また月曜が休みになった。夕方に家を出て、京葉線二俣新町駅に出向いた。
205系の快速誉田行や、201系の通勤快速成東・勝浦行なんかを撮ろうという魂胆。夏至を過ぎたばかりのところで、夕方も明るい。
ツバメがえり
201系(二俣新町)
何かを感じて蘇我方に立ったら、いきなり201系登場。何かというか、単に房総直通列車の時刻まで1時間以上あったからなんだが。
201系(二俣新町)
ケヨ53+K3編成。無意味にLEDの運行番号を撮ってみたり。
ちなみに「京葉線」幕出しっぱなしのケヨ51+K1編成は今月内に一旦疎開から戻ってきたが、数日でまた津田沼へ出て行ったそう。
201系(二俣新町)
京葉線創業期、車両はスカイブルーの103系だったわけだが、未だそのカラーを引き継いでいるのが201系10両編成4本。
開業時は沿線にひっかけて「マリンブルー」などとも言われたが、京浜東北線と変わらぬ見慣れた色だ。
この列車に乗って一旦南船橋へ。改札を出てコンビニで買い物をしてからまた入場。二俣新町に戻って、撮るだけ撮ったらすぐ出場して帰れるようにするためだ。
南船橋上りホーム東京方先端で各駅停車が来るのを待つ。この上り東京方先端の上屋にはツバメの巣があるらしく、ヒナのぴぃちくぱぁちくがずーっと鳴り響いている。たまに親がエサを持って還って来るとそのボリュームが上がり、まるでW杯でボールがゴール近くに進んだときのブブゼラのボリュームアップのようだった。
下りホームでは「武蔵野線からの17時21分発海浜幕張行は、途中遅延により本日に限り運休いたします」とのアナウンス。はぁ、西船橋で打ち切りになったんだろうか?
こちらの各駅停車も21分発。それに乗って私も巣である二俣新町に舞い戻った。
なのはな!
東京方先頭で移動したものの、ちょっと考えたらさっきの201系が海浜幕張からこれまた舞い戻ってくるじゃないか。ということで、最初に立った蘇我方へ舞い戻る。…しつこいな。
二俣新町駅ホームは、周辺の倉庫系の職場から17時終業で上がってきた通勤客で賑わっていた。
201系(二俣新町)
戻ってきたケヨ54+K4編成。車掌さんもさっきと同じベテランの方だった。「また居やがる」って思われてるんだろうな。
さて、こんどこそ東京方に張り付こう。
二俣支線の列車の音が聞こえるたび武蔵野線以外の列車じゃないかチェックするようにしているが、その甲斐あって?か、お姿を拝見出来ました。
485系「ニューなのはな」(二俣新町)
蘇我方面へ走り去って行ったのは「ニューなのはな」だった。さすがにノーチェックだったな。
このあとも、この二俣支線を行くEF65PFの貨物や京葉線209系500番台の西船橋行などを指をくわえて眺めた。
きょうは曇っていて、雨もパラパラ降ってきた。東京方はホーム端から2両分は上屋がないため、折りたたみ傘は持ってきている。
画質は粗くなるが、カメラの設定を高感度オートにした。
205系(二俣新町)
E257系500番台特急「さざなみ」(二俣新町)
201系(二俣新町)
最初に撮った53+K3を再び。
房総行タイム突入
そろそろ房総直通列車の時間帯に突入。降ったり止んだりだった雨が続くようになり、傘をさして待つ羽目に。
205系(二俣新町)
はじめは快速誉田行。蘇我から外房線へ2駅だけ入る不思議列車。平日のみの存在。過去にも一度新浦安で撮っているが、冬で完全に夜の状態だった。
205系(二俣新町)
E257系500番台特急「わかしお」(二俣新町)
205系(二俣新町)
こちらは房総直通列車の中心的存在・快速君津行。内房線に入った列車の一部は折り返して千葉まで出る列車がある。房総直通列車は分割運用を除いて110km/h運転対応のこの京葉顔205系と209系500番台の専任。
雨は降り続く。列車を撮るときは傘は下ろしている。手持ちのカメラが安定しないし、列車の風圧で折りたたみ傘が飛んでしまったら何が起きるかわからない。ゆえに、撮り終えると体は湿っている。
そろそろマリンブルーの201系担当の通勤快速がやって来る頃だが、そんな青のせいか雨が強くなってきた。
201系(二俣新町)
赤い通勤快速幕を出した201系ケヨ54+k4編成が轟音を立てて登場。思えば、このカメラで通勤快速を撮るのは初めてだ。
京葉線201系の晴れ舞台であるこの成東・勝浦行だが、思いっきり雨に見舞われてしまった。まぁ、これはこれで雰囲気のあるものになったが、やっぱり粗いわ…。
201系(二俣新町)
ついでの後追いは予想通りブレてしまった。
まだまだ待てば上総一ノ宮行快速なんかも来るんだが、雨が続いているので終了。
そして、外へ出て駐輪場の自転車に乗った途端、雨は止んでしまった。
青の201系は雨男なのかもしれないな。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2010/06/28
2010/06/27
南武線 なつかし写真
最近撮りに出かけられていないこともあり、当ブログは放置状態が続いてしまった。
なつかし写真もいろいろあるけれども、スキャンが間に合ってなかったりでこちらもだんだん手をつけなくなり…と悪循環に入りかけていた。
そんな折、こないだ発売された『鉄道ファン』誌8月号の特集は「東京メガループ」。
該当の京葉、武蔵野、横浜、南武の各線はすべて205系が主力という共通点があり、その205系投入以前は本線系の使い古しの103系があてがわれていた。武蔵野・南武線は101系もだ。
手持ちのスキャンデータを探ってみたところ、南武線に関してはまとまっているようなので、今回はそれをアップ。
101系
南武線は101系が全国で最期まで現役で走っていた路線。厳密には浜川崎支線のワンマン対応2連がそれにあたる。
101系(尻手・1990)
カナリアの101系は関東のみの存在で、山手線に始まり、赤羽線、中央・総武緩行、南武線、鶴見線でその姿が見られた。
このうち南武線と鶴見線では1990年代まで残り、中央快速線から移籍の冷改車も多く見られた。103系と違い、冷改の際の側面方向幕の設置は行われていないのが特徴。
101系(尻手・1990)
南武線では3+3の6連も多く見られたが、見るかぎり私が撮ったのは6両貫通ばかりのようだ。
101系(尻手・1990)
この翌年の1月に南武線のカナリア101系は引退した。
101系ワンマン車(尻手・1990)
こちらは浜川崎支線用のワンマン対応2連。ワンマン対応改造後、ご覧のような特殊な塗色に変更された。写真の尻手(しって)と浜川崎の4駅の区間をチョロチョロと往復していた。
101系ワンマン車・EF65 500番台(尻手・1990)
貨物線優位のような浜川崎支線。その終点の浜川崎は鶴見線との接続駅だが、のりかえには改札を出て細い車道を渡らないといけない。
ワンマン区間定番のバックミラー撮りをしてたら、ちょうど両さんマユ毛のEF65が通過していった。
101系ワンマン車は分散型AU712を用いた簡易冷改を受けている。こちらの引退は本線に後れること12年、21世紀に入った2003(平成15)年となった。
103系
南武線103系は若番車からATC付高運転台車までさまざまなタイプが在籍した。
103系(尻手・1990)
私の中での南武線の103系というとやはりこの「低運転台・改造2灯シールドビーム」顔が思い浮かぶ。側窓が非ユニット窓の古い車両が多い印象。
103系(川崎・1993)
こちらは先に挙げたタイプの更新・黒Hゴム化後の姿。やはり非ユニット窓で、厚化粧感は否めなかった。
103系(尻手・1990)
103系(武蔵中原・1991)
高運転台・ATC対応のクハが先頭の編成。新しい高架の武蔵中原だと似合うのだが、基本地べたを踏切で道路を横切りながら走る南武線に、この高運転台車は何か不釣り合いな感じたしたもんだ。側窓も当然ユニット窓。
103系(向河原・1994.4.17)
地平の向河原に到着した高運転台車。やっぱり似合わない。尻手での1990(平成2)年の写真でも19番編成が写っているが、見ての通り別モノに替わっている。新形式ではなく、103系同士での置き換えが行われていた証拠だ。
205系
他路線からのお古ばかりが続いていた南武線だったが、1989(平成元)年に205系が新製投入された。
205系(尻手・1990)
新製投入車は先に投入された横浜線用と同じく、ドア窓の下辺が下がったり、正面に種別表示窓ができたりと、山手線用とは雰囲気が変わっている。
205系(武蔵中原・1991)
車庫のある武蔵中原は2面4線の高架駅。写真の時代は高架化から間もないころで、ストラクチャーがまだキレイだ。
205系(府中本町・1991.12.1)
府中本町駅武蔵野線ホームから撮ったもの。上下線とも外側から南武線・貨物線・武蔵野線の構成で、南武線と武蔵野線ののりかえは階上の通路を通る必要がある。
205系・103系(向河原・1994.4.17)
南武線205系は3色帯も特徴。旧国を思い起こさせるぶどう色がいいアクセントになっている。東京メガループ4線の205系では、京葉線のみが単色帯だ。
南武線では現在、先頭車化改造車を含む山手線からの転入車も多く活躍している。
209系
南武線には209系も在籍。新製投入車と最近の京浜東北線からの移籍車がある。
209系(川崎・2008.11.8・mb)
こちらはまだ最近である2008(平成20)年にケイタイで撮った写真。
京浜東北・根岸線用車両の撤退で、なんとこの1996(平成8)年製ナハ32編成が209系0番台最後の1本となってしまった。他はすべて廃車になったか改造転出により新番台に生まれ変わっている。
貨物列車
南武線は貨物列車のルートとしても重要。浜川崎支線は脇を走る貨物線のほうが偉そうにしている。
FE64 1012+貨車(尻手・1990)
ホッパ車を連ねたEF64 1000番台牽引の列車。現在は姿を消した、奥多摩からの石灰石輸送列車だと思う(貨物はよく知らないので…)。
この先ホームを過ぎてから列車は渡り線を使って浜川崎支線へ流れて行く。
FE65 1086(尻手・1990)
尻手駅の先には新鶴見の武蔵野貨物線との短絡線が延びていて、このPFは新鶴見方面から浜川崎方面を目指して走ってきたもの。うしろに貨車があるかどうかは不明。なお、この1086号機は先月新小岩でちょっとボロいJR貨物色の姿を撮っている。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
なつかし写真もいろいろあるけれども、スキャンが間に合ってなかったりでこちらもだんだん手をつけなくなり…と悪循環に入りかけていた。
そんな折、こないだ発売された『鉄道ファン』誌8月号の特集は「東京メガループ」。
該当の京葉、武蔵野、横浜、南武の各線はすべて205系が主力という共通点があり、その205系投入以前は本線系の使い古しの103系があてがわれていた。武蔵野・南武線は101系もだ。
手持ちのスキャンデータを探ってみたところ、南武線に関してはまとまっているようなので、今回はそれをアップ。
101系
南武線は101系が全国で最期まで現役で走っていた路線。厳密には浜川崎支線のワンマン対応2連がそれにあたる。
101系(尻手・1990)
カナリアの101系は関東のみの存在で、山手線に始まり、赤羽線、中央・総武緩行、南武線、鶴見線でその姿が見られた。
このうち南武線と鶴見線では1990年代まで残り、中央快速線から移籍の冷改車も多く見られた。103系と違い、冷改の際の側面方向幕の設置は行われていないのが特徴。
101系(尻手・1990)
南武線では3+3の6連も多く見られたが、見るかぎり私が撮ったのは6両貫通ばかりのようだ。
101系(尻手・1990)
この翌年の1月に南武線のカナリア101系は引退した。
101系ワンマン車(尻手・1990)
こちらは浜川崎支線用のワンマン対応2連。ワンマン対応改造後、ご覧のような特殊な塗色に変更された。写真の尻手(しって)と浜川崎の4駅の区間をチョロチョロと往復していた。
101系ワンマン車・EF65 500番台(尻手・1990)
貨物線優位のような浜川崎支線。その終点の浜川崎は鶴見線との接続駅だが、のりかえには改札を出て細い車道を渡らないといけない。
ワンマン区間定番のバックミラー撮りをしてたら、ちょうど両さんマユ毛のEF65が通過していった。
101系ワンマン車は分散型AU712を用いた簡易冷改を受けている。こちらの引退は本線に後れること12年、21世紀に入った2003(平成15)年となった。
103系
南武線103系は若番車からATC付高運転台車までさまざまなタイプが在籍した。
103系(尻手・1990)
私の中での南武線の103系というとやはりこの「低運転台・改造2灯シールドビーム」顔が思い浮かぶ。側窓が非ユニット窓の古い車両が多い印象。
103系(川崎・1993)
こちらは先に挙げたタイプの更新・黒Hゴム化後の姿。やはり非ユニット窓で、厚化粧感は否めなかった。
103系(尻手・1990)
103系(武蔵中原・1991)
高運転台・ATC対応のクハが先頭の編成。新しい高架の武蔵中原だと似合うのだが、基本地べたを踏切で道路を横切りながら走る南武線に、この高運転台車は何か不釣り合いな感じたしたもんだ。側窓も当然ユニット窓。
103系(向河原・1994.4.17)
地平の向河原に到着した高運転台車。やっぱり似合わない。尻手での1990(平成2)年の写真でも19番編成が写っているが、見ての通り別モノに替わっている。新形式ではなく、103系同士での置き換えが行われていた証拠だ。
205系
他路線からのお古ばかりが続いていた南武線だったが、1989(平成元)年に205系が新製投入された。
205系(尻手・1990)
新製投入車は先に投入された横浜線用と同じく、ドア窓の下辺が下がったり、正面に種別表示窓ができたりと、山手線用とは雰囲気が変わっている。
205系(武蔵中原・1991)
車庫のある武蔵中原は2面4線の高架駅。写真の時代は高架化から間もないころで、ストラクチャーがまだキレイだ。
205系(府中本町・1991.12.1)
府中本町駅武蔵野線ホームから撮ったもの。上下線とも外側から南武線・貨物線・武蔵野線の構成で、南武線と武蔵野線ののりかえは階上の通路を通る必要がある。
205系・103系(向河原・1994.4.17)
南武線205系は3色帯も特徴。旧国を思い起こさせるぶどう色がいいアクセントになっている。東京メガループ4線の205系では、京葉線のみが単色帯だ。
南武線では現在、先頭車化改造車を含む山手線からの転入車も多く活躍している。
209系
南武線には209系も在籍。新製投入車と最近の京浜東北線からの移籍車がある。
209系(川崎・2008.11.8・mb)
こちらはまだ最近である2008(平成20)年にケイタイで撮った写真。
京浜東北・根岸線用車両の撤退で、なんとこの1996(平成8)年製ナハ32編成が209系0番台最後の1本となってしまった。他はすべて廃車になったか改造転出により新番台に生まれ変わっている。
貨物列車
南武線は貨物列車のルートとしても重要。浜川崎支線は脇を走る貨物線のほうが偉そうにしている。
FE64 1012+貨車(尻手・1990)
ホッパ車を連ねたEF64 1000番台牽引の列車。現在は姿を消した、奥多摩からの石灰石輸送列車だと思う(貨物はよく知らないので…)。
この先ホームを過ぎてから列車は渡り線を使って浜川崎支線へ流れて行く。
FE65 1086(尻手・1990)
尻手駅の先には新鶴見の武蔵野貨物線との短絡線が延びていて、このPFは新鶴見方面から浜川崎方面を目指して走ってきたもの。うしろに貨車があるかどうかは不明。なお、この1086号機は先月新小岩でちょっとボロいJR貨物色の姿を撮っている。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2010/06/10
10.6.7 動かざること…・3
市川塩浜へ到着。
狙っていた下りホーム蘇我方端には2人の先客。…あそこは狭いので、混じるのは遠慮。
ということで、半年前と同様東京方へ立つ。
ムーヴ・3
205系量産先行車(市川塩浜)
武蔵野線205系(市川塩浜)
255系回送(市川塩浜)
休日のきのうと違い、平日はこの255系回送(上り「わかしお10号」の返し)が先に通り、E257系500番台「わかしお9号」が続行する。わかしお9号のダイヤは全日一緒だが、255系回送は各停・快速のダイヤを避けるように工夫されているようだ。
201系(市川塩浜)
やっぱり201系は枚数が増えちゃうな…。
E257系500番台特急「わかしお」(市川塩浜)
件のわかしお9号。
武蔵野線205系(市川塩浜)
私の好きな武蔵野顔205系。1枚目は12月とまったく同じ位置でシャッターを切ったようだ。奇妙だ。
武蔵野線205系(市川塩浜)
東京口に入る武蔵野快速はこの市川塩浜の蘇我方のカーブあたりで上下列車がすれ違うことが多い。
…どうも蘇我方にいた2名の撮影者はいなくなっているようだ。201系を撮っているのは見たんだが。
ムーヴ・4
誰もいなくなった蘇我方へ移動。新習志野あたりでE233が折り返すんなら、もうそろそろ来てもいい頃だとも思うが。あくまでスジは知らないもんで。
E257系500番台特急「わかしお」(市川塩浜)
205系(市川塩浜)
209系500番台(市川塩浜)
205系(市川塩浜)
武蔵野線205系(市川塩浜)
京葉顔と同デザインながらシルバーベース&スカートなし維持の武蔵野顔は全部で5編成のみ。ケヨM62〜65の4本と、M61の中間車を差し替えたM35がそれに当たる。対してノーマル顔の武蔵野編成は36本。都合41本中の5本が武蔵野顔ということで、単純計算で武蔵野顔遭遇率は12%ちょっととなる。
さっき東京方で撮ったのがM64、そしてM65、M62…。30分の間に東京口で3本に遭遇するというのはかなりレアなケースだ。
205系(市川塩浜)
武蔵野線205系(市川塩浜)
209系500番台(市川塩浜)
205系量産先行車(市川塩浜)
うーん、E233の試運転は全然戻ってこないな…。
201系(市川塩浜)
さっき撮ったばかりのような気もした201系も、東京から戻ってきてしまったか。
武蔵野線205系(市川塩浜)
205系(市川塩浜)
武蔵野線205系(市川塩浜)
市川塩浜に来てから1時間。もう次の各停で二俣新町へ戻って帰ろう、と待っていると、ついに4本目の武蔵野顔・M35編成まで現れた。こんなことがあるもんなんだな。なお、1枚目は長大編成に見えるが、当然武蔵野快速上下列車のすれ違い後の風景。
ムーヴ・5
二俣新町へ帰還。もうちょっと粘ってみるかと、蘇我方のカーブで待っていると、いきなり来ましたよ。
E233系(二俣新町)
あきらめて動いたら来たE233系の試運転列車。救いは、市川塩浜からの移動の途中ですれ違わなかったことか。ただ、見ての通りピン甘になってしまった。
E233系(二俣新町)
先ほどの下りのときには通常の停車位置にピッタリ停まっていたが、この列車は完全に停車位置を過ぎてから、思い出したように一旦停車。そしてすぐにまた走り出したのであった。
いつも人がいなくて個人的に撮りやすい二俣新町なのだが、きょうはせっかく市川塩浜で待っていたのでもうちょっと早く来て欲しかったな。
明日に疲れを残さぬため、この列車を以て帰宅した。
ちなみに、駅を出る前だったか出た後だったか、南船橋へ向けて走り去る武蔵野線205系はきょう最後の1本の武蔵野顔だった。つまりはケヨM63編成。こりゃ何か恐ろしいことがあるかもしれないな…。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
狙っていた下りホーム蘇我方端には2人の先客。…あそこは狭いので、混じるのは遠慮。
ということで、半年前と同様東京方へ立つ。
ムーヴ・3
205系量産先行車(市川塩浜)
武蔵野線205系(市川塩浜)
255系回送(市川塩浜)
休日のきのうと違い、平日はこの255系回送(上り「わかしお10号」の返し)が先に通り、E257系500番台「わかしお9号」が続行する。わかしお9号のダイヤは全日一緒だが、255系回送は各停・快速のダイヤを避けるように工夫されているようだ。
201系(市川塩浜)
やっぱり201系は枚数が増えちゃうな…。
E257系500番台特急「わかしお」(市川塩浜)
件のわかしお9号。
武蔵野線205系(市川塩浜)
私の好きな武蔵野顔205系。1枚目は12月とまったく同じ位置でシャッターを切ったようだ。奇妙だ。
武蔵野線205系(市川塩浜)
東京口に入る武蔵野快速はこの市川塩浜の蘇我方のカーブあたりで上下列車がすれ違うことが多い。
…どうも蘇我方にいた2名の撮影者はいなくなっているようだ。201系を撮っているのは見たんだが。
ムーヴ・4
誰もいなくなった蘇我方へ移動。新習志野あたりでE233が折り返すんなら、もうそろそろ来てもいい頃だとも思うが。あくまでスジは知らないもんで。
E257系500番台特急「わかしお」(市川塩浜)
205系(市川塩浜)
209系500番台(市川塩浜)
205系(市川塩浜)
武蔵野線205系(市川塩浜)
京葉顔と同デザインながらシルバーベース&スカートなし維持の武蔵野顔は全部で5編成のみ。ケヨM62〜65の4本と、M61の中間車を差し替えたM35がそれに当たる。対してノーマル顔の武蔵野編成は36本。都合41本中の5本が武蔵野顔ということで、単純計算で武蔵野顔遭遇率は12%ちょっととなる。
さっき東京方で撮ったのがM64、そしてM65、M62…。30分の間に東京口で3本に遭遇するというのはかなりレアなケースだ。
205系(市川塩浜)
武蔵野線205系(市川塩浜)
209系500番台(市川塩浜)
205系量産先行車(市川塩浜)
うーん、E233の試運転は全然戻ってこないな…。
201系(市川塩浜)
さっき撮ったばかりのような気もした201系も、東京から戻ってきてしまったか。
武蔵野線205系(市川塩浜)
205系(市川塩浜)
武蔵野線205系(市川塩浜)
市川塩浜に来てから1時間。もう次の各停で二俣新町へ戻って帰ろう、と待っていると、ついに4本目の武蔵野顔・M35編成まで現れた。こんなことがあるもんなんだな。なお、1枚目は長大編成に見えるが、当然武蔵野快速上下列車のすれ違い後の風景。
ムーヴ・5
二俣新町へ帰還。もうちょっと粘ってみるかと、蘇我方のカーブで待っていると、いきなり来ましたよ。
E233系(二俣新町)
あきらめて動いたら来たE233系の試運転列車。救いは、市川塩浜からの移動の途中ですれ違わなかったことか。ただ、見ての通りピン甘になってしまった。
E233系(二俣新町)
先ほどの下りのときには通常の停車位置にピッタリ停まっていたが、この列車は完全に停車位置を過ぎてから、思い出したように一旦停車。そしてすぐにまた走り出したのであった。
いつも人がいなくて個人的に撮りやすい二俣新町なのだが、きょうはせっかく市川塩浜で待っていたのでもうちょっと早く来て欲しかったな。
明日に疲れを残さぬため、この列車を以て帰宅した。
ちなみに、駅を出る前だったか出た後だったか、南船橋へ向けて走り去る武蔵野線205系はきょう最後の1本の武蔵野顔だった。つまりはケヨM63編成。こりゃ何か恐ろしいことがあるかもしれないな…。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)