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2014/03/30

14.3.21−23 ことでん

実際の日付より一週間遅くなってしまったが、今回は四国本土初上陸の話。
春分の日の3連休、仲間との旅行で香川県へ向かった。

5時台の東西線で出発し、茅場町駅へ出る。羽田空港を目指し都営浅草線にのりかえるためだが、実は茅場町駅と日本橋駅は改札外ながら地下通路でつながっているのだ。

両線の本来の接続駅である日本橋では西船橋方のいちばん端からひた歩いて浅草線へ向かう。
地元・原木中山もしくは日本橋の東西線ホーム上で歩く分も考えると、原木中山駅の出入口が中野方に寄っていること、現在の通勤定期が東西線では茅場町までであることから茅場町のりかえを選択。

当然、茅場町と浅草線日本橋は接続駅ではないので運賃の乗り継ぎ割引は発生せず、通路にもその旨の掲示がされている。また日比谷線ホームからでは東西線ホーム1本分の距離も加わるし、人形町や東銀座でのりかえられるので、あくまで「乗り継ぎ割引関係なし」「東西線は中野方で乗り降り」の条件の人に利点が限定されるマイナールートだ。


600形(羽田空港国内線ターミナル)

浅草線では京成3050形の西馬込行に乗り、泉岳寺で始発の京急600形エアポート快特に乗り継いだ。
先頭のかぶりつきクロスシートが空いており、楽々ゲットできた。早朝で眠かったが、せっかくなので寝ないで乗り通した。写真は終点到着後のもの。


京成3700形(羽田空港国内線ターミナル)

反対側には京成3700形のエアポート急行成田空港行が待機中。京成線内ではアクセス特急となる。
空港間連絡列車だが、その目的で使う人はそう多くないかもしれないな。


京急と京王が高松を走る

2泊3日の旅は高松市内のホテルに宿泊。ことでん(高松琴平電鉄)の片原町駅が最寄りであるため、仲間と出かける前の7時台に、一人で散歩がてら撮影に出かけた。
ちなみに私は四国としては瀬戸大橋の通る与島にしか行ったことがなく、これが四国本土初上陸。四国の鉄道も初撮影だ。



1200形(片原町)

最初に遭遇したのは元・京急700形の1200形車両。4両対応ホームなど、京急大師線にも通じる雰囲気。特異な18m4ドア車がこうして東京を離れても活躍しているのは貴重だ。
この片原町(かたはらまち)駅はことでん琴平線の駅で、起点の高松築港駅の隣。高松市中心部の繁華街に近く、ことでんの中では数少ない都会的な風景にある。



1200形(高松築港—片原町)

朝の低い日差しと建物の多さで、影が多くなってしまう。カーブの先がどうなっているのか気になり、アウト側に沿った道を進んでいくと、カーブはそのまま大通りを踏切で跨いでいた。


1200形(高松築港—片原町)

しばらく待って最初に現れたのは、さっきの1200形の折り返し。黄色の車体色は琴平線の電車を示す。




1300形(高松築港—片原町)

ほどなくしてまた踏切が鳴いた。こんども下りだが、先ほどとは違う長尾線長尾行の列車。前の列車とはたった2分差。高松築港・片原町・瓦町(かわらまち)の3駅間は、この長尾線の列車も乗り入れてくる。
この車両は元・京急1000形(初代)で、一般的な3ドア車。『お〜いお茶』のラッピングでライトグリーンが印象的。
2枚目のように、電柱や警報器の影がごっつり入るので、このカーブでの撮影は2本で切り上げた。



1100形(片原町—瓦町)

こんどは片原町駅を通り越して瓦町駅方へ進んだ地点。歩いてもっと進むつもりだったが、列車が来たので足を止めた。日陰が多い位置だが仕方ない。
車両は元・京王5000系の1100形。前出の京急車もそうだが、カラーリング以外は種車のスタイルがおおかた維持されていて嬉しい。それぞれの表示幕もそれぞれの古巣での書式に準じている。


1100形(片原町)

1372mm軌間の京王5000系は他軌間へ移る際は台車が振り返られる。ことでんは標準軌1435mmで、1100形は京急1000形(初代)発生品を履いているとのこと。

1100形を追って場所を変える。また片原町駅を通り越して戻り、先ほどのカーブの踏切より高松築港方へ進んだ明るい場所。高松城跡である玉藻公園のお濠に沿った区間だ。



1100形(高松築港—片原町)

望遠で高松築港駅を出た最初のカーブを曲がってくるところを捕らえる。
この後お濠と城の雰囲気を出す艮櫓(うしとらやぐら)の脇を通るのだが、背後から上り列車が来てしまった。


1200形(高松築港—片原町)

緑色の長尾線列車。4ドアの1200形で、全労済の広告車だ。


1100形(高松築港—片原町)

1100形と玉藻公園とのコラボは撮れず。残念。長尾線1200形の折り返しで再チャレンジすることに。



1200形(高松築港—片原町)

長尾線列車はアウトカーブを逆行して現れた。カーブよりこちら側にシーサスクロッシングがあり、このクロスで駅の進入番線を分けているようだ。調べると、高松築港駅では長尾線は上のルートを通る3番のりば発着と決まっているようだ。



1200形(高松築港—片原町)

お濠と松、艮櫓とのコラボ撮影成功。なお高松城天守閣は今はなく、艮櫓はあくまで城の中の付随する建物だ。

すぐ背後の踏切が再び鳴いた。





1100形(高松築港—片原町)

現れたのは1100形。こうなると、この車両での玉藻公園コラボのリベンジを果たさねば。





1100形(高松築港—片原町)

よかった、こんどは被られなかった。

ホテルへ戻るため三たび片原町へ。



1300形(片原町—瓦町)

ラッピングなしの、長尾線色スッピン車両をようやく撮れた。
なお、同じ元・京急1000形(初代)でありながら1080形という車両もある。1300形より早い時期にことでんに転入した車両で、長期に渡り製造された京急1000形(初代)の中でも世代差からスペックが異なるため、1300形入線時は別形式にしたそうだ。



1100形(片原町—瓦町)

切り上げてホテルに行こうとしたところにまた踏切が鳴いて足を止めた。1100形が京急車を連れて4両編成で現れた。


1200形(片原町)

後ろに付いていたのは1200形のユニバーサルホーム広告車。京王と京急、17.5m3ドアと18m4ドア、裾絞り有無といういろんな差のあるコンビ。
これにていい加減ホテルに戻った。


こちらは名古屋

翌23日、これまた朝イチでの記録。



600形(今橋)

仲間と朝食のため出かけた際にことでん志度線今橋駅の踏切を通った。ホームのすぐ裏には車庫があり、ピンクの腰回りの志度線車両が目の前に現れた。
600形は元・名古屋市営地下鉄東山線250形・700形、名城線1600〜1900形を改造したもの。中間車に運転台を取り付けた車両で、先頭車化改造は名古屋市時代(元250形)とことでん移籍時(元250形以外)と車両によって異なる。
後ろに続く2両は同じく元名古屋市営地下鉄東山線300形・名城線1200形を種車とした700形。


600形(今橋)

621号は元250形で、名古屋市時代に700形を先頭車化改造したもの。
開業時の短編成から中間車新造で徐々に編成を延ばした結果車齢に差がつき、開業時の車両を廃したときに車齢の若いこの中間車に運転台を付けて残した。東武2080系なんかも同様の例だ。
第三軌条式の車両だったため、ことでん転入時にパンタグラフを設置、冷房改造も行い、パンタは京王、冷房装置は京王・小田急・泉北の各社の廃車発生品を活用しているそうだ。

元名古屋市の車両はことでんの全線に所属している。

あくまで旅のついで。2泊3日だったが、鉄道撮影はこの記事の分のみで終了。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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