2024/03/04

カラフルトレインズ・9/JR167・169系

165系の続きとして、仲間の167・169系編。


167系

167系は、155系、159系に続いて登場した修学旅行用電車。
155・159系は153系ベースでかつ低屋根車体であったが、167系は165系ベースで、パンタ部のみ低屋根となった。
ボックスシートに折りたたみ式テーブルが付けられるほか、ドア幅が165系の1,000mmより狭い700mmとなっている程度で、165系との違いは大きくはない。編成はクハとモハユニットのみの4連基本。


167系モックアップ(交通博物館・1991)

万世橋の交通博物館にあったクハ167のモックアップ。登場時の165系との一番の違いは、この「修学旅行色」を纏っていた点だ。
交博閉館後の現在はカットボディとなって大宮の鉄道博物館で生きながらえている(未だに鉄博行ってないな…)。
交博館内ではなぜかこの1枚だけ撮っていて、他に何も撮っていないのが悔やまれる。


167系(東京・1987.11.8)

修学旅行列車の新幹線移行が進むと、167系は一般の波動用がメインとなり、修学旅行色も廃止されて湘南色に変更された。
写真当時、田町電車区の167系は伊豆急に直通する東京—伊豆急下田間の愛称名のない快速列車で走っていた。土休日のみで1日数往復の設定だったろうか?


167系快速「伊豆マリン号」(東京・1989)

この年、愛称名のない臨時快速は夏の「伊豆マリン」号に化けたが、ネットで調べる限り1日1往復になったと思われる。快速「アクティー」が同年に登場していることもあるだろう。
手作り感満載のHMが付いていて、「撮りに来て良かった」と思った。
この列車は冬場は「伊豆いでゆ」号となり、女性が温泉に浸かる絵柄のHMが付いた。


167系(品川・1992.5.11)

こちらは系列としての本職である修学旅行列車に就いた姿で、品川で何も知らずに遭遇したもの。房総系と同じ六角形の「かながわ」のHMが付いている。
調べると、写真当時湘南色の167系はH11・H19の2本のみで、その2本がつながった編成と思われる。またH19は角形ライトユニットに改造済のため、この顔が見えている編成がH11、奥がH19となるだろう。
湘南色編成はボックスシートのままで、この神奈川県の学校の修学旅行列車によく充当されたそうだ。
H11はクハ167-2が国鉄時代に事故廃車されており、パンタなしのモハ164側に付くクハは165系のクハ165-3が編成されている。写真はそのクハ165-3と思われる。
東海道線 なつかし写真・3


167系(田町電車区・1988.4.3)(d)

1988(昭和63)年4月の田町電車区公開時に撮ったH11のクハ167-1。
211系との並びや、ここでは対象外だけどクロ157なども撮った日だ。
88.4.3 クモハ40と田町電車区公開


167系快速「メルヘン立川」(西船橋・1988)(d)

私の中で一番身近を走った167系の列車が、TDLアクセス快速の「メルヘン」。土休日の運行。
車両は田町の167系をリクライニングシートへ交換した専用編成2本(H17・H18)で、明るいグレーに緑と青を配置したカラーリングとなった。
1988(昭和63)年12月の京葉線新木場延伸により舞浜駅が開業し、その時から設定された立川・大宮から武蔵野線経由で舞浜へアクセスする列車。
写真は「回送」表示のままであるが乗客が見え、快速「メルヘン立川」の復路便である。


167系(西船橋・1988)(d)

こちらは上の写真で奥に写っているほう。
こっちが回送列車で、当時の京葉線の起点である新木場で折り返し、舞浜から快速「メルヘン大宮」として客扱いを行う。
こうして2本のメルヘン車が西船橋で並んだのだ。現在もそうだが、舞浜駅は折り返し設備がない。


167系(潮見・1990.3)

1990(平成2)年3月、京葉線が新木場から東京へ延伸。立川便は東京のりかえのほうが早く行けるため廃止。逆に大宮便が宇都宮発着と前橋発着に昇華した。
舞浜行は快速「メルヘン舞浜」、舞浜発は快速「メルヘン宇都宮」「メルヘン前橋」の名となり、大宮で分割併合される。
写真は、朝の「メルヘン舞浜」が舞浜で客扱いを終え回送となり、東京から折り返してきたところ。
結局メルヘンは翌年7月以降は設定がなかった模様。
潮見今昔


167系「富士急ハイランドスケート号」(武蔵境・1991)

「ハイランドスケート号」から改称された「富士急ハイランドスケート号」。HMは多少垢抜けたものに変わった。165系時代の6両編成から減車されている。
写真の編成は田町のH15。座席を発生品の簡易リクライニングシートに変更したアコモ改善車で、塗色も湘南色から変わっている。メルヘン車が中間車で48席なのに対し、こちらは64席とシートピッチが狭くなっている。
このアコモ改善車はH12〜H16の5本で、のちメルヘン車も車体更新時にこの色になって「元メルヘン車」となった。
元メルヘン車は正面のライトが角形のヘッド・テール一体式に変更された。1993(平成5)年には急行「しんせん・やまなし」で使用のため、編成を組む『パノラマエクスプレスアルプス』と同色に再度塗り替えられ、元メルヘン車は、数年間で湘南色から3度の塗色変更を受けたこととなる。


169系

169系は、信越線の横川—軽井沢間の碓氷峠区間でEF63と協調運転を行うために造られた。
協調運転関連の機器以外は165系との差はなく、遠目に165系との違いはわかりにくい。


169系(下諏訪・1989.9.17)

中央東線の塩尻口を走る松本のA編成。画質が粗いが、おそらくA19。東は甲府までの運用があったようだ。
クハ169の助士側車体下部にジャンパの蓋が3つ付いており、貫通路側の1つが形状が異なる。この「クハ助士側3つ付」が169系の見た目の特徴…と、この記事を書くにあたり知った。


169系(千葉・1992.9.27)

幕張の波動用R3。幕張で唯一の169系であった。この列車は通常113系が用いられる定期普通列車運用に就いた姿。
前々記事の115系同様、冷改などの事情で一時的に編成数が不足して代走に至ったもので、後ろに165系R2をつないだ6両編成。
私はこの列車に佐倉まで乗って、113系よりゆったりしたボックスシートを堪能した。側面方向幕がないため、一般利用者は戸惑っただろう。
房総各線 なつかし写真・3


169系(立川・1993.11.6)

立川駅に現れた湘南鉄仮面。鉄仮面部分は211系風の帯となった。3つ付ジャンパの部分は鉄仮面が欠けている。
助士側の窓の下方に車号を示すステッカーらしきものがあり、編成は三鷹の車両かもしれない。この列車は団臨と思われる。
なつかし写真 いろいろと


169系快速「みすず」(塩尻・1989.9.16)

国鉄時代の1986(昭和61)年11月改正で急行「天竜」が急行「かもしか」・快速「みすず」に再編され、急行「かもしか」には専用車が用意された。
サハ165を含んだ長野の169系N編成4連で、新幹線発生品の転換クロスもしくはリクライニングシートを備え、「新急行」という呼び方も造られた。塗色はアイボリー地に長野のNをデザインしたものとなった。
急行「かもしか」はJR化後の1988(昭和63)年に廃止され、快速「みすず」に一本化された。
写真はその「みすず」に就く姿。4連2本の8両編成で、新宿や名古屋に顔を出さない列車としては長い印象。
当初「新急行色」「かもしか色」と呼ばれたが、のち「みすず色」に変わっていったようだ。


169系快速「ファンタジー舞浜」(西船橋・1990)

長野から舞浜を目指す快速「ファンタジー舞浜」に就いたみすず色。
夏休みの土日とお盆期間、9月の連休時に運転された臨時列車で、長野を0時前に出る夜行。当時はまだつながっていた横軽経由での運転だ。
車内灯の減光があったのか気になるが、たぶんないだろうな。この編成はサハのない3連だった。


169系(西船橋・1994.3.26)

115系とともに初代長野色へ塗り替えられた松本のA編成の団臨。
前方の編成は同じ色だったのか気になるところだが、この向きの写真しかない。
京葉線 過去の臨時列車


169系(坂城・2018.9.19)

169系は3連1本がしなの鉄道坂城駅に保存されている。
この編成はしな鉄開業時にJR東から譲渡されたS51で、もとはみすず色のN31だった編成。しな鉄には4本の169系が移った。
115系と同じしな鉄色となったが、S51は169系の定期運用終了後に湘南色に復帰し1ヶ月半のあいだ臨時・イベント列車に使用されてから引退となった。S52も2度湘南色を纏い、2度目は引退まで継続された。
このS51はクモハ+モハがトップナンバー、クハがラストナンバー(27)という組合せ。
撮影時記事


169系(軽井沢・2018.9.20)

しな鉄の169系保存車はもう1両あって、軽井沢駅の子ども向け施設「森の小リスキッズステーション」の一部となっていた。予備知識なしで遭遇しびっくりした。
顔を撮れる位置がなく困ったが、新幹線ホームからカメラを頭上に掲げてどうにか撮った。
車両はしな鉄S52だったクモハ169-6で、『ろくもん』同様水戸岡鋭治氏によるデザイン。現在はすでに姿を消している。
撮影時記事

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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