2024/02/08

カラフルトレインズ・2/JR103系後編

103系のつづき。


JR103系・後編

オレンジバーミリオンは101系が登場した際にまとった色。投入された中央快速線のラインカラーとなった。
中央快速線でもそのオレンジの103系が走ったが、同線の主力は101系から201系へ移り変わった感じ。
103系は武蔵野線用に101系(1000番台へ改造)を捻出した分の補填であり、その後自身も転出で101系より先に同線から去っている。


大阪環状線103系(大正・2016.3.20)

オレンジの103系が最初に登場したのは大阪環状線と桜島線(現愛称・JRゆめ咲線)。長らく大阪市を走り回っていたが、写真の1年半後に3ドア車の323系に完全に置き替えられた。
101系との混在・201系との混在時期のほか、103系オンリーの時期もあった。冷房有無、運転台高低、戸袋窓有無、体質改善車等、史上のバリエーションは多岐に渡る。
写真の時期は大和路線へ区間快速での乗り入れ運用があった。京橋でクロスする片町線(現愛称・学研都市線)もオレンジの101系・103系が走った。
撮影時記事


青梅線103系(立川・1991)

青梅線・五日市線では中央線より早く103系が登場。京浜東北線からの転入で当初はスカイブルーのままであったが、順次オレンジに塗り替えられた。
私が小さい頃、コロタン文庫で白黒の青梅線103系の写真を見て、青梅の「青」から青梅線は京浜東北線と同じ色だと思っていたが、実際にそういう時期があったわけだ。


青梅線103系(立川・1991.12.1)

この高運転台ATC対応クハもどこからか転入したのであろう。
同じく小さい頃、103系の中でも高運転台車は都会の重要な路線に入った印象があるので、青梅から先の山岳区間を走る高運転台クハはなんだかミスマッチだった(写真の列車は青梅止まりだが)。
青梅線 なつかし写真


武蔵野線103系(葛西臨海公園・1991.12.1)

武蔵野線は101系をA基準に則り難燃化改造したオレンジの1000番台車が走っていたが、車齢が高く、国鉄のJR移行前には103系で置き換えが完了した。
103系は転入前の色のままで走り始めることが多く、順次オレンジになっていった。私の通った小学校の校舎からは西船橋の武蔵野線ホームに停まった電車の顔が小さく見えたのだが、明らかにオレンジではない車両を何度も見かけた。
当時武蔵野線を使う用もなく間近では見られなかったが、ネットで見てきた限り、103系基本5色はすべて走った模様。
写真は新小平駅水没により一時的に新秋津折返しになっていた時期のもの。


武蔵野線103系(船橋法典・1994.3.26)

武蔵野線は私が高校通学で利用していた頃(写真は卒業後の時代)に、全編成6連から一部8連へ増強が行われた。
このとき8連に貼られた「8CARS」のステッカーは、山手線11連と同じデザインのもの。実際連日乗っていただけに、当線の103系のバリエーションもなかなかのものだったのを憶えている。
武蔵野線 なつかし写真・2


中央・総武緩行線103系(新小岩・1989)

103系で初めてのカナリアイエローは、私のほぼ地元を走る中央・総武緩行線用。
山手線のカナリア101系がウグイス103系投入で総武線に転出したのが総武線*=カナリアとなったきっかけ…と思っていたが、私の認識違いで、山手線からの転入より総武線に直接新製投入されたほうが先だそうだ。
*身近でない方に説明すれば、実際のところ日常会話で「中央・総武緩行線」とか「中央線の各駅停車」なんて呼ぶ人は少なく、御茶ノ水以西であっても黄色い電車は「総武線」と呼ばれる。


中央・総武緩行線103系(代々木・1990.12.9)

乗った回数は多いのだが、意外にカット数が残ってないのが今になって悔しいところ。
総武線の103系も新製・転入とさまざまで、写真の先頭車はATC対応クハであるが、ATC非対応で乗務員室直後の戸袋窓が存在するクハもあった。
私が小学校低学年のときは中央快速線から転入のオレンジの編成、高学年のときは両端クハのみウグイスで中間車はカナリアという編成が走っていた。
総武線の103系はほとんど冷房車で、例外は東中野事故(列車追突)による車両不足で廃車間近の他線の非冷房車を回した際程度だ。
総武線 なつかし写真・1


京葉線103系(二俣新町・1989)

京葉線を走る中央・総武緩行線用のラシ302。カナリアで統一後の写真だが、実はこの編成こそ、両端クハがウグイスの状態で総武線に来た編成。対応工事を施して京葉線の予備編成となっていた。
西船橋発着時代、小学校脇の京葉線を朝走る姿をよく見ていて、私は「メロン電車」と呼んでいた(夕張メロンっぽいイメージ)。上下列車がすれ違うとスカイブルーと合わせて3色の103系を同時に見られたのだから、電車好きはテンションが上がった。

10両固定のため、前記事で触れた昼間の6両運転の時間帯には当然現れず、朝ばかり見られたのも納得である。
営業線の蘇我延伸前は千葉みなと—蘇我間をつないでいた貨物線を使って回送していたのか、詳しいところはわからない。
なお武蔵野線には両端低運転台クハがカナリア・中間車がウグイスの逆メロン6連が走っていた。


南武線103系(尻手・1990)

旧国を101系で置き替えた南武線。その101系の老朽化により、他所から103系を転入させて車両の更新を進めた。よって、この路線も103系のバラエティは豊か。
写真の時期は、101系・103系・新製205系が共存するカオスな状態。晩年の101系はすべて冷房改造車であったためか、割とゆったりと残っていた。


南武線103系(武蔵中原・1991)

中原区内の高架化から1年経っていない頃の写真。
当線ではATS-P導入後、103系のクハはこの高運転台車に統一された。どうせATS-Pを付ける工事をするなら、経年の浅いクハ=高運転台車のほうがいいだろうという観点からだそうだ。
南武線 なつかし写真


鶴見線103系(国道・1998.11.12)

南武線同様カナリアの101系が走っていた鶴見線。17m車の旧国クモハ12こそ武蔵白石駅の大川支線用急カーブホーム対応のため1996(平成8)年まで残したが、103系が101系を1992(平成4)年までにすべて置き替えた。編成は3連。
写真は武蔵白石駅の大川支線ホーム撤去後で、103系オンリーの時期。車両は非ユニット窓の高齢クハで、年増の化粧があちこちに施されている。
なつかし鶴見線2・国道駅


中央・総武緩行線103系1200番台(西船橋・1988.10.2)

103系1200番台は中央・総武緩行線が営団地下鉄東西線に乗り入るための車両として登場した。
アルミ車体の301系が先代であるが、製造費が高価であり、増備にあたっては千代田線直通用の常磐緩行線103系1000番台に続く1200番台が設けられた。
1000番台は301系のイメージを継いだライトグレーベースに常磐線のエメグリの帯を巻いており、1200番台はそれをカナリア帯に変えた形となった。
写真は非冷房7連。当時301系には7連と10連があったが、103系1200番台は7連オンリー。同時期は東西線5000系も7・10連の混在だった。

わが地元の東西線を走る1200番台は私の生活の一部だったが、それにしては総武線同様コマ数が少ない。いまはデジカメで取り放題だが、当時はフィルムカメラで枚数は限度があったし、しっかり東西線を撮る日があまりなく、どこかへ撮りに行くときの行き帰りのついでで撮ったのがほとんどだったというのもある。
営団東西線 なつかし写真・103系-1


中央・総武緩行線103系1200番台(行徳・1994.4.1)

1989(平成元)年8月、中央・総武緩行線に205系が登場した。
中野—三鷹間の緩行ホームでは「黄色は総武線、銀色は東西線」という案内表示があり、要は黄色ベタ塗りが総武線という認識だった。
ステンレスにカナリア帯の205系は「銀色」なので、東西線直通と勘違いした誤乗が頻発した。
そこで、黄を総武線・青を東西線という捉え方にすべく、地下鉄直通車の黄帯を青帯に変更した。色は京浜東北線と同じ青22号だ。

写真は10連へ編成替えしたもので、0番台のサハ103が1両混じった8M2Tとなっている。1200番台の冷改はすべてAU712の簡易冷改だが、サハ103のみAU75の集中型のため、編成のアクセントとなっていた。


中央・総武緩行線103系1000番台(西船橋・1989)

東西線直通車の車両数確保のため、常磐快速線に転身していた103系1000番台10連1本を東西線直通用に転入させたのがこの編成。転入整備時は黄帯であったが、前述の理由からほどなく青帯に変更されたため、1000番台の黄帯はほぼ幻の姿となっている。パッと見の1200番台との区別は、乗務員室直後の戸袋窓がない点、10両すべてが集中式のAU75での冷改となっている点である。晩年、この編成の青帯はかすれまくっていた。
営団東西線 なつかし写真・103系-2


播但線103系3500番台(姫路・2019.10.19)

こちらは記事時点で現役の播但線用103系。同線の電化にあたり整備された3500番台。
クモハ103-2500番台(学研都市線用自動解結装置取付の5000番台《5001以外は中間車から先頭車改造》→自動解結装置撤去で2500番台に改番)を含むモハユニットを捻出し、モハ102を先頭車化改造(→クモハ102)し2連としたものだ。全車40N体質改善工事を施している。50系客車のような深い赤をまとっており、同線の非電化区間の気動車も同じ色をベースとした。

同じ兵庫県での加古川線では同様に整備された貫通形のエメグリ3550番台2連が同じく現役で活躍中。
播但線ではラッシュ時用に阪和線からスカイブルーの6連が移ってきた時期があったが、2006(平成18)年の一時期のみで姿を消している。
撮影時記事


和歌山・万葉まほろば線105系(高田・2016.3.19)

103系ではないが、こちらは国鉄時代に千代田線直通用103系1000番台から改造した105系4ドア車。撮影当日、この地下直顔をまた拝めたのは嬉しかったな。
改造当初はクリーム地に奈良っぽい朱色帯だったが、引退時は紀勢線寄りのオーシャンブルーを纏っていた。


和歌山・万葉まほろば線105系(高田・2016.3.19)

中間車からの改造車は先頭車化が行われ、105系新製3ドア車と共通の顔が付いた。
JR西の103系が軒並み戸袋窓閉鎖が施された中、105系4ドア車はほとんどが閉鎖なしで推移し、103系らしさを維持していた。この編成は珍しく集中形の冷改を受けている。
この年はこの3月と9月の二度に亘って関西を回ったが、今振り返れば多くの車両が過去帳入りしている。行っておいて良かったな。
撮影時記事

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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