今回は西武の支線の写真を。
国分寺線
国分寺線はJR中央線の国分寺と新宿線・西武園線と接続する東村山を結ぶ南北方向の路線。
歴史は西武一古く、1894(明治27)年12月に川越鉄道として国分寺—久米川(現・東村山)間が最初に開業した。その3カ月後には川越(現・本川越)へ延伸している。1952(昭和27)年に東村山以北が新宿線に呑み込まれて、現在の「国分寺線」の名称がつけられた。
近年は本川越への直通列車が復活している。
701系(国分寺・1989)
中央線で撮っていたついでに撮ったもの。1枚目左奥の多摩湖線ホームには赤電351系が居たことだろう。
国分寺線は中央線に沿った単線行き止まりで、ホームも1面。昔は中央線と線路がつながっていて貨物列車などが行き来していたそうだ。
写真は701系4連。乗務員室扉両側の手すりが外付けで目立つタイプになっている。
801系+401系(小川・1993.5.29)
拝島線との接続駅・小川に滑り込む801系+401系の6連。
801系は1967(昭和42)年に登場した車両で、701系をベースにのちの101系の製作のための試作要素を盛り込んだ過渡的な車両。
非冷房赤電・塗装ドアで登場し、701系同様の変遷で最後は写真の冷房・レモンイエロー・ステンレス無塗装ドアの姿になった。
701系とのわかりやすい違いは雨樋の位置が高くなり張り上げ屋根スタイルになったこと。これだけでも国鉄っぽさが抜けたように見えるのが面白い。
当時は101系がベージュ入りなのでこの色と車体の組み合わせは801系のみだったが、現在はわずかに残っている101系がこのスタイルになっている。
801系は4連5本しかなかったため、数度しか撮影に訪れていない私が撮れたのはこの一度だけだ。
2000系・101系+401系(小川・1993.5.29)
国分寺線ははじめの写真では4連だったが、この頃には6連化されているようだ。ただ線路は羽根沢信号場—恋ヶ窪間1.2kmのみが複線で、のこり6.6kmは単線となっている。
小川は中2線が国分寺線で、外2線が拝島線。両線は駅の両側で平面交差をしている。
101系+401系(小川・1993.5.29)
東村山行の国分寺方は401系。ベースの411系は屋根・雨樋が701系タイプと801系タイプの2つあったため、401系もそのまんま2種類の車体がある。写真の車両は701系タイプのため、801系タイプである101系とは屋根のラインが合っていない。
どうやら801系タイプの401系は私は撮れていないようだ。
拝島線
拝島線は1928(昭和3)年に多摩湖鉄道の路線として萩山—本小平(1949年に小平に統合)間が開業したのがはじまり。
小川—玉川上水間は上水線として1950(昭和25)年に開業、1962(昭和37)年に小川—萩山間がつながり、1968(昭和43)年に拝島に達し拝島線と改称し現在に至っている。
支線ながら、現在は10連列車や線内の通過駅がある拝島快速なども運行されている。しかし、玉川上水以西は1駅間ごとに単線、複線、単線となっていて、小平方面からは複線区間のみを走る玉川上水折り返しの列車も多い。
新101系(小平・1994.7.3)
小平は新宿線と拝島線が分かれる駅。拝島線には拝島へ向かう列車のほか、隣の萩山から多摩湖線西武遊園地へ入る列車も走っている。
拝島発着車両+西武遊園地発着車両の新宿線直通列車もあり、その場合は萩山で分割併合が行われる。
写真の新101系は2連口で、後ろは101系の6連かな?
101系+401系(小川・1993.5.29)
小川を出て拝島に向かう拝島線列車。前述のとおり小川駅は平面交差で、拝島線列車は駅出発後上下列車とも、駅構内で複線となっている国分寺線を大胆に横切る。
写真は101系6連の小平方に401系2連を付けた8連。
同じ小川でも先の写真の国分寺線401系とは付いている位置が反対。新宿線・拝島線・国分寺線でデルタ状になっているのも一つの理由なのか? 新101系なども含め、相手が4連のときと6連のときで付け方が違ったりもしていたようだ。
多摩湖線
多摩湖線は国分寺と西武遊園地を結ぶ路線。基本的に国分寺—萩山間と小平—萩山—西武遊園地間の運行に分かれているが、多摩湖線全線を通す列車もある。
かつての多摩湖線の国分寺駅はホーム有効長が短く、それに収まる17m車3連のつりかけ赤電351系が1990(平成2)年まで国分寺—萩山間を動態保存のように走っていた。
最初の開業は1928(昭和3)年の国分寺—萩山間で、多摩湖鉄道の路線だった。その後は萩山の配線変更や途中駅の設置・廃止を含め、いろいろな動きを辿って現在に至っている。
新101系(萩山・1993.5.29)
萩山は拝島線で小平から1つ目の駅。写真の列車が停まっているのは1番線で、国分寺からの列車はここで折り返す。西武遊園地口は新宿線との直通列車も運行され、この萩山で拝島線6連口と分割併合を行い、多摩湖線には4連口が入る。
この萩山駅を中心とした狭いエリアには、新宿線、拝島線、多摩湖線、国分寺線がひしめき合っている。小平、萩山、小川、東村山で路線が接続するほか、多摩湖線八坂駅の先では国分寺線とただただ立体交差している。当然計画的に組まれた路線網ではなく、複数の会社が設けた路線が西武にまとまったためだ。
国分寺線と多摩湖線は同じ国分寺からお互い東西に近い距離を保ったまま北へ延びている。中央線を東から来ると東中野での大江戸線以来北へ出る鉄道路線がなかったのに、国分寺で2本が並んで…というのはなんだかやるせない話だ。
両線と拝島線が囲むエリアの真ん中を武蔵野線が地下鉄状態で通り、青梅街道との交点に新小平駅があるが、西武線とは全く絡んでいない。新小平駅と多摩湖線の青梅街道駅は青梅街道をまっすぐ700mほど歩いた距離にある。
701系(本町信号場・1993.5.29)
多摩湖線は全線単線。国分寺線とともに単線行き止まりの国分寺から次駅までは駅間があり、その途中に列車交換用の信号場が設けられている。
新101系(本町信号場・1993.5.29)
多摩湖線国分寺口は国分寺駅のホーム改良後20m車4連での運行となり、現在も変わっていない。
撮影当日は一橋学園駅から線路沿いの道を歩き、ここで撮影したあとはそのまま国分寺駅まで歩いた。国分寺駅手前で多摩湖線の脇の道を進もうとしたら「ここは入っちゃダメだよ」と近くにいた人に止められた。国分寺名物?のバス専用道路だったのだ。何か普通の道と雰囲気が違う気はしたのだが。
同じようなバス専用道は渋谷の銀座線の引き込み線と井の頭線の間、玉電廃線跡にもあった。現在はそこに渋谷マークシティが建ち、井の頭線ホームの拡幅にも役立ったようだ。
多摩川線
多摩川線は中央線武蔵境から多摩川端の是政へ延びる盲腸線。
1917(大正6)年に多摩川の砂利運搬のために多摩鉄道の路線として境(現・武蔵境)—北多磨(現・白糸台)が開業したのが始まり。1922(大正11)年には是政に達している。
西武の他路線とはつながっておらず、独立しているのが特徴。入場のための車両の搬入・搬出はJR中央線・武蔵野線を介し新秋津—秋津の連絡線から池袋線に入る。JR線内は甲種車両輸送扱いで、JRの機関車によって牽引される。
701系(武蔵境・1991)
地上時代の武蔵境駅。中央線下りホームとの島式ホームが多摩川線のりば。駅構内・ホームはJRと共用で、まるでJRの支線のようだった。また写真のように駅南側には側線が並んでいた。
401系(武蔵境・1991)
401系を2本つなげた濃い4連。
多摩川線は使い古された車両が回されることが多く現在は101系が最後の活躍を続けているが、今年新101系が1編成入り、101系1本が置き換えられた。
新101系は沿線の小学生の絵を車体に掲示するラッピング電車で、多摩川線搬入当初はレモンイエローの部分が白塗装になっただけの状態で正面はパンダのようだった。現在はその白地にラッピングが追加されている。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2 件のコメント:
はじめまして。
私は
https://www.youtube.com/channel/UCJVdvXPstGWSF2JPSdc8kPA
このようなyoutubeチャンネルを運営しているものです。
これらの画像の二次使用は許可して頂けませんか?
勿論出典は明記させて頂きます。
ニャン吉様
申し訳ありませんが、画像の使用はお断りしています。
また、どの写真をどういう形で使いたいのか等明示するがスジじゃないでしょうか?
面識のない人間に頼むなら、なおのこと。
ただ冒頭の通り、頼み方どうこう以前に二次使用の許可はしておりませんので、ご了承ください。
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