2010/04/22

西武 なつかし写真・4

池袋線につづいては、やっぱり新宿線。


新宿線

新宿線は西武新宿—本川越間の幹線で、池袋線とともに西武鉄道の軸。
両端の西武新宿・本川越はともに他路線のターミナルと完全に接続していないのが特徴。他社との相互乗り入れも行っていないが、拝島線・多摩湖線・国分寺線に直通列車があるほか、イベントに合わせ池袋線経由狭山線(ライオンズ戦)・西武園線(競輪)への臨時直通列車も走るなど、社内での他路線乗り入れは多岐に渡る。


701系(西武新宿—高田馬場・1989)

たぶん私が初めて撮った西武の写真はこれじゃないかと思う。JR山手線の新大久保のホームから撮ったものだ。列車は西武新宿到着寸前の上りだが、すでに「田無」の幕を表示している。
後ろのモハユニットは601系からの編入車(後述)かもしれない。


701系・JR埼京線103系(西武新宿—高田馬場・1989)

西武新宿駅はJR新宿駅から北へ離れた位置にある。元々は仮駅としての位置どりで、当時の国鉄新宿駅まで伸ばしたかったようだが叶わず、西武は諦めて仮駅の場所を本駅として商業施設とホテルを併設した立派な駅ビルを建てた。
実質的なターミナルは山手線やメトロ東西線にのりかえられる高田馬場で、西武新宿—高田馬場間の車内は比較的空いていることが多い。これは京成本線の京成上野—日暮里間と一緒だ。
ところで西武新宿線と小田急・京王相互の行き来をする場合、西武新宿乗り降りで直接歩く人とJR分の運賃が増しても高田馬場でのりかえる人とどちらが多いのだろうか?




2000系(高田馬場—下落合・1993.5.29)

新宿線といえば2000系(101系列同様、これも「2000系」と「新2000系」と書くことにする)。1977(昭和52)年に登場した、量産車としては西武初の20m・4ドア車。界磁チョッパ制御、戸袋窓省略、カルダン車での貫通形先頭車も初めてと、西武としては革新的な存在となった。
のちの新2000系登場により、2枚目のように新2000系との併結も行われている。

新宿線と池袋線は起点からそれぞれ狭山市駅・稲荷山公園駅までお互い近い所を走っている。『ぶらり途中下車の旅』では、池袋線の回なのに「おや、ちょっと歩いたら新宿線の駅に出ちゃいましたよ」なんてことも。そして、堂々と新宿線の駅前のネタを紹介していた。
そんな2路線だが、駅間は新宿線のほうが短め。まるで阪急神戸線と阪神本線のような関係。新宿線に先に4ドア車が出たのは、駅間の短さから着席チャンスより乗り降り効率を優先した結果だ。

新宿線にはかつて地下急行線計画があった。これは西武新宿—上石神井間の線路直下大深度に地下線を設けて複々線化するもので、地下線には西武新宿と高田馬場のみに駅を設けるというものだった。ついでに地下の西武新宿駅はJRに近い位置まで南下することも盛り込まれていた。
優等列車の速達化や踏切遮断時間の短縮も期待され、実際に着手もされたものの、さまざまな状況変化により中止された。

いまは高田馬場あたりからメトロ東西線に乗り入れてみては? なんという話も出ているが、私個人としては現実的ではないと思う。三鷹直通はともかく中野でのJR接続は重要で、中野を通らない別の系統を挿入するのはちょっとねぇ。
急行線計画のように西武新宿を地下化&南下させて、そこからJR京葉線の東京駅へ伸ばすのもいいじゃないか。過去にそういう妄想(?)も実際に出ていた。今になってみれば「どんだけ川越と新木場をつなげたいねん?」とも言われそうだが。

そもそもは東西線の計画段階で新宿線との接続の話が出たそうだが、形にならなかった。旧来西武は乗り入れに積極的でなかったため、東京の大手私鉄の中で地下鉄との相互乗り入れは大トリとなった。




新2000系(高田馬場—下落合・1993.5.29)

2000系登場から11年を経た1988(昭和63)年、車体を中心にマイナーチェンジした新2000系が登場した。
新2000系はドア周りの窓にバリエーションがある。1枚目の車両は正面貫通扉の窓が小さく違和感があるが、よく見ると左右の窓と同じ天地サイズ。黒く塗られた分に合ってないわけだ。側面もドア・戸袋窓ともに天地が小さい。
他にも前記事に出てきたドア窓が角張っていて戸袋窓とともに天地が大きいタイプや、2枚目の急行のように戸袋窓が大きくドア窓が小さい組み合わせなどがある。
なお2000系に関しては新2000系初投入前の試験運転の時期を除き、池袋線には入っていないようだ。

2000系・新2000系とも更新工事で表示器のLED化やシングルアームパンタ化が行われ、また2000系はスカート取付、新2000系は最近の更新車では戸袋窓の廃止なども施されている。



701系+101系(小平・1994.7.3)

小平で捕らえた701系+101系の快速急行。
701系は1963(昭和38)年に登場した車両で、初のカルダン駆動車601系に続く量産車。登場時は601系と同じ上下がローズピンク、正面を含む窓周りがベージュの「赤電」塗装。おでこの方向幕や腹部のステンレスの飾りはこの車両からで、飾りは9000系まで受け継がれた。
ブレーキシステムなどはつりかけ車との併結を考慮して旧来の自動空気ブレーキが用いられた。クハの台車は旧形国電で使われた戦前…どころか大正製のものが流用され、当時の西武の「質より量」の考えの象徴となった。
のち台車交換、冷房化、ドア交換(アルミハニカムの塗装ドア→ステンレス無塗装ドア)、電磁直通ブレーキ化などが行われて徐々に近代化され、最終的には写真のレモンイエロー1色の冷房車として401・801系とともに新宿線系統で活躍した。
またブレーキ交換によりつりかけ車とは併結できなくなったため、目印として電気連結器カバーが黄色になった。

4連ばかりだった701系だが、組み替えと601系中間車の改造編入での一部6連化を行った。601系からの車両は車体は変わっていないので、窓割りが違う異端車になった。逆に中間車を抜かれて余剰となったクハ6両は電装して2連口の501系(3代目)としたが、1989(平成元)年に4000系に足回りを譲っていち早く廃車となった。



701系+101系(小平・1994.7.3)

701系と101系の併結列車。101系は701系との間に登場した801系と同じ形の車体を用いている。701系との違いは屋根を張り上げ屋根にした点で、701系は雨樋が低い位置にあり、枕木方向に出っ張っている分目立つ。
701系→801系→新101系と辿ると、屋根やベンチレーターの変化で車体が国鉄風から私鉄風に変わっていっている。
新宿線系統の101系はブレーキシステムを調整して401・701・801系などと併結できるようにしてあり、目印として電連カバーを黄色にした。見た目は同じだが、401・701・801系の黄色カバーとは意味合いが違うわけだ。


101系+401系(小平・1994.7.3)

101系を引き連れて来た切妻の2連は2代目401系。
もともとは1964(昭和39)年に701系の増結用として登場した赤電411系で、側面は701系・正面は451系という車体と足回りは旧型国電のパーツを使用したつりかけ駆動車だった。国鉄101系風の顔は窓周りのくぼみがない分バッタモノ感が強い。
その411系を、コンビを組む701・801系に合わせてカルダン駆動・電磁直通ブレーキ・冷房付に改造したのが401系。正面のステンレスの飾りと方向幕は401系化の際に初めて取り付けられた。
黄色の切妻車はこの401系のみで、まさに異彩を放っていた。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

西武初の4ドア車は2000系とありますが事実誤認です。
もっと古く60年前に登場していますので今一度お確かめになってはいかがでしょう。

匿名 さんのコメント...

2000系は西武初の4ドア車となっていますが事実誤認です。
もっと古く60年前に登場していますから今一度お確かめになってはいかがでしょうか。

ひみつ さんのコメント...

コメントありがとうございます。

仰りたいのはロクサン形のことでしょうね。
そういう指摘がないように「量産車としては」とわざわざ前置きを入れてあるんです。
無論、コメントを頂く前から入ってますよ。

今一度お確かめになってはいかがでしょうか。

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