2010/04/21

西武 なつかし写真・3

まだ続く、ホヤヒバカーブ。


5000系(保谷—ひばりヶ丘・1991)

ついに出ました、初代「レッドアロー」。当時現役バリバリだったのにこの1枚しか写真を撮れていない。
5000系は1969(昭和44)年の西武秩父線開業に合わせて用意された西武初の特急形電車。足回りは同期の101系と同じだが、車体は断面からしてまったく違う。冷房も新製からで西武初の搭載だ。
顔は銀色の化粧板のついた不思議なもの。その化粧板の中央には社章が付いている。一見野球のボールにも見えるが、漢字の「西」がモチーフになっていて、これは一般車両の車号の上にも付いた。6灯のライトの間には愛称表示板がつけられたが、のちに写真の状態の電照式に変更されている。
丸いオデコとセンター分けパノラミックウィンドウの組み合わせはのちの国鉄117系・185系に通ずるものがある。

池袋—西武秩父間の列車愛称は「ちちぶ」、西武新宿—西武秩父間の列車は「おくちちぶ」で、池袋—飯能間を中心とした新宿線発着を含むその他の列車は「むさし」となった。“おくちちぶ”なんて、練りませんですな。あたかも三峰口に行きそうな名前だ。
デビュー当初は東武の尾瀬夜行のような、夜に池袋を出て西武秩父には朝まで停まって仮眠ができるという、ハイキング夜行列車「こぶし」号もあった。

5000系は10000系導入により1996(平成8)年に引退。西武の「X000系」の車種はこの系列からだったが、初の消滅もこの車種となった。
現在一部車両は富山地鉄でなぜかJR485系の足回りを履かせられて活躍を続けている。車体も485系そのままではダメだったんだろうか?



3000系(保谷—ひばりヶ丘・1991)

なつかし写真たちを眺めると、当時日中はライト滅が普通だったことが毎度惜しく感じる。



3000系(保谷—ひばりヶ丘・1991)

1枚目は独特の窓配置がよくわかる。でもなんであんなに窓が開いているんだろうか?
…と改めてほかの写真も見ると、けっこう窓が開いているじゃないか。記録がなく撮影年しかわからないのだが、春頃だったのかな…。




新2000系(保谷—ひばりヶ丘・1991)

前年から池袋線に登場した新2000系。4ドアであることもそうだが、貫通顔であることも池袋線では違和感があった。
3枚目の準急池袋行はドア窓が角張っていて天地が大きく、戸袋窓も天地が大きいタイプ。正面貫通扉・ドア窓・戸袋窓にはバリエーションがある。
この2年後、新2000系と同じ車体で101系の機器を流用した抵抗制御の9000系が出ることは想像もしなかったが、のち全車VVVFインバータ制御化された。


101系(飯能・1991)

最後は飯能での写真。池袋線の西の中枢駅で、スイッチバックとなるこの駅を境に池袋方と吾野方で運行系統が分けられている。
現在はメトロからの直通列車もこの駅までやって来ている。また、写真の時代とはホームの番号の振り方が逆転していて、101系のいる線路は現在は1番線となっている。


4000系(飯能・1991)

旧4・3番線…現在の2・3番線は中線スタイルで、両隣の列車からホーム上でのりかえができるようになっている。ここから出て池袋線の終点・吾野を抜けて西武秩父線の終点・西武秩父までの各停を担当するのが4000系だ。
なお吾野—西武秩父間は「西武秩父線」と“西武”を含むのが正式路線名称。これは練馬—小竹向原間の西武有楽町線も同様だ。


4000系(三峰口・2008.6.15・mb)

1988(昭和63)年に登場した4000系は101系の機器を流用した足回りに2ドア・セミクロスシートの車体を新製した車両で、すべて4両固定編成。
同時期に登場した新2000系に似た顔をしているが、塗色は鉄道線初のライオンズカラーとなった。
ボックスシートのシートピッチは同じ2ドア・セミクロスシートの東武6050系より10cmほど広い。

現在4000系は土休日には快速急行(3往復+下り1本)として池袋口にも顔を出し、秩父口では秩父鉄道への乗り入れ(前記のうち2往復)もする。そんな面も東武6050系に似ている。
秩父鉄道—池袋直通列車の場合は、三峰口発着と長瀞発着列車の2本を池袋—横瀬間で併結する。長瀞は秩父鉄道を三峰口とは反対方向に進んだ先にある。下りだと、三峰口行は横瀬→西武秩父(スイッチバック)→秩父鉄道影森と進み、長瀞行は横瀬→秩父鉄道御花畑と、西武秩父は通らずに進む。



4000系・秩鉄1000系(三峰口・2008.6.15・mb)

ケイタイで撮ったラスト3枚の写真はなつかし写真の範疇ではなく一昨年のもの。
4000系快速急行(秩父鉄道内は普通)に三峰口から池袋まで乗り通したが、秩父鉄道内は空いていたのに西武秩父で一気に満員になった。向かいに座った小学校低学年くらいの子どもが落ち着かず、何度もヒザを蹴られた苦い思い出が残っている。
なお、三峰口—飯能以東を通して乗ると、西武秩父と飯能で二度進行方向が変わるのも面白い。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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