2011/01/10

11.1.8 真間川橋りょう

家から散歩をするうち、中山法華経寺まで歩いてしまった。
ついでの初詣をしたその帰り道は真間川沿いを進み、メトロ東西線真間川橋りょうに近づいた。

東西線は南砂町駅の東で地下から一気に高架へ上がり、終点の西船橋駅の手前まで高架、西船橋駅の周りは築堤から地平となる。
営団時代は各駅の看板にSマークとともに「地下鉄 SUBWAY」の表記があり、他線も含めた高架区間の駅もすべてそうなっていて、どこかしっくりこなかった。
東西線の高架区間には川を渡る橋が4つある。荒川中川橋りょう(全長1236.05m/荒川放水路・中川放水路を渡る)、江戸川第一橋りょう(138.60m/旧江戸川)、江戸川第二橋りょう(506.40m/江戸川放水路)、そして真間川橋りょう(40.00m/真間川)だ。
真間川橋りょう以外の橋の名称はそのものに書かれている名前にしたが、メディアによって「第1江戸川橋梁」など全く違うものもあり、正式名称がよくわからない。また、東陽町—南砂町間から分岐して深川検車区に至る回送線にも汐浜運河を渡る橋が2本並べて設けられている。


水鏡…?

本線上では一番地味なのが真間川橋りょう。原木中山駅を西船橋へ向けて出ると、京葉道路を渡り、その先で道路と真間川を連続して渡る。短い真間川橋梁は中路プレートガーダー(たぶん)で、他の3橋とは違って車窓を遮る鉄骨はない。


JR E231系800番台(原木中山—西船橋)

東西線の上流にある橋・柳橋から下流へ進んだところで撮ったもの。川の流れはほぼ凪の状態で、クッキリではないが水鏡になっていた。


(原木中山—西船橋)

で、一旦柳橋まで戻って橋を見る。東西線の下流には水道管と北原木橋、その下流側にも水道管がある。すべて鋼材は青系に塗られている。



15000系(原木中山—西船橋)

幕部にも帯が入る15000系の登場で、青の線が増えた。西船橋へ向かうA線列車。


東葉2000系(原木中山—西船橋)


05系(原木中山—西船橋)


15000系(原木中山—西船橋)

西船橋方は7スパンの上路プレートガーダーで青い鉄製の桁が続いていて、その先は何事もなかったかのようにラーメン橋に変わる。その境目は市川市と船橋市の境界にほぼ重なる。都市計画上の都合が絡んでいるのかもしれない。


シルエット


15000系(原木中山—西船橋)

左の真間川橋りょうと右の産業道路を跨ぐ架道橋の間に四つ足のラーメン橋がある。ラーメン橋というより橋台のよう。
同じ1スパンで渡る橋なのに、架道橋は上路プレートガーダー(たぶん)で形が違う。逆に言うと、東西線の鉄製の架道橋はこの形が多く、真間川の上だけ違う橋が架かっているということ。下が川と道とでこの違いがどうして生まれるのか、興味深い。
ちなみに、京葉線の市川塩浜駅の二俣新町方には2本の下路ワーレントラスが架かっているが、第1市川橋りょうは道路、第2市川橋りょうは運河を跨いでいて、真間川橋りょうとその隣の架道橋との関係とは真逆。




15000系(2枚目のみ)(原木中山—西船橋)

真間川橋りょう隣の架道橋の原木中山方。日が奥に沈んでいく。線路は南西〜北東に近い角度で敷かれている。
この近くを成田新幹線が通る計画になっていたため、そのために土地を取得した名残の標柱の写真が『鉄道ファン』誌2008年8月号で紹介されているが、私は細かい位置はわからない。画面左にはマンションが建っているが、私が子どもの頃はエアポートリムジンバスの車庫だった場所で、白とオレンジに塗られたあのバスが並んでいた。成田空港にいろいろと縁がある場所なのだ。



05系(原木中山—西船橋)


15000系(原木中山—西船橋)

高輝度LEDの側面行先表示がキレイ。一気に暗くなってきたので、これにて終了した。


ほかの橋りょう

東西線の本線上の橋りょうでは、江戸川第二橋りょうでの写真はこれまでたくさんアップしている(09.11.310.9.6ほか)。のこり2橋についてはちょっとだけ撮ったものがあるのでアップ。


5000系(南砂町—西葛西・1991.7.29)

下路ワーレントラスの荒川中川橋りょう。上流にある葛西橋から撮ったもの。見ての通り、東西線に並行する清砂大橋はまだない頃。画面左の西葛西方はトラスの天地が少なくなっているのがわかる。
車両は左がラッシュのB線列車で冷改車、右がA線列車で非冷房車。


05系(葛西—浦安・1991.7.29)

下路ランガーの江戸川第一橋りょう。渡っている旧江戸川はその名の通り江戸川の元の流れだが、洪水対策で江戸川放水路が大正時代に開通したために、その分岐点から東京湾までの部分が旧江戸川となった。旧江戸川は分岐部分こそ都県境未決定の部分があるが、その他はすべて東京都と千葉県の境を成している。
今でこそ東京ディズニーリゾートがランドマークになっている浦安だが、東京ディズニーランド開園前はこのアーチの鉄橋を背にした境川の風景が浦安の代表的な「画になる風景」だった。



東葉2000系(2枚目は車種不明)(葛西—浦安・2007.8.10)(mb)

川に橋脚を設けず1スパンで川を跨ぐため、そのアーチは大袈裟な高さになっている。


JR E231系800番台(葛西—浦安・2007.8.10)(mb)

橋の周りには釣り船が係留されている。橋の上流・浦安橋が通る位置には中州の妙見島があり、川が左右に割れている。流れは千葉県側が広くなっていて、妙見島は東京都江戸川区。
私が小さいころは浦安橋は赤サビ色の曲弦トラス橋で古くささ満点だったのを憶えているが、のち現在のつまんない橋に掛け替えられた。古い浦安橋の写真はネット上で見つからず、国土交通省の空撮写真(昭和49年度と54年度)で確認したら、妙見島をはさんで東京側に1連、千葉側に2連のトラスで、どうやら片側1車線でボトルネックになっていたようだ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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