三週間前に訪れた東武野田線沿線へ再びやって来た。
前回通らなかった馬込沢—塚田—新船橋間の様子を見つつ、HM編成に出会えれば、という感じ。今回も足はママチャリだ。
塚田カーブ
午後に家を出発。きのう訪れた船橋のS字カーブや東葉高速線東海神駅をかすめつつ、野田線新船橋駅前に出た。野田線に沿って塚田駅へ向かって進む。
新船橋駅前は工場の撤退で空き地が広がっているが、野田線の西側は「イオン新船橋」を建設中との表示が出ていた。すぐ裏にあるマックスバリューはうかうかしていられないだろう。…と一旦書いたが、実は『マックスバリュ』(これが正式表記)はイオンの敷地の一部となるため震災前の2月に閉店したんだそうだ。
船橋からの高架区間は1駅間で終わり、塚田へ向かって野田線は地上に降りる。道路は金網1枚隔てて野田線と並行。歩道から野田線の写真を撮れるが、その歩道は車道とガードレールで区切られていて、幅が狭い。
少し進むと線路はカーブを描きはじめ、張りたい衝動にかられるが、狭い歩道にチャリを停めるわけにもいかない。ところが、横断歩道があって歩道のガードレールが途切れているところを発見。ここならチャリを停められる。
8000系(塚田—新船橋)
塚田駅を出てきた下り船橋行。この下り列車の先頭が順光。狙いは隣の上り線だが、線路の向きを考えると早朝くらいしか先頭に日は当たらなそうだ。
8000系(塚田—新船橋)
10分間隔ダイヤの時間帯は新船橋で上下列車がすれ違うため、船橋行が行くとすぐ柏方面行が来る。
ここではこの2本のみで終了。ともに幕車だったが、HMはなかった。
馬込沢
塚田駅を過ぎ、えげつない坂を上がって再び線路際の道を進む。すると、次の船橋行の列車に遭遇。準備をする間もなく来てしまったので眺めたら、紫色のHMシールが付いた編成だった。邪魔になるのを気にしてさっきのカーブからすぐ動いちゃったのが失敗だった。
3カ所の踏切を通ったがイマイチ撮りづらそう。結局木下街道の踏切で野田線を渡って馬込沢駅に到着。きのうに続き、駅撮りに切り替え。
8000系(馬込沢)
馬込沢はやはり先月訪れた常総線によく見られたスタイルの駅で、ホームでは地べたの駅に見えるが、駅舎はホーム下にあり、地形の高低差を活かした構造になっている。
8000系(馬込沢)
写真右側には保線用の引き上げ線のようなものがある。本線とは乗り上げポイントでの接続で、レールは錆びて黄土色になっていた。
8000系(馬込沢)
きのうの113系に続いてのルーシー式HM。なんだか下辺がへろへろになってるが…。HM付編成は3本だが、見てきた感じ、きょうの船橋口はこの編成のみっぽい。
8000系(馬込沢)
HM編成の後に来た船橋行を撮ってから上りホームへ。次の列車でとなりの鎌ヶ谷駅へ移動した。
鎌ヶ谷
8000系(鎌ヶ谷)
ひと駅乗ってきた列車。
鎌ヶ谷はまだ新しさを感じさせる立派な高架駅。過去ファイターズタウンへ行くために何度か降りたことがある(5000系列に乗った)が、駅にとどまっての撮影は初めて。ファイターズは一軍が北海道へ移っても二軍は変わらず鎌ケ谷に残り、街に浸透。現在は新鎌ヶ谷駅も含め、発車メロディが『ファイターズ讃歌』になっている。
8000系(鎌ヶ谷)
キレイで立派な複線高架を走る8000系。野田線ならではの光景。
8000系(鎌ヶ谷)
船橋行を2本撮って、改札を入り直し、次の船橋行で馬込沢へ戻った。コンコースへ降りてから自動改札まで妙に距離があった。
再び塚田カーブ
馬込沢から前回訪れた踏切へ向かった。その踏切を渡った先でHM編成を迎えるつもりだったが、踏切が見えてきたところで遮断機が下りた。
通過したのはHM編成。途中チャリを惰性で流した時間が長すぎた。しまった…。
結局塚田のカーブまで戻った。途中に見た列車の数を考えると、最初に来る柏行がHM編成のはずだ。
8000系(塚田—新船橋)
船橋行が行くと、踏切はまたすぐ鳴き始めた。
8000系(塚田—新船橋)
相変わらず、ブレてますな。
これにて終了。日差しは弱かったものの、蒸し蒸しだったせいもありヘロヘロになって帰宅した。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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