2018/09/30

18.9.19 信越“&”ルート・16/長野駅・屋代・戸倉駅

しなの鉄道北しなの線から長野駅に戻ったあと、こんどは信越線経由でしなの鉄道しなの鉄道線へ向かう。




花咲く沿道

3番線で列車を迎える。




115系(長野)

S14編成3連が入線。線路がぐにゃぐにゃしているため真正面から撮れる位置もある。




115系(長野)

折返し小諸行642M。これに乗車。
クモハ115-1010は更新ボックスシートながら国鉄ブルーのモケットの車内。デコラはライトグレーになっている。

信越線を4駅進むと、3路線の分水嶺である篠ノ井に到着。JR線を直進すると篠ノ井線。
ここから軽井沢方はかつて信越線だったが、「長野新幹線」開業時にしなの鉄道へ移管されている。



EH200-9(篠ノ井)

ホームの向こうにぽつんと停まっているのは…「わ、いつの間に」(@上島竜兵)。
北長野で見たブルさん9号機じゃないか(前記事参照)。長野で抜かれたんだろうな、それしかない。
調べたところ、単1384レという運用だった。私がS14編成の車内を眺めているころに7番線を通過したらしい。



115系(屋代)

篠ノ井から2つ目の屋代で下りる。


(屋代)

なんだか「長野に来たなぁ〜」っていう感じの駅名標。


(屋代)

跨線橋を上がると、2012(平成24)年に廃止された長電屋代線へのアプローチ。なんだか不安な強度に見える。



(屋代)

緑を背景に、心落ち着く木造上屋のホーム。ステキなホームだ。
旧長電の部分に関してはまた後で観察する。



(屋代)

駅舎もベタな感じの中央に三角屋根を付けたタイプ。
駅名表示は横断幕に隠れてしまっていた。


(屋代)

ロータリーのへそには彫刻を置く暗黙のルールだ。




(千曲—屋代)

花々を愛でつつ線路際の道を千曲駅方向へ進む。線路東側は住宅が並ぶ。



115系(千曲—屋代)

近くの踏切が鳴いて慌てて列車を迎える。先頭はド逆光+カラーリングのせいで真っ黒に。
このカラーパターンの意図はよくわからんが、視認性や塗装工程の手間を考えたときによく却下にならなかったと思う。
S12編成の長野行639M。長野駅で撮った編成。



(千曲—屋代)

道路脇の不思議な構造物は美大生の作品。チェーン囲いが近すぎて作品の邪魔をしている。
左端の消火栓は作品ではなくこの辺りのあちこちにある現役のものだ。




(千曲—屋代)

なんだかいろんな色の花が咲いていて、天気のよさからつい撮ってしまう。
花の写真は絞り優先のAモードで撮るのが基本だ。




(千曲—屋代)

目的の踏切に到着。駅から遠すぎないお手軽撮影地を調べておいた。
風情ある風景がそこにある。なつやすみだなぁ〜。…9月半ばすぎだけど。



115系(千曲—屋代)

到着から12分ほど待って現れたのはS23編成の小諸行644M。こちらも長野駅でも撮った編成。
もちろん1枚目のちょいカーブがお目当てのアングルだが、2連は短いね。


115系(千曲—屋代)

18分後。S2編成「沿線キャラクター大集合ラッピング列車」の2641M長野行が通過。
軽井沢始発の列車で、ツーマン運転のため「普通」のみの表示だ。
S2編成も5本の復刻塗装編成と一緒に運用が公開されている。





115系(千曲—屋代)

屋代駅でキャラ列車と顔を合わせて停まっていたスカ色S16編成登場。
長野駅、北しなの線三才駅に続いて3度目の撮影だが、この列車は小諸行快速604Mなので前2回と違い「快速」表示だ。
湘南・初代長野・コーラ・長野の4本が動いていない時間(湘南は終日)なので、復刻塗装に関してはこのスカを狙うしかないのだ。

再び住宅地と線路の間の道を進んで屋代駅へ向かう。
あの「作品」の下には、昼休みの工事作業員が侵入して寝転がっていた。日陰にもならんけどなぁ。


屋代線跡

屋代駅の南端にはシャッター脇に「長電屋代工場」と書かれた建物がある。



(屋代)

屋代線が来ていたことから長電を名乗る施設がここにあるんだろう。
輝く車輪が見えている、わざわざ長電の機器をここで整備しているのだろうか…?


(屋代)

駅に入ると、線路と架線が工場内に続いているのが確認できた。
調べたら、現在は「長電テクニカルサービス屋代車両検査場」なんだそうだ。
屋代線廃線までは長電の車両を扱っていたが、現在はしな鉄の検査を請け負っているとのこと。



(屋代)

こちらが長電屋代線が来ていたホームの跡。上屋があったが、廃止後に撤去されている。
長電は奥の線路だけを使っていたため、島式ホームを区切っていたフェンスが残っている。
屋代線は最後は元日比谷線の3500系が専任で走っていた。
沿線から長野市中心部に出るにはバスのほうが手っ取り早く、末期の途中駅の乗降客数は200人/日を切るものがほとんどで、廃線も当然という状態だった。



(屋代)

屋代線は写真奥で右側に分かれていく形だった。
国鉄時代は上野発の電車急行「志賀」が湯田中を目指して当駅から長電に直通したこともあった。


115系(屋代)

踏切で真っ黒の姿を撮ったS12編成の1646Mに乗車。戸倉(とぐら)止まりだ。

千曲駅を経て戸倉に滑り込む。
あぁ、車窓右側には『ろくもん』が上屋のついた線に停まっているのが見える。


115系(戸倉)

そして着いた線の隣には湘南色が…。


115系(戸倉)

S27編成の小諸行1648M。
乗ってきた列車と運行番号が続いているとおり、たった3分の接続列車。これにのりかえる予定で来た。


115系(戸倉)

朝長野駅で撮ったコーラも湘南色に続いて停まっている。
この駅が車両の拠点だったのか。記事では後付けで調べたことをいろいろ書いているが、リアルタイムでは調査済のダイヤ関係以外はよくわかっていないもんで。

湘南色の顔は撮れそうになく、コーラも乗ってきたS12編成が邪魔で、ろくもんはホームを挟んだ先で…かつ時間がない!
後ろ髪をひかれつつも、立てた予定の通り進む。戸倉駅、降りてじっくり見たかった…。



115系(戸倉)

原型ボックスと淡緑デコラが残るステキなS27編成に乗り込んだ。


115系(戸倉)

悪あがきで、乗務員室越しに並びを撮る。
初代長野色は朝は編成を組んでいたコーラと切り離されて奥の線路に隠れていた。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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