4連3本にまとめられている。



1300系(湊川—長田)

1000系列はそれ以前の車両と同様、当初はこのカラーリングで登場。1986(昭和61)年から新塗装への移行が始まった。
ただし1153F、1361F、1500系全車は当初から新塗装で登場している。
新塗装の当初は側面窓周りの赤帯がドア上部で山型にせり上がっていたり、ドア全体が赤いなど、むさ苦しいものだった。
現在はドア周りも他の部分と同じ塗り分けで側面は一直線のスッキリしたものになった。
ただし3000系だけは「むさ苦しいバージョン」で現在もそのまま続いている。


1100系(湊川—長田)

1107Fが14分ほどで戻ってきた。粟生線の志染(しじみ)行。
神鉄1000系は先に登場した山陽2000系の貫通型車によく似ている。正面の表示幕は山陽は上段が種別、下段が行先と神鉄とは逆になっている。
3年前の訪問時は1000系列の幕には英字は入っていなかったが、今回訪れたら英字入りに変わっていた。初めは何か印象が違う…と感じながら見ていたが、英字が入っただけでも多少垢抜けた感じに見えるもんだ。



1100系・6000系(湊川—長田)

6003Fは「しんちゃんてつくんミュージアムトレイン」となっていて、戸袋部の広告フレームを額縁風にして沿線の写真作品などを展示している。


5000系(湊川—長田)

しんちゃんが乗っているのは新しめの車両なんだろうか?
準急は丸山・鵯越の2駅だけを通過する種別。長田から鈴蘭台まで5.6kmの山岳線を無停車で進む。
その間標高は208mも上がる(長田駅70m→鈴蘭台駅278m)。





3000系(湊川—長田)

むさ苦しい配色の3000系が登場。昨日も出会った3013F。
新製時より複雑になった塗装パターンでよりウルトラマン感が増している。


1300系(湊川—長田)

1350形1353F。この編成のアイボリーはとても黄ばんでいる。
3年半前に新開地で撮った際は逆に全体がカッスカスに薄れていたが、再塗装されたわけだ。これが神鉄アイボリーの本来の発色なのかもしれない。


6000系(湊川—長田)

ミュージアムトレインが戻ってきた。鈴蘭台から分かれる粟生線の2つめの駅・西鈴蘭台止まりの列車。
背景の緑が深いのもこのカーブのいいところ。



1300系(湊川—長田)

黄ばんだ1353Fもダイナミックアングルで。ここではやっぱり前パン車のほうが迫力があるな。




1300系(湊川—長田)

1357Fが戻ってきた。
この塗装はやはりグレーが渋すぎてよくないなぁ。当時のセンスではどういう考えだったのか?
末期には現行塗装のように裾周りにもオレンジ帯を入れた編成もあったようだが、全編成には普及しなかったとのこと。




3000系(湊川—長田)

そろそろ移動することにし、長田駅に向かう間に3017Fが登場。
これぞ1500系・2000系3連と同期の3000系最終編成。登場時からこの配色を纏っている。


(長田)

なんだかやっつけ感の強い駅名表示。
その名の通り神戸市長田区にあるが、高速長田・地下鉄長田両駅がある場所とはまったく違う位置にある。
そのため、案内上は「神鉄長田」と呼ぶことがある。


(長田)

駅名標は立派。


(長田)

駅周辺は建物も多い。
この感じで無人駅というのも?が立つところだが、撮影したカーブのイン側の向こうに神戸駅などへ行く多数の系統が来るバス停が見え、常に客が待っていた。
湊川から新開地のたった400mが他社線扱いで運賃が上がること、神戸駅前や三宮へ出るにも新開地でのりかえが発生することから、神鉄で神戸の中心街に出るのを嫌う人も多いようだ。



1300系(長田)

ホーム端から黄ばんだ1353Fを迎える。ホーム端は障害物が多いが、何とか撮れる。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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