2024/03/10

カラフルトレインズ・10/京成赤電

カラフルシリーズは国鉄形が続いた。
JR形は209系、E231系、E233系についても記事ができそうだが、まだ撮れてないものもあったりするので、また次の機会に。

今回はわが地元近くも走る京成電鉄の赤電(+α)。
※この記事では、現役車両と被る数字の形式については写真キャプションのみ「初代」を付けます。


炎電

京成電鉄の一般車は1952(昭和27)年にくすんだ緑の濃淡の車両が登場し、のち在来の一般車全車に普及。
1959(昭和34)年、初代3050形が上半分モーンアイボリー・下半分ファイアーオレンジ・境目にステンレス縁付のミスティラベンター帯の新色で登場し、都営浅草線・京急線へ乗り入れ可能な3000〜3300形の塗装「赤電」として定着した。一方緑の濃淡の非直通車は「青電」と呼ばれた。
私が写真を撮り始めた頃は全身がファイアーオレンジでモーンアイボリー帯を巻いた姿の炎電(私が勝手に書いてるだけの愛称。読み方は読み手に委ねる)になっていて、関東の大手私鉄でいちばんダサい塗色になっていた。


210系(京成上野・1988.3.31)(d)

モハ210形とクハ2100形の「210系」編成。210形は戦前車輌の更新車で足回りはカルダン駆動であるが、都営・京急直通非対応のため青電塗装を保っていた。
他形式が去って青電最期の砦となったこの210系編成5本(クハ2000形1両を含む)は、赤電グループと同様に炎電塗装へ変更された。モーンアイボリー帯は赤電グループのようなステンレス縁はなく、ちょっと締まりのない感じだった。
写真は引退前に青電に戻った2102Fで、運用最終日。京成で最初のリバイバルカラーイベントかもしれない。2000形を含む編成は前年のうちに廃車になっていたため、HMに「2000形」の文字はない。
たぶんこの時が初めて京成に撮影に行った日で、撮り鉄も始めて半年経ってない頃。炎電時代の210系は実見していたが撮ってはいない。


初代3000形(京成西船・1990.7)

辛うじて撮影できていた晩年の3000形炎電。新製時の1灯から変更されたブタ鼻ヘッドライトが特徴の車両更新工事後の形態。撮った当時、私は赤電グループの細かい形式分けはわかっていなかった。ドアの片開き・両開きや表示幕の有無があることは知っていたが。
3000形は「最初の都営浅草線直通規格車」だが、登場時は青電塗装・1372mm軌間の台車だった。
登場翌年に京成は都営浅草線・京急線に合わせた1435mmへ改軌され、3000形も台車改軌(新製時に準備済)と3050形に合わせた赤電色への変更が行われた。
3000形は冷改や表示幕取付は行われないまま、写真翌年3月の3700形投入を受け廃車となった。


初代3050形(東中山・1990.7)

3050形は当初から1435mm・赤電塗装で登場した「最初の赤電」である。
1980(昭和55)年から赤電グループと210系が炎電に変わっていった。塗装コスト削減が目当てだが、当時京成は大手私鉄ながら経営が厳しい状況にあったことが要因。炎電は「火の車」と揶揄された。
その後京成電鉄は、傘下のオリエンタルランドが経営する東京ディズニーランドの開園やリストラ敢行で立ち直った。
写真は3000形と同様の1回目の更新後の非冷房の姿。更新工事の開始は3050形が先だったようだ。


初代3050形(青砥・1992.5.3)

冷改を受け、表示幕取付も行われた3050形。幕の配置のため、ヘッドライトがまた変わっている。堂々8両編成で空港特急に就いた姿。
元の赤電塗色に対しこの塗色パターン自体を「ファイアーオレンジ」と呼ぶのが一般的。
先にセイジクリーム1色塗りで省力化を進めた東武(「下塗りのままで走っている」と言われた)とは関屋や押上付近で顔を合わせた同士。両社は本社が墨田区押上にある点も共通していた(現在京成は市川市八幡)。


初代3100形(東中山・1993.3.3)

3100形は当初からおでこ両側にヘッドライトを配置して登場。32両のうち2次車となる後半の16両は空気バネ台車を装備し、3200形と3300形1次車まで続いた。
冷改時に表示幕取付も行われており、貫通扉の出っ張った種別幕は3050形と同じで両者はそっくりになったが、3050形の後付けヘッドライトのほうが位置が低く、ファンなら一発で見分けられた。


3150形(京成高砂・1992.5.3)

3150形は赤電で初めて中間車が新製された形式で、編成と通風器回り以外は3100形を踏襲しており、ヘッドライトもおでこ左右であった。
3000・3050・3100形はすべて先頭車での新製であったが、更新時にたくさんの車両が中間車化改造されている。
3150形は赤電で初めて冷改を受け、同時に更新工事も行った。顔は3600形に似せてヘッド・テールライトが窓下で並んだため、モーンアイボリー帯はライトにかからない形で切れた。
種別表示は幕は設置せずサボを貫通扉の小窓の内側に挿す形としたが、当時「普通」サボはなく、普通列車は赤く塗られたサボ受の地が見えた状態となった。帯がない顔はご覧のように真っ赤っか。


3200形(京成西船—海神・1989)

3200形は赤電初の両開きドアの車両であるが、登場時は非冷房・表示幕なしであった。
顔は3150形までの丸妻から3面折妻に変更されたが、3150形から大きくは変わっていない。
3221以降は先頭車の運転台側台車がモーターなしとなり、3220Fまでが8M(4連で電動台車8つ)車、3224F以降が6M(同6つ)車と棲み分けされた。
1991(平成3)年3月の京急乗り入れ再開時「先頭台車が電動台車でないといけない」という京急独特のルールに則るため、6M車の先頭車の台車を前後入れ替えている。
冷改・更新後は3150形の更新後と同様の顔になったが、種別表示はサボ挿しをやめて表示幕化された。側窓も外ばめユニット窓化されている。
この当時は「普通」表示のみ英字が併記されていなかった。


3200形VVVF車(東中山・1993.3.3)

3200形のうち、ラスト2本(3294F・3298F)は特急「開運号」用にセミクロスシートとなり、3150形然とした片開きドアに戻った。
片開きに戻した理由は、ドア間ボックスのシートピッチ確保のためドア間口を狭くしたかったから。3292・3296はトイレと車販準備室が設けられた。
3150形のラスト1本もセミクロス(トイレ等はなし)で、3200形2本と組み合わせて6両編成2本(3292・3296が1本ずつに入る組み方)が造られた。
これら12両は初代AE形の営業運転開始を以てトイレ・車販準備室撤去とロングシート化が行われている。
写真の3294Fは更新・冷改時にVVVFインバータ制御に変更され、正面のヘッド・テールライトケースが東武の車両のような角張った一体型となった。片開き車での2丁パンタや両先頭車が赤電初のクハとなるなど、個性的な編成となった。


3200形片開き車(国府台・1989)

一方、3298Fは更新・冷改時のVVVF化はなく抵抗制御のままであった。
3294Fとともに正面は3面折妻・更新では種別も含めた表示幕取付・側窓のユニット窓化が行われ、3150形とは各所が少しずつ趣きが異なる。
結果としてこの編成も唯一無二のタイプとなった。


3300形(東中山・1989)

3300形は3200形をベースに車内の「掴まるところ」が増えた車両。座席端部のスタンションポール設置や、ドア部や枕木方向の吊革の設置などだ。
2次車となる3317以降の車両は新製から表示幕(1つの窓の中で種別・行先セパレート式)が前面・側面に付いたほか、台車が金属バネに戻っている。
写真の手前4両は3300形のラストナンバーである3356F。3300形は冷改だけ先行して行われた形式で、更新前の特徴である側窓の保護棒が見える。
更新工事が同時施工されなかったのは、冷改の必要性が高まった時点で車齢が比較的若かったからだ。


3300形(海神—京成船橋・1989)

こちらは1次車ラストナンバーの3316F。
総武線乗り越えのための築堤を登坂しているところで、現在この場所は高架化されている。わざわざ築堤を上る形で設置された歩行者専用踏切での撮影。
前述の通り3300形は冷改時に更新工事をしなかったため、1次車は表示幕のない冷改車となった。
その後夜間や地下駅での視認性の低さを解消するため表示幕取付が行われたのが、写真の姿。側窓は保護棒がある原型のまま。
貫通扉自体が新品となっているが、後の更新工事でこの写真のタイプの貫通扉は3050形に転用のため外され、再度新品に交換されている。各車両2年弱の姿だった。


3300形(京急川崎・1992.4)

更新工事後の3300形。再度新製した貫通扉の窓(種別幕含む)が金属押さえになっている点が3200形と異なる。
また6両固定編成を造るため、2次車の一部の先頭車の中間車化改造が行われた。
更新工事により1次車・2次車が同じ形の車体に揃った。
北総〜京成〜都営〜京急の直通運用に就いた姿。


3300形(市川真間・1992.5.3)

船橋の築堤での写真の3316Fは、更新時にクロスシート試験車となった。戸袋部に白地の小さい円形ステッカーが貼られている。
当時の行先幕は「上野」と「成田空港」だけ漢字の上に英字が入っていた。他社で英字が漢字の上に来る例を見たことがなく、そのデザインセンスに疑問を感じたものだ。


3300形(1992.5.3)

3316のクロスシート部。4連の車内はロングとの千鳥配置など4車4様であったが、この車両は扉間はすべてこの座席だったと記憶している。
腰部に厚みがあるが、3200形開運車のエピソードを考えると、両開きドアのうえ厚い背もたれで、シートピッチは狭かっただろうな。
ご覧のようにガラガラの普通列車だったので、向かいに人が座った形は体験していない。都営・京急直通運用には入らないようにしていたようだ。


試験塗装車


3200形(京成西船・1991.12.23)

1991(平成3)年12月、3200形8M車の3220Fが試験塗色に塗り替えられた。
同年3月営業運転に就いたステンレス車・3700形の色調を踏まえたもので、野暮ったい炎電からの脱却へ動いたのだ。
鋼製車体のためベースはライトグレーとし、前面は同幅の赤青帯、側面はクリーム帯をステンレス縁取りを活かしたまま赤に変更、その下と幕板に青のラインを入れた。
車体のグレーと緑がかった台車のグレーの違いが面白い。


3200形(荒川—四ツ木・1992.2.11)

続いて12月末に同じ8M車である3212Fがホワイトベース・3216Fがライトブルーベースで登場。
写真は2本が併結した列車である。架け替え前の押上線の荒川橋梁で、八広駅がまだ荒川駅だった時代。現在のトラス橋は写真右側の下流側に建設された。
3220Fで赤帯下にあった青帯は省略されてしつこさが軽減されたが、同年7月にデビューした東武300・350系のような、側面はなんだか物足りない2色の離れた帯である。


3200形(船橋競馬場・1992.3)

ライトブルーの3216Fはなんだか西鉄っぽい色味。火の車は脱しても、青ざめた感が否めない。種別表示青文字の急行には合ってるかも。この編成は翌年4月に早々に炎電に戻された。
京成本線の急行は停車駅整理のうえ2002(平成14)年10月に快速に改められ、その後も残っていた押上線の急行も2010(平成22)年7月の改正で廃止。京成から急行は消滅している。


3200形(京成幕張本郷・1992.4.2)

驚いたのが3208Fのイエローグリーン。3色登場から年が明けた1992(平成4)年1月の登場。
こちらも地色以外はホワイト・ライトブルーと同じ仕様。ライトブルーとともに、会議でライトグレーを選んでもらうための捨て案としか思えないが、趣味的にはいいんですよ。こういうのが出ると楽しくて。
ぬりえ対象となった3200形8M車はトップの3204Fのみ炎電から変わらず、3216Fが炎電に戻るまでの3ヶ月ほどは8M車全5本がすべて異なる塗色となっていた。


3200形(京成高砂・1992.5.3)

イエローグリーン登場と同月、3220Fは一部が変更。編成海側のみ赤帯下の青帯を廃止。3217の前面も青帯を廃止したうえ、赤帯は側面につながるよう端が窄まる「口裂け」スタイルになった。編成山側と3220の前面は変わっていない。
他3色と同様、青帯を減らす向きで検討がすすんだものと思われる。


3200形(青砥・1993.2.20)

1992(平成4)年末に新標準色のベースをライトグレーに決定。3212Fがホワイトからライトグレーに変更され、翌年1月に新顔の鋼製車・3400形がライトグレーベースでデビューした。
3212Fは2月に再変更。赤電帯のステンレス縁は上辺を残し撤去、側面の赤帯が太くなり、その下に間を空けて青帯を配置。正面赤帯の太さと、側面の赤+隙間のグレー+青の幅が同一になった。前面にはブラックフェイス風のフィルムが付いた。
写真はその変更の月に撮ったもので、今で言うウソ電的なブラックフェイス見て慌てて撮ったものである。
5月に入って3212のブラックフェイスとステンレス縁が剥がされ、その3212の形が新標準色の決定稿となった。


灰電


3100形(八広・1995.4)

新標準色(長いのでこれも私の勝手な呼び方で「灰電」とする)化された3108F。3132Fとともに3100形の塗り替えの最初のロットとなった。
前面は赤帯部にライトがないため、3150形以降と異なる独特の雰囲気となった。
車輌の交代期が迫った4連2本は灰電化されず廃車された。写真の3108Fも写真から1年弱後に廃車されている。


3150形(京成西船・1994.3.26)

3150形の灰電は例の普通列車時のサボ受が目立つままで、これまた独特の雰囲気。


3200形(海神・1994.10.16)

3200形両開きドア6M車4連15本は更新後6連10本に組み替えられた。
4連5本を2両ずつ10ユニットに分けて別の4連10本につなぎ、4連の10本の2両ユニットにつなぐほうの先頭車が中間車化された。
写真は3260Fの上野方に3276-3275のユニットを付け、3260を中間車化、3259はパンタ撤去、3258は2パンタ化したもので、編成的には上野方の先頭車の車号から3276Fとなる。


3200形VVVF車・3100形(千葉中央・1995.4)

千葉中央駅で並んだ片開きVVVF車3294Fと3100形トップの3104F。3294Fは炎電の中でも褪色が強い印象があったが、写真前年に灰電になって息を吹き返した。
角形ライトケースの外側の端は青帯の端からだいぶ内側に入っていて、ほかの3200形に比べ、赤青帯回りが散らかっている印象だ。


3300形(江戸川・1995.4)

この記事3度目の登場の3316F。灰電化と同時にクロスシートからロングシートへの再変更が行われた。
ロングシートはバケットタイプとなり、また試作要素が継続している。塗装がきれいであるが、この月の出場だそうだ。


リースと初リバイバル


千葉急3050形(大森台・1995.4)

3050形は引退が迫ることから灰電への塗り替えは行われなかったが、1994(平成6)年に3074Fが千葉急行電鉄へリースされた。
これは千葉急先代所属車である1000形1029F(京急からのリース車)の置き替えのためで、塗色は1029Fの配色を引き継ぎ、腰帯幅は灰電のそれをまとめたサイズとなった。
写真は千葉急が大森台—ちはら台間を延伸開業したときのもの。のち3074Fの後釜として3100形・3150形も千葉急へリースされたが、塗色は灰電の赤青帯の色をてれこにしただけのものであった。残念ながらてれこ帯姿は実見したが撮影はできていない。
千葉急の経営は芳しくなく、1998(平成10)年に京成に事業譲渡。千葉中央—ちはら台の千葉急行線は京成千原線となった。


3050形(海神・1994.10.16)

写真の年、改軌35周年と鉄道の日に絡め、写真の3062Fが赤電色に復刻された。
都営浅草線は軌間を京急に合わせた1435mmとしたが、開業時の形式・5000形の塗色は先に京成とつながることもあってかこの赤電にそっくりなものとなり、京成・京急に対するツンデレが利いていた。クリームは5000形のほうが若干淡い感じだった。
この3062Fは年明け2月の廃車までこの色のままであった。


北総7050形(松飛台・1995.10.10)

3150形のうち、3166Fと3170Fが赤帯を紺帯に変えて北総鉄道へリースされた。タイミングは写真前月のようだ。
北総では7050形7054F・7058Fを名乗り、元京急1000形の7150形8連1本を置き替えた。北総では「普通」サボが用意された。
その後も検査期限を見ながら入れ替わり立ち替わり3150形の北総リースが続いたようだ。


北総7260形(大町・2014.8.21)

京成から北総へのリースは3700形→7300形7800台(長期前提)、3200形→7250形(短期前提)と続いた。
7250形が2年ちょっとで京成に還り廃車され、後釜で2006(平成18)年にリースされたのが3300形→7260形。4連口の1次車3308F・3316Fが選ばれ、7264F・7268F(事実上2本をつなげた8両固定)となった。
写真で顔を見せている7268Fは元3316Fで、当記事4回目の登場である。赤電→炎電→単独冷改→単独表示幕取付→更新&クロスシート→灰電&バケットロング→7260と、3316Fはお色直しの回数がハンパないのだ。
7260形は9年間も北総に居続け、レアキャラとして注目を浴び続けた。3300形の中でも最後の引退となった。
撮影時記事 京成カラー・2&3200形8M車


100周年リバイバルと赤電の終焉


3300形(京成西船—海神・2011.7.24)

2008(平成20)年以降、3300形は4連のみに整理され、定期では普通列車のみの運用となった。
2009(平成21)年に創立100周年を記念しリバイバルカラー編成が3本登場。最初に登場の3356Fは青電。3300形で初めて青電カラーを纏ったことになる。
当初は幕・胴回りの色が濃すぎる印象だったが、写真の時期は色褪せていい感じになっていた。幼少の頃に見たリアル青電はもっと渋く疲れた色味に感じていた。塗料の進化で発色が良くなってたり、古いカラープリントを見続けるうち自身の色味の記憶がそのプリントの色味に書き換わっていることも多い。
撮影時記事 白地種別幕


3300形(大神宮下・2011.4.1)

100周年リバイバル2番手は3324Fの赤電。ミスティラベンター帯はステンレス縁も含めフィルム貼り付けでの表現である。
炎電化後の更新顔では帯は前に回らなかったが、このリバイバル赤電ではフィルムできっちり前面にも回っている。
2年前に元開運用3298Fも引退までの2ヶ月ちょっとをこの姿で過ごしているが、両開きドア車では3324Fが初のリバイバル赤電である。
撮影時記事 白地種別幕 さよなら運転


3300形(京成西船—海神・2013.3.24)

しんがりは炎電。省力化に因る塗装パターンのため、再現作業は簡単であっただろう。
3編成ともリバイバル時の種別幕は白地に種別ごとの色文字だったが、リバイバル翌年、他形式とともに地色と文字色が反転したものに交換された。
炎電に関してはこの記事の通り同じ顔で過ごしていたことがあるが、「普通」幕が黒地になるだけで印象が全然違う。3本のリバイバルカラー編成は2013(平成25)年2〜3月のあいだにすべて引退している。この写真はラストランのもの。
撮影時記事 ミラフォレスタ号(白地特急幕)



3300形(京成西船—海神・2015.2.28)

3300形で最後まで残ったのは3304Fと3344Fで、2本をつなげた8両編成の臨時特急でさよなら運転を行った時の写真。
3304Fは空気バネ台車・3344Fは金属バネ台車で、営業運転では1987(昭和62)年以来この2つの台車の編成の併結は避けていたそうだ。そのため、さよなら運転前には8両で試運転も行った。
2本は翌日3月1日に廃車となった。北総7260形となっていた2本も3月22日にさよなら運転を行い、赤電グループは完全消滅となった。
撮影時記事 京成 3300形いろいろ

※記事リンクは付けやすいものだけ付けました。
京成のなつかし写真はブログ初期を中心にいろいろな記事にこまごまたくさんあるので、次の記事にリンク一覧を掲載しています。
写真だけのまとめなら「アルバム」から入れるアルバムリンク一覧に【京成系】の項目があります。


(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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