【ご案内】2016年夏までの記事の画像リンク切れは解消致しました

2015/10/31

15.10.19 ポッポの丘・2

ポッポの丘の車両たち。つづき。


1003+1004 千葉都市モノレール1000形














1988(昭和63)年の新規開業時から千葉都市モノレールを支えてきた車両。
湘南モノレールと同じサフェージュ式の懸垂モノレールで、車両はその湘南のものと似ており、窓配置等共通点が見られる。現役を終え、こうして地面に下りた。
現役時代は軌道のケースの中にあって見えなかったゴムタイヤ式台車は外されて同じく地面に置かれている。
車両は今年8月ですべて運行を終了した1次車グループのひとつ。1次車の銀色部分は無塗装のアルミ地肌で、2次車以降は銀色に塗装されているんだそう。
10月17日に開催された「ちばモノレールまつり2015」では、同型車両が1両35万円で売りに出された(半分冗談で半分本気だったそう)。いつものことながら、輸送費はバイヤー負担だ。


10t入換動車 JR貨物敦賀港線・北陸本線貨物支線





いわゆるスイッチャーというやつか。塗色は後ろに続く国鉄車掌車と同じなので、現役時代とは違っているのかもしれない。
こういう専用線系の機関車は実用本位で垢抜けないデザインものが多く、1982(昭和57)年製にしては古くさくも感じちゃったりするが、平成になり21世紀になった今でも、専用線系はわりと無骨な新車が造られている。
この車両についてはよくわからないので、詳しくは看板を参照。
このスイッチャーは動態保存であり、50mほどあるレールの上を進むことができる。実際YouTubeなんかでも動画がアップされているが、おそらく休日に人が多いときなどには動いているんだろう。


ヨ8818 国鉄・JRヨ8000形





国鉄時代、ほとんどの貨物列車には車掌が乗務しており、貨車の一部に車掌室を置いた緩急車や、車掌が乗るための専用車両・車掌車が用いられた。
ヨ8000形はその最後の新製形式であり、1974(昭和49)年から5年間で1,170両が造られた。現役時代は黒色。
車内にはデスクとボックスシート、石油ストーブ、トイレが設置されていて、天気のいい日の乗務は個室車両での旅行気分で過ごせそうな空間だ。
1985(昭和60)年に貨物の車掌添乗が廃止され多くが廃車となったが、JR移行後も各社に継承され、現在も26両が現役。うち4両は旅客会社に所属している(東日本2、西日本1、九州1)。
特大貨物列車でや甲種車両輸送で控車として連結される姿を今も見られる。


ヨ14157 国鉄・JRヨ5000形





ヨ5000形は85Km/h運転対応車掌車として1959(昭和34)年から整備された車掌車。現役時代は黒色。
この車両は銘板が昭和28年となっているが、これはヨ3500形として製造されたものだからだ。
ヨ3500形は75Km/h対応で、それを改造してヨ5000形化している。
ストーブは当初はダルマストーブ、のち石油ストーブへ交換された車両がある。
後出のヨ6000形やヨ8000形より車長が長いぶん揺れがマシであり、居住性はよかったとされている。


ヨ14202 国鉄・JRヨ5000形




こちらは1両だけ緑に塗られたヨ14202。
かつてコンテナ列車「たから号」用に整備された車両は黄緑6号(山手線103系などと同じウグイス色)+台枠部が赤3号に塗られたことがあり、この塗装はそれを再現しているようだ。
ほかの3両の車掌車と共通して、ブレーキがある側のステップが白く塗られている。


ヨ13959 国鉄・JRヨ5000形





10tスイッチャー+車掌車編成の最後尾で本来の位置にいるのがヨ13959。
ヨ5000形は5000〜5011がヨ3500形からの改造車、5050〜ヨ5149が新製車(うち29両が低屋根5800番台に改造)として登場したのち、再びヨ3500からの改造車が登場。ヨ3500での車号に1万を加えただけの番号で整備されたが、全車が改造されたわけではないので番号は飛び飛びになっているようだ。
つまりは、ポッポの丘のヨ5000形はすべてヨ3500形からの改造車で、アタマの1をとればヨ3500形時代の番号というわけだ。


454 営団地下鉄丸ノ内線モハ400形










モハ400形は、営団地下鉄丸ノ内線開業時に用意されたモハ300形に続く形式。
300形が二重のモニタ屋根であったのに対し、シングルルーフに改まったのが外観上の大きな違い。自重も軽量化されている。
02系登場までは丸ノ内線の本線の車両はすべてスカーレットメディアムという赤に白帯・ステンレスのサインカーブという独特の出で立ちで、時代によっては「地下鉄といえばコレ」、というイメージもあった。
後継の500形はこの車両の片運転台版、900形は完全な中間車の形で製造されている。
なお、表示幕の「西銀座」は現在の銀座駅のこと。銀座駅は銀座線(←東京地下鉄道)の銀座、丸ノ内線の西銀座が造られたあと、両駅を横断する形で日比谷線の駅が設けられ、3線の駅を併せて銀座総合駅が完成した。







先輩路線である銀座線の車両は国鉄と同じ淡緑であったのに対し、丸ノ内線車両の内装といえばピンク色。
当初は塗装であったが、900形の後期車がアルミデコラで登場すると、既存車も徐々にデコラに変わっていった。
この454号は座席がビニールレザーに貼り変わっていたり、ドアHゴムの車内側もピンクになっていたりするので、現役を終えたときにここまで徹底してピンクだったかは定かではない。
ドア周りでいうと、注意喚起のステッカーや西新宿駅が載っていない路線図など、現役時代をきちんと保っているものもある。
外からの写真でもわかるが、貫通扉の窓が開けられることは知らなかったな。




ポッポの丘のさらに高い丘から俯瞰。西側は塗装のはがれが気になる。
この454号は現役引退後三越本店で展示(半蔵門線の三越前延伸記念)され、そこから目黒区の日出幼稚園で保存された。
幼稚園の改築に伴って居場所を失ったが、このポッポの丘でさらなる隠居人生を送っている。


たんざわ号 大山観光電鉄大山鋼索線












小田急小田原線伊勢原駅からバスと山道の参道を歩きで進んだ先にある「大山ケーブル」で活躍した車両。
1965(昭和40)年の再開業時(それ以前、戦前・戦中に運行されていた)から今年まで使われていたのがこの「たんざわ号」。緑色の「おおやま号」と2両で長らく活躍してきた。
車両の角に入った帯ともなんとも言えぬ白いラインは「たんざわ号」の“T”の文字で、「おおやま号」は同じく“O”…ほぼ□が描かれていた。
今年5月に引退し、鋼索線自体も一旦休止して大規模改修工事が行われ、先月から新型車両を使用して運行が再開されている。
1枚目の説明書きの通り、現状は展示というより展示のための整備中という状況だ。
ポッポの丘の敷地内でも一段高い部分へ向かう途中の坂に置かれているが、彼にとってこの坂はまだまだ緩そうだ。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。