きょうは常磐線系を撮ろうかと午後から出かけた。
快速線のE231系やE531系をぜんぜん撮れていないので押さえたいところだが、緩行線の203系ももう少し撮っておきたいし、209系1000番台やE231系2000番台、メトロ06系も…と、狙いは定まっていなかったり。
余計な柵
武蔵野線で新松戸に出た。高校の通学ではここから綾瀬方面へ乗っていたが、今回は取手方へ向かう。
昔の記憶では、北柏駅ホームの綾瀬方がいい感じのカーブで撮れる、と雑誌に載っていたので、そこに行ってみることにした。
203系(新松戸)
先に上り列車が到着。マト51…203系の最初の編成で、車号がプレート式になっているのはこの1本だけ。…ブレてら。
203系(新松戸・1988.12.4)(d)(2枚とも再掲)
まったく同じ位置で撮った同編成の22年前の写真。運行番号がLEDになった他はほとんど見た目が変わっていない。
私の乗った我孫子行も203系。アルミのドアがガタガタ音を立てるのも昔と同じだった。途中でE233系2000番台とすれ違った。撮りたかったなぁ…。
メトロ6000系(北柏)
北柏に到着。上下列車が同時に到着し、上りは唐木田行だった。
カーブ上にあるこの駅は、アウトカーブの快速線が一段高い築堤を通る面白い構造。
写真と反対側となる綾瀬方の端へ行くと…あらら、昔からの黄色の柵の手前に別の無塗装の柵があるじゃないか…。線路間に障害物も増え、カーブを曲がって来る下り緩行を撮れなくなっていた。やはり20年前くらいの話だからな、雑誌で見たのは。1月の西荻窪とまったく同じ状況だ。
203系(北柏)
たぶん、新松戸からこの駅まで乗った編成。
203系(北柏)
本数の少ない各駅停車の取手行。この列車でとなりの我孫子へ。快速線上り列車を緩行ホーム取手方から撮ろうとの思いだ。
オールドタイマーとニューカマー
先頭かぶりつきで我孫子駅が近づくと、国鉄特急色の車両が停まっているじゃないか。その脇を上り快速線列車が出発して行った。ということはすぐには動かないかな…。
183系(我孫子)
急ぎ足で快速上りホームへ移動。先頭に回る。…編成札がない。
183系・E231系(我孫子)
先頭車化改造車のクハ182-102。客室窓上に方向幕があるのが特徴。私は車号までは把握できていない。これがどこの何編成なのかはこの車号から調べればわかるだろう。
183系(我孫子)
反対側に回ったら、札あり…何だ、前回出かけたときにも遭遇したOM103編成じゃないか。また遇ったな。
このクハ183-1527は新製時から正面のステンレス飾り帯が特急マークと同じ高さにある珍車。
しかし、この移動が仇に。何と緩行6番線には綾瀬方からメトロ16000系トップナンバーの試運転列車がやって来た。
クハ182の方にそのまま居れば、緩行ホームに停まった16000系をキレイに撮れたのに。
メトロ16000系(我孫子)
16000系は一旦停車してすぐ発車。上り特急「スーパーひたち」が接近していた(ライトの光が16000系の車体に写っている)ので後追いを1枚だけ撮るにとどまった。だが、記念すべき初遭遇初撮影だった。
183系・E231系(我孫子)
16000系は取手へ向かった様子で、快速で追いかけるべくホームをさらに移動。
どうせなら成田線が出たあとに183系をすっきり撮りたかったが、成田線は私が乗ろうとしている勝田行と同時刻発なのであきらめた。
16000系が我孫子を出てからちょいちょい時間が経っていた。とっとと折り返してきやしないかと、臆病な私は天王台で降りた。
緩行ホーム取手方で待ったが、試運転列車は来ない。すぐ各駅の取手行が来るようだから、それに乗って取手に行ってみることに。途中ですれ違ったら仕方ない。
…ん? 見えてきた取手行は白いライトに高輝度LED表示だ。これはE233系2000番台で確定。
E233系2000番台(天王台)
E233系2000番台のトップナンバー・マト1だ。昨年この1本が5月に竣工・9月9日にデビューしたが、それ以降新製がしばらく途絶えていた。これは特殊な存在でメンテナンスが面倒な207系900番台を運用から外すためで、2本目のマト2が竣工したのは今年の8月と、1年以上も間が空いた。
新松戸から北柏へ移動する間にすれ違ったのは今年デビュー組ということか。
たまたま調べてて見つけたのだが、この1503Kは松戸始発取手行という土休日のこの1例のみのレア列車だった。
またも先頭かぶりつきで16000系が待っていてくれることを祈りながら見守る。
緩行線の列車は快速線より新しくて立派な利根川の鉄橋を渡るが、本数が少ないので非常に勿体ない。左に見える快速線の連続アーチの鉄橋は架け替え準備が始まり、新橋の橋脚が姿を現していた。
鉄橋を渡りきり、右端に16000系が停まっているのが見えてきた。動かないでいてくれよ…。
ニューカマーとニューカマー
16000系はじっと待っていた。端からわかってれば、我孫子の下りホームからOM183をすっぽり撮って、E233系の取手行に乗ってきたんだが。
メトロ16000系(取手)
16000系は今年登場したばかりの新車で、営業運転は来月下旬からを予定している。
副都心・有楽町線用10000系、東西線用15000系につづく1万シリーズ。貫通路が中央にあり、側面帯は一続き、中間車の連結面はガラス張りと、16000系は10000系に近い。正面のニッコリラインは昨年登場の南北線用9000系5次車から発展したような感じだ。
正面に関しては一番上の黒塗り部分がちょっと…という感じ。「のび太」もしくは「おぼっちゃまくん」的だ(おとといの『タモリ倶楽部』で南田裕介が「南海20000系(もしくは20001系:こうや号)がおぼっちゃまくんに似ている」と言っていたのを思い出した)。
E233系2000番台(取手)
E233系2000番台と16000系のトップナンバーが取手で並んでいる…。いまのところかなりの低確率。ならば、快速ホームに回って横から撮ろう。
E233系2000番台・メトロ16000系(取手)
E233系の土浦方に架線柱があって、邪魔なく両者の顔が入るのはこのアングルだけになった。16000系の車号が見えないのが残念。
メトロ16000系(取手)
駅名標と絡める。
メトロ16000系(取手)
代々木上原方先頭車。ライト滅。
メトロ16000系(取手)
この16101号の客室には職員が乗り込んでいた。
「前髪」部分は盛り上がっているのがわかる。その後の屋根上にはアンテナ3基。
E233系2000番台(取手)
このE233系のほうが先に出そうなので、撮れるのがわかっている新松戸へ先行して16000系を迎え撃つ。
新松戸に着くと小雨。日も暮れかけて暗くなっていた。粗くなるが、設定を高感度オートに切り替えると、ほどなく「回送列車がまいります」の自動アナウンス。やはりE233系を追っかけてきていた。
メトロ16000系(新松戸)
もう冬に近いから、この時間帯(16時半)でもこんなになっちゃうんだよな。
メトロ16000系(新松戸)
モードを通常に戻して、停まっているところを撮る。
ここで撮っているのは私だけだったが、ホームの一般客も新車であることはすぐ認識したらしく、車掌が車外スピーカを使うほど覗き込む女性客もいた。でも注意されたらすぐ下がりなさいよ、お姉さん。
ここで終了。
きょうは最初からずっと曇天。シャッタースピードが落ちて手ブレ気味だったので、もっと明るい日・時間帯に撮りたいな。やっぱり緑色の電車たちは晴天が似合う。
…結局、快速線の車両、183系に成田線を絡めた程度で全然撮らなかったな。
なおこの日、トンネルの向こう・小田急線には16003Fが試運転で入線したそうで、日中に16000系が入るのは初めてだったようだ。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2010/10/31
2010/10/29
宇都宮・高崎線電車特急 なつかし写真・1
新特急をやったので、こんどはきちんとした特急のほうを。
かつての上野駅は常に特急形電車が停まっているものだったが、新幹線が東北、上越、山形、長野と路線網を伸ばし、それまでの在来線電車特急が姿を消していった。
現在上野発の定期電車特急は常磐線の「ひたち」系統が充実しているが、宇都宮・高崎線系は185系ばかりになり、大宮以遠の宇都宮線に入る系統すらなくなっている。
あさま
特急「あさま」は上野—長野間を結ぶ列車で、東北・高崎・信越線を走った列車。妙高高原や直江津までの便もあった。金沢行「白山」も含め、1997(平成9)年の長野行新幹線(現・長野新幹線)開業まで高頻度のL特急として君臨した。
さすが本数が多かっただけあって、撮っている枚数は新特急より多い。
489系特急「あさま」(上野・1988.11.3)(d)
貫通扉付き489系のあさま。
勾配のきつい信越線横川—軽井沢間(横軽)の碓氷峠を越える際、列車はEF63形機関車重連に推進・牽引される形で無動力で運行されていた。そのため8両までという制限があったのだが、489系は485系をベースにEF63形と協調運転ができるシステムを追加し、12両で横軽を越えられるようにしたものだ。
交流電化の北陸線を走る白山で使うために造られた489系は、共通運用で直流区間のみのあさま1往復でも使われるようになり、以後ずっとその状態は続いた。あさまはそれまで181系電車のみで運転されていた。
189系特急「あさま」(上野・1988.12.4)(d)
489系が入ったのは1973(昭和48)年で、2年後の1975(昭和50)年にこの189系が登場。直流専門の183系にEF63との協調運転機能を付けたスタイルのもの。189系の投入で181系はあさまから撤退した。
2枚目はクハがトップナンバーだったので記録に撮ったもの。左にある●は横軽対策車のマーク。これは協調運転可能を示すものではなく、連結器や台枠などがEF63の牽引に耐えられるよう強化されている車両についたので、さまざまな車両に見られた。
189系特急「あさま」(浦和—北浦和・1988.12.25)(d)
189系は非貫通先頭車で183系1000番台と同じだが、183系1000番台自体が189系を用意している際に急遽上越特急用に増備されたもので、189系から協調運転機能を省略したような仕様になっている。
189系は183系同様、狭小トンネル対応でおでこのヘッドライトは省略されている。ハ車は2ドアでロ車が1ドア、ドアはステップなしのため車体裾は一直線に揃っている。
489系特急「あさま」(尾久—赤羽・1989)
JNRマークがまだ残っていた489系。489系は先頭車がボンネット車・貫通車・非貫通車の3種類で、冷房装置もボンネット世代がキノコ形、以降はパンタなし車が分散・パンタ付車が集中というスタイル。若い世代だと、489系に関してはボンネット車という印象が強いかもしれない。
489系は全車両1ドアで、低床ホーム対応でステップ付のため車体裾はドア下部のみ出っ張っている。
489系特急「あさま」(尾久・1989)
先頭車は貫通型であるが、前の写真の車両とちがって貫通扉が溶接され、真ん中のスジも消えている。これは乗務員室へのすきま風対策だが、当然非常時に先頭部から脱出することもできなくなった。
ヘッドマークは189系より幅が狭いので窮屈なレタリングになっている。
189系特急「あさま」(上野・1989)
189系のヘッドマークのアップ。山は由来の浅間山で、活火山であるため噴煙も表現されている。たまにくしゃみをして怖がらせる山だ。
189系特急「あさま」(王子・1989)
189系特急「あさま」(尾久—赤羽・1989.8.7)
189系ならではの特徴のひとつに「側窓の一部が上昇式で開けられる」という点がある。車両の両車端から2枚目の窓がそれにあたるのだが、サッシは窓柱の裏に隠れる形にされているのでわかりづらい。
拡大して見てみると、クハの前から2枚目・後ろから2枚目の窓ガラスは他より少しだけ車内側に引っ込んでいる…窓柱の厚み(風景が写っていない、黒っぽい部分)が見えるのがわかる。
この開閉式の理由はエアコン故障時の対応用だったが、けっきょく固定化されたようだ。
189系特急「あさま」(尾久・1990)
夕方でもヘッドライト滅。
189系特急「あさま」(上野・1990.5.26)
上野地平ホームの189系。となりは特急「ひたち」の485系のサロ改造クハ。
489系特急「あさま」(池袋・1990)
中電の池袋乗り入れ開始以降の登場だと思うが、朝の下り・夜の上りの1往復が新宿発着で運転された。新宿からは特急「あずさ」も長野へ行く列車があった。
189系特急「あさま」(北本・1991.2.24)
89と61の重連を追い越すあさま。隣の列車については別の機会に。
189系特急「あさま」(大宮・1991)
1991(平成3)年になるとヘッドライトがしっかり点いているな。
189系特急「あさま」(上野・1991)
1990(平成2)年から189系にグレードアップ車が登場。先行の183系「グレードアップあずさ」車に似た改造だが、座席部のハイデッキ化高さを抑えめにするなど変更点が出ている。塗色変更に関しては完全にあさまの勝ち。
このグレードアップ化の際にヘッドマーク上の特急マークがなくなり、非貫通の189系はさらにのっぺりになってしまったのが残念。
489系特急「あさま」(大宮・1992)
こないだの記事で扱った165系の回送列車と並ぶ489系あさま。なぜかヘッドマーク周りにグレーのフチが付いていて、先の池袋での写真と比べてもマークがさらに小さくなっているのがわかる。
189系特急「あさま」(大宮・1995.10.30)
これもこないだの記事で紹介した鉄仮面モントレーとの並び。国鉄形車両が若作りしているのが楽しいような悲しいような。
未だこのあさま色の車両は波動用で残存していて、一度夜に舞浜を出発する団臨に入る情報がDJ誌に出ていて狙いに行ったが、運行されずにスカされた(記事)。
最後の写真から2年後、在来線あさまは横軽の廃止とともに消え、「あさま」は長野行新幹線列車の愛称に移行した。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
かつての上野駅は常に特急形電車が停まっているものだったが、新幹線が東北、上越、山形、長野と路線網を伸ばし、それまでの在来線電車特急が姿を消していった。
現在上野発の定期電車特急は常磐線の「ひたち」系統が充実しているが、宇都宮・高崎線系は185系ばかりになり、大宮以遠の宇都宮線に入る系統すらなくなっている。
あさま
特急「あさま」は上野—長野間を結ぶ列車で、東北・高崎・信越線を走った列車。妙高高原や直江津までの便もあった。金沢行「白山」も含め、1997(平成9)年の長野行新幹線(現・長野新幹線)開業まで高頻度のL特急として君臨した。
さすが本数が多かっただけあって、撮っている枚数は新特急より多い。
489系特急「あさま」(上野・1988.11.3)(d)
貫通扉付き489系のあさま。
勾配のきつい信越線横川—軽井沢間(横軽)の碓氷峠を越える際、列車はEF63形機関車重連に推進・牽引される形で無動力で運行されていた。そのため8両までという制限があったのだが、489系は485系をベースにEF63形と協調運転ができるシステムを追加し、12両で横軽を越えられるようにしたものだ。
交流電化の北陸線を走る白山で使うために造られた489系は、共通運用で直流区間のみのあさま1往復でも使われるようになり、以後ずっとその状態は続いた。あさまはそれまで181系電車のみで運転されていた。
189系特急「あさま」(上野・1988.12.4)(d)
489系が入ったのは1973(昭和48)年で、2年後の1975(昭和50)年にこの189系が登場。直流専門の183系にEF63との協調運転機能を付けたスタイルのもの。189系の投入で181系はあさまから撤退した。
2枚目はクハがトップナンバーだったので記録に撮ったもの。左にある●は横軽対策車のマーク。これは協調運転可能を示すものではなく、連結器や台枠などがEF63の牽引に耐えられるよう強化されている車両についたので、さまざまな車両に見られた。
189系特急「あさま」(浦和—北浦和・1988.12.25)(d)
189系は非貫通先頭車で183系1000番台と同じだが、183系1000番台自体が189系を用意している際に急遽上越特急用に増備されたもので、189系から協調運転機能を省略したような仕様になっている。
189系は183系同様、狭小トンネル対応でおでこのヘッドライトは省略されている。ハ車は2ドアでロ車が1ドア、ドアはステップなしのため車体裾は一直線に揃っている。
489系特急「あさま」(尾久—赤羽・1989)
JNRマークがまだ残っていた489系。489系は先頭車がボンネット車・貫通車・非貫通車の3種類で、冷房装置もボンネット世代がキノコ形、以降はパンタなし車が分散・パンタ付車が集中というスタイル。若い世代だと、489系に関してはボンネット車という印象が強いかもしれない。
489系は全車両1ドアで、低床ホーム対応でステップ付のため車体裾はドア下部のみ出っ張っている。
489系特急「あさま」(尾久・1989)
先頭車は貫通型であるが、前の写真の車両とちがって貫通扉が溶接され、真ん中のスジも消えている。これは乗務員室へのすきま風対策だが、当然非常時に先頭部から脱出することもできなくなった。
ヘッドマークは189系より幅が狭いので窮屈なレタリングになっている。
189系特急「あさま」(上野・1989)
189系のヘッドマークのアップ。山は由来の浅間山で、活火山であるため噴煙も表現されている。たまにくしゃみをして怖がらせる山だ。
189系特急「あさま」(王子・1989)
189系特急「あさま」(尾久—赤羽・1989.8.7)
189系ならではの特徴のひとつに「側窓の一部が上昇式で開けられる」という点がある。車両の両車端から2枚目の窓がそれにあたるのだが、サッシは窓柱の裏に隠れる形にされているのでわかりづらい。
拡大して見てみると、クハの前から2枚目・後ろから2枚目の窓ガラスは他より少しだけ車内側に引っ込んでいる…窓柱の厚み(風景が写っていない、黒っぽい部分)が見えるのがわかる。
この開閉式の理由はエアコン故障時の対応用だったが、けっきょく固定化されたようだ。
189系特急「あさま」(尾久・1990)
夕方でもヘッドライト滅。
189系特急「あさま」(上野・1990.5.26)
上野地平ホームの189系。となりは特急「ひたち」の485系のサロ改造クハ。
489系特急「あさま」(池袋・1990)
中電の池袋乗り入れ開始以降の登場だと思うが、朝の下り・夜の上りの1往復が新宿発着で運転された。新宿からは特急「あずさ」も長野へ行く列車があった。
189系特急「あさま」(北本・1991.2.24)
89と61の重連を追い越すあさま。隣の列車については別の機会に。
189系特急「あさま」(大宮・1991)
1991(平成3)年になるとヘッドライトがしっかり点いているな。
189系特急「あさま」(上野・1991)
1990(平成2)年から189系にグレードアップ車が登場。先行の183系「グレードアップあずさ」車に似た改造だが、座席部のハイデッキ化高さを抑えめにするなど変更点が出ている。塗色変更に関しては完全にあさまの勝ち。
このグレードアップ化の際にヘッドマーク上の特急マークがなくなり、非貫通の189系はさらにのっぺりになってしまったのが残念。
489系特急「あさま」(大宮・1992)
こないだの記事で扱った165系の回送列車と並ぶ489系あさま。なぜかヘッドマーク周りにグレーのフチが付いていて、先の池袋での写真と比べてもマークがさらに小さくなっているのがわかる。
189系特急「あさま」(大宮・1995.10.30)
これもこないだの記事で紹介した鉄仮面モントレーとの並び。国鉄形車両が若作りしているのが楽しいような悲しいような。
未だこのあさま色の車両は波動用で残存していて、一度夜に舞浜を出発する団臨に入る情報がDJ誌に出ていて狙いに行ったが、運行されずにスカされた(記事)。
最後の写真から2年後、在来線あさまは横軽の廃止とともに消え、「あさま」は長野行新幹線列車の愛称に移行した。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)