前日の野球による筋肉痛に悩まされる日曜。臨時列車「館山若潮マラソン」が総武線を走ることをすっかり忘れていた私は、10時すぎにダラダラと起きあがった。
憶えていたら今週もまた船橋のカーブに行ったのに、まさかその列車が房総用209系で運転されようとは。
その起きしな、前々回に触れた京葉線201系51+K1編成が運用に入っていることを知った。
この編成についてはこちらでも触れたが、方向幕が故障し年末は白幕で運転、現在は白幕だった車両は固定の「京葉線」表示で走っている。これがいつ直るのか、それとも引退までそのままなのかは知るところではないが、いまのところ201系4本だけの担当である分割運用には入れないようにしているという。
用事があるためあまり時間は取れないが、記録にでかけた。休日はお休みの編成が増えるので、撮れるときに撮っておこうということだ。
いつもの地元・二俣新町駅へ出向く。ほどなく件の編成がやって来る時刻を狙って出かけてきた。
205系量産先行車(二俣新町)
まずは通過の快速。もう撮りつくしたアングルだが、撮れるものは撮る。
そして、予定通り続く各駅停車で51+K1登場。
201系(二俣新町)
4連口の蘇我方K1編成の方向幕は通常どおり。
201系(二俣新町)
そして6連口の東京方51編成がこの表示。…ちょっとコマが下にズレてる? これは開扉直前のもの。スカートが切れてしまった。
この列車に乗った。
201系(二俣新町)
最後尾車両は誰も乗っていなかったので、このカメラの初日と同じく車内を撮影。
そういえば、京浜東北線209系引退直前は乗客に目もくれず車内を撮る輩も多かったそう。ここもいつかはそうなるんだろう…。
201系(新習志野)
新習志野で降り、この列車が戻ってくる姿を捕らえることにした。
特急の通過待ちでしばし停まるので、側面方向幕も収めた。それにしても、どうせ次の海浜幕張で折り返すんだから、あとひと駅進ませてくれればいいものを。京葉線のダイヤは不思議なことが多い。
E257系500番台特急「わかしお」(新習志野)
通過の下りわかしお。この駅でこの時間帯(正午すぎ)だとこっちが順光か。
209系500番台(新習志野)
この向きで撮れない201系の「京葉線」表示は、二俣新町の蘇我方で待ってば順光で撮れたかもな。
255系(新習志野)
ノロノロ運転でやって来た回送列車。255系ももしかしたら253系を追うように早くの引退があるかも、とささやかれている。なんとも勿体ない話だ。
ようやく列車の接近放送が途切れたので、蘇我方の端へ移動。新習志野では今のカメラでしか撮影経験がなく、真ん中の島式ホームの蘇我方が両側の対向式ホームより飛び出していることなども把握していなかった。
201系(新習志野)
快速で53+K3編成登場。こちらはマトモな幕にシングルアームパンタのスタイル。
205系(新習志野)
この列車が出て行くと、51+K1編成が還ってくる。
201系(新習志野)
やっぱりお迎えは逆光だった。こりゃまた撮りに来ないとダメだ。
なお、103系時代にも「京葉線」表示の列車は多く走っていた。その姿はこちらの記事で。
201系(新習志野)
再び東京方で待つと、こんどは54+K4編成の快速。こちらはノーマルパンタ。
205系の各駅停車で海浜幕張へ出る。それは、この光景を確認するためだった。
京葉車両センターに入った113系(新習志野—海浜幕張の車内より)
房総用113系が京葉車両センターにいるという情報を見ていたのだ。見たところ6+4の10両編成だった。
これまでスカ色113系が京葉線に入ったことはあったのだろうか? 京葉線東京開業前は房総からの直通列車はこの113系になるだろう、なんて言われていたもんだが。
205系(海浜幕張)
海浜幕張で折り返し。思わず乗っちゃった快速で南船橋まで進む。各駅停車を待っていると、EF65登場。
EF65 1088(南船橋)
201系やEF65が見られる京葉線沿線に住んでいるのは、幸せなのかも?
次の各駅停車で二俣新町へ戻り、蘇我方のカーブでもうちょっと撮ってから帰ることにする。
E257系500番台特急「わかしお」(二俣新町)
若干上が空いているように見える写真だが、左上の二俣支線をEF210が走っているのがちょっとだけ見えている。
201系(二俣新町)
209系500番台(二俣新町)
お時間となりましたので、ここでお開き。いい天気なだけに、名残り惜しかった。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2010/01/31
2010/01/30
10.1.30 往きついでの東急
ガス橋(がすばし)近くの多摩川河川敷にあるグラウンドへ草野球の試合をしに出かけた。目指すは東急多摩川線の武蔵新田(むさしにった)駅。
今のカメラでは東横・東急多摩川線内で撮ったことがないので、ついでに列車を撮っていくことにした。
若干不自然なタイトルだが、昨年10月10日も同じく東急を草野球ついでに撮った。その時は「帰りついで」だった。
東西線〜日比谷線〜東横線と乗り継いで多摩川駅に到着。
埼玉高速2000系(多摩川)
ファーストショットは東急9000系だったが、思いっきり失敗。目黒線を走る埼玉高速鉄道2000系が最初の写真になった。埼玉高速がメトロ南北線と一体化しているのを象徴する、南北線9000系に似たカラーリングだ。会社略称の「SR」は芝山鉄道と同じ2文字。
横浜高速Y500系(多摩川)
東横下り線をやってきた横浜高速Y500系。東急5000系をベースにした車両で、派手なカラーリングが最たる特徴か。これらの写真の角度では側面が見えづらくその派手さがわかりづらいか。
HMはみなとみらい線開業6周年記念のもの。運が良かったかな? 居合わせた年配の撮影者さんに訊いたところ、もう1本角張ったHMの編成も走っていて、もうすぐ上り列車で来るとのこと。残念ながらそれを待っていると試合に間に合わない…。
現在の多摩川駅は高架に2面4線(外側:東横線、内側:目黒線)、地下に東急多摩川線の1面2線が配置されている。目蒲線時代はJR代々木駅と同じ構造の3面4線で、東横・目蒲の両複線が単純に並んでいるものだった。蒲田方面から桜木町方面へ出る場合は同一ホーム上でのりかえができた。
メトロ03系(多摩川)
お次は東京メトロ日比谷線の03系。歴史の古い日比谷線は既存の道路の交差点をきっちり曲がりながらのコースどりのため急カーブが多く、東横線と同じ8連でも車長が18mに抑えられている。乗り入れ先の東武・東急ともに、この小さい車両規格が輸送上・案内上のネックになっている。
都営6300形(多摩川)
都営三田線6300形。この界隈を走る各社の車両の中で唯一「形」を名乗る車両。なんだか東急じゃない車両ばかりだな。
目黒線はメトロ南北線・都営三田線とともに全駅ホームドア化されており、ワンマン運転が行われている。
この複々線区間を通るのは東急・メトロ日比谷線・メトロ南北線・都営三田線・埼玉高速・横浜高速の車両。東急以外は各線1系列の車両だが、それでも豊富なバリエーションだ。
東横線は2012(平成24)年にはメトロ副都心線との相互乗り入れが開始予定で、メトロ車のほか東武・西武の車両も東横線・みなとみらい線に入る。
さらには2019(平成31)年の予定で相鉄との相互乗り入れも計画されているが、相鉄はまず西谷駅〜JR東海道貨物線横浜羽沢駅間の接続線を建設しており、2015(平成27)年4月からJRへの乗り入れ開始予定。その横浜羽沢駅から日吉駅までさらなる線路を新設し、東急にも直通するというものだ。
ただ相鉄と東急を直通する系統が東横線・目黒線のどちらに入るのかは未決。10連が入れる東横線〜副都心線が有力だが、相鉄が2本の路線で都心に入るメリットがあるのか私には疑問だ。渋谷・新宿(三丁目)・池袋へ直結するなら湘南新宿ライン経由でも行けるわけで。
5080系(多摩川)
ようやく登場の東急車。目黒線の5080系は6連で幕帯が紺色。5000系列はJRのE231系がベースになっている。209系に始まるJR東日本の各ステンレス車もそもそもは東急車輌が開発に関わっている。
9000系(多摩川)
最初の新製VVVF車・9000系は東横線の主力として活躍してきたが、現在は数が上回った5050系にその座を譲った。
1枚目の編成は広告電車「TOQ-BOX」に用いられた車両で、登場時は側面にもステッカーで装飾がしてあったが、現在は前面にのみ残っている。
5080系・メトロ9000系(多摩川)
東西線05系をアレンジしたスタイルのメトロ南北線9000系。南北線は全線ガラス張りのホームドアが設置されていて、この東急直通開始までは千代田線・有楽町線に顔を出さない限りマトモに車両を撮ることはできなかった。9000系に乗ったことはいくらでもあるが、今さら初撮影だ。
最近登場した増備車は正面帯が笑顔のようなラインになり印象が変わった。こちらもすでに乗ってはいるが、今回は会えなかった。
そろそろ武蔵新田に向かうことにして、東急多摩川線ホームに移る。
1000系(多摩川)
18m車4連で運行されていた目蒲線の分割(目黒〜田園調布は目黒線、田園調布〜多摩川は東横線、多摩川〜蒲田は東急多摩川線に変更)の際、東急多摩川線は池上線と共通の18m車3連に逆戻りした。
この1000系は日比谷線直通用として登場した形式。顔は9000系と同じかと思いきや、おでこの表示器周りを黒塗りして差がついている。
日比谷線向けのため8連貫通で登場したが、最後に増備された編成は中間に運転台付車両を入れた4+4のスタイルで登場。目蒲線では分割されて使われた。中間に入る先頭車は貫通扉が中央にある。また池上線用に3連で製造された編成も多い。
平成世代の3連口は7700系や7600系も残る中早くも廃車が出て、上田電鉄や伊賀鉄道へ譲渡されている。ともに2連となり中間車は廃車されてしまったのが惜しい。
写真の1000系で武蔵新田へ移動。ひとまず時間が許す限り撮ることにする。
武蔵新田のホームの時刻表を見ると、6分ヘッドと想像したより高頻度で運転されている。蒲田へ出るとスイッチバックして池上線の列車に変わる便も数本あり、扱い上は蒲田行であるが時刻表には池上線での行先も含めた目印がついていた。
7700系(武蔵新田)
多摩川行でやって来たのはオールディーズの7700系。1000系と同じく日比谷線直通用規格で用意された初代7000系をVVVF制御化した車両。初代7000系は日本初のオールステンレスカー。アメリカのバッド社との技術提携のもと製作された車両はまるでニューヨークの地下鉄のような武骨かつ質素なスタイルのものになった。屋根のカーブが深く、幕板の天地が少ないのが安っぽく見える要素のひとつ。
写真先頭の7902号は貫通扉に凹みが見えるが… なんかの事故の跡だろうか?
7700系(武蔵新田)
東急多摩川線の途中駅はすべて対向式ホームで、連絡通路を有する駅も皆無。直線の駅だと順光の列車を迎えるには反対側ホームに移りたいところだったが、武蔵新田駅は運良くカーブを進んでくる列車を狙える構造だった。せっかくのカーブだが、18m車のたった3連なのが惜しい。
この車両は「歌舞伎」と呼ばれる塗り分けが施された車両で、7600系や引退した8000系にも存在した。そのデザインの目的がわからず、ファンの評判はよくない。初代6000系、7600系(7200系)、8090系や現在の5000系列の顔もそうだが、東急のセンスを疑う要素はちょくちょくある。
7700系(武蔵新田)
正面のみに細い赤帯1本というのが7700系の基本形。初代7000系時代は無塗装→正面のみに太い赤帯1本(帯の下辺がヘッドライトの中心の高さ)という変遷。初代7000系と7700系が目蒲線で同居した時代もあったが、この帯の太さと冷房の有無(7000系は非冷房)で遠目にも区別がついた。
ステンレス車の正面赤帯は8500系新製時に始まり、のち初代7000・7200・7600・7700・8000系にも施された。8090系から側面にも赤帯が入り、同スタイルは9000、1000、2000系まで続いた。
7700系(武蔵新田)
そろそろ時間なのでこの列車で終了。2枚目は出場して駅前の踏切上から撮ったものだ。
多摩川線ホームはドアこそないが、防護柵が設置されている。
今回は2代目7000系などを拝むことはできなかったが、次はついでではなく撮影のために来たい。東横線も同じだ。
ちなみに、試合は負けたものの今年初打席でセンター前へライナーのヒットを打てた。幸先よし。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
今のカメラでは東横・東急多摩川線内で撮ったことがないので、ついでに列車を撮っていくことにした。
若干不自然なタイトルだが、昨年10月10日も同じく東急を草野球ついでに撮った。その時は「帰りついで」だった。
東西線〜日比谷線〜東横線と乗り継いで多摩川駅に到着。
埼玉高速2000系(多摩川)
ファーストショットは東急9000系だったが、思いっきり失敗。目黒線を走る埼玉高速鉄道2000系が最初の写真になった。埼玉高速がメトロ南北線と一体化しているのを象徴する、南北線9000系に似たカラーリングだ。会社略称の「SR」は芝山鉄道と同じ2文字。
横浜高速Y500系(多摩川)
東横下り線をやってきた横浜高速Y500系。東急5000系をベースにした車両で、派手なカラーリングが最たる特徴か。これらの写真の角度では側面が見えづらくその派手さがわかりづらいか。
HMはみなとみらい線開業6周年記念のもの。運が良かったかな? 居合わせた年配の撮影者さんに訊いたところ、もう1本角張ったHMの編成も走っていて、もうすぐ上り列車で来るとのこと。残念ながらそれを待っていると試合に間に合わない…。
現在の多摩川駅は高架に2面4線(外側:東横線、内側:目黒線)、地下に東急多摩川線の1面2線が配置されている。目蒲線時代はJR代々木駅と同じ構造の3面4線で、東横・目蒲の両複線が単純に並んでいるものだった。蒲田方面から桜木町方面へ出る場合は同一ホーム上でのりかえができた。
メトロ03系(多摩川)
お次は東京メトロ日比谷線の03系。歴史の古い日比谷線は既存の道路の交差点をきっちり曲がりながらのコースどりのため急カーブが多く、東横線と同じ8連でも車長が18mに抑えられている。乗り入れ先の東武・東急ともに、この小さい車両規格が輸送上・案内上のネックになっている。
都営6300形(多摩川)
都営三田線6300形。この界隈を走る各社の車両の中で唯一「形」を名乗る車両。なんだか東急じゃない車両ばかりだな。
目黒線はメトロ南北線・都営三田線とともに全駅ホームドア化されており、ワンマン運転が行われている。
この複々線区間を通るのは東急・メトロ日比谷線・メトロ南北線・都営三田線・埼玉高速・横浜高速の車両。東急以外は各線1系列の車両だが、それでも豊富なバリエーションだ。
東横線は2012(平成24)年にはメトロ副都心線との相互乗り入れが開始予定で、メトロ車のほか東武・西武の車両も東横線・みなとみらい線に入る。
さらには2019(平成31)年の予定で相鉄との相互乗り入れも計画されているが、相鉄はまず西谷駅〜JR東海道貨物線横浜羽沢駅間の接続線を建設しており、2015(平成27)年4月からJRへの乗り入れ開始予定。その横浜羽沢駅から日吉駅までさらなる線路を新設し、東急にも直通するというものだ。
ただ相鉄と東急を直通する系統が東横線・目黒線のどちらに入るのかは未決。10連が入れる東横線〜副都心線が有力だが、相鉄が2本の路線で都心に入るメリットがあるのか私には疑問だ。渋谷・新宿(三丁目)・池袋へ直結するなら湘南新宿ライン経由でも行けるわけで。
5080系(多摩川)
ようやく登場の東急車。目黒線の5080系は6連で幕帯が紺色。5000系列はJRのE231系がベースになっている。209系に始まるJR東日本の各ステンレス車もそもそもは東急車輌が開発に関わっている。
9000系(多摩川)
最初の新製VVVF車・9000系は東横線の主力として活躍してきたが、現在は数が上回った5050系にその座を譲った。
1枚目の編成は広告電車「TOQ-BOX」に用いられた車両で、登場時は側面にもステッカーで装飾がしてあったが、現在は前面にのみ残っている。
5080系・メトロ9000系(多摩川)
東西線05系をアレンジしたスタイルのメトロ南北線9000系。南北線は全線ガラス張りのホームドアが設置されていて、この東急直通開始までは千代田線・有楽町線に顔を出さない限りマトモに車両を撮ることはできなかった。9000系に乗ったことはいくらでもあるが、今さら初撮影だ。
最近登場した増備車は正面帯が笑顔のようなラインになり印象が変わった。こちらもすでに乗ってはいるが、今回は会えなかった。
そろそろ武蔵新田に向かうことにして、東急多摩川線ホームに移る。
1000系(多摩川)
18m車4連で運行されていた目蒲線の分割(目黒〜田園調布は目黒線、田園調布〜多摩川は東横線、多摩川〜蒲田は東急多摩川線に変更)の際、東急多摩川線は池上線と共通の18m車3連に逆戻りした。
この1000系は日比谷線直通用として登場した形式。顔は9000系と同じかと思いきや、おでこの表示器周りを黒塗りして差がついている。
日比谷線向けのため8連貫通で登場したが、最後に増備された編成は中間に運転台付車両を入れた4+4のスタイルで登場。目蒲線では分割されて使われた。中間に入る先頭車は貫通扉が中央にある。また池上線用に3連で製造された編成も多い。
平成世代の3連口は7700系や7600系も残る中早くも廃車が出て、上田電鉄や伊賀鉄道へ譲渡されている。ともに2連となり中間車は廃車されてしまったのが惜しい。
写真の1000系で武蔵新田へ移動。ひとまず時間が許す限り撮ることにする。
武蔵新田のホームの時刻表を見ると、6分ヘッドと想像したより高頻度で運転されている。蒲田へ出るとスイッチバックして池上線の列車に変わる便も数本あり、扱い上は蒲田行であるが時刻表には池上線での行先も含めた目印がついていた。
7700系(武蔵新田)
多摩川行でやって来たのはオールディーズの7700系。1000系と同じく日比谷線直通用規格で用意された初代7000系をVVVF制御化した車両。初代7000系は日本初のオールステンレスカー。アメリカのバッド社との技術提携のもと製作された車両はまるでニューヨークの地下鉄のような武骨かつ質素なスタイルのものになった。屋根のカーブが深く、幕板の天地が少ないのが安っぽく見える要素のひとつ。
写真先頭の7902号は貫通扉に凹みが見えるが… なんかの事故の跡だろうか?
7700系(武蔵新田)
東急多摩川線の途中駅はすべて対向式ホームで、連絡通路を有する駅も皆無。直線の駅だと順光の列車を迎えるには反対側ホームに移りたいところだったが、武蔵新田駅は運良くカーブを進んでくる列車を狙える構造だった。せっかくのカーブだが、18m車のたった3連なのが惜しい。
この車両は「歌舞伎」と呼ばれる塗り分けが施された車両で、7600系や引退した8000系にも存在した。そのデザインの目的がわからず、ファンの評判はよくない。初代6000系、7600系(7200系)、8090系や現在の5000系列の顔もそうだが、東急のセンスを疑う要素はちょくちょくある。
7700系(武蔵新田)
正面のみに細い赤帯1本というのが7700系の基本形。初代7000系時代は無塗装→正面のみに太い赤帯1本(帯の下辺がヘッドライトの中心の高さ)という変遷。初代7000系と7700系が目蒲線で同居した時代もあったが、この帯の太さと冷房の有無(7000系は非冷房)で遠目にも区別がついた。
ステンレス車の正面赤帯は8500系新製時に始まり、のち初代7000・7200・7600・7700・8000系にも施された。8090系から側面にも赤帯が入り、同スタイルは9000、1000、2000系まで続いた。
7700系(武蔵新田)
そろそろ時間なのでこの列車で終了。2枚目は出場して駅前の踏切上から撮ったものだ。
多摩川線ホームはドアこそないが、防護柵が設置されている。
今回は2代目7000系などを拝むことはできなかったが、次はついでではなく撮影のために来たい。東横線も同じだ。
ちなみに、試合は負けたものの今年初打席でセンター前へライナーのヒットを打てた。幸先よし。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2010/01/29
10.1.29 白昼の幻列車
時間が作れたので真昼の西船橋駅へ(あぁ、また金曜だな)。
今年に入ってから京葉線のひみつ兵器・E331系が平日に試運転を繰り返していて、西船橋へ顔を出しているのだ。
E331系といえば、連接編成で3ドア・14両編成というわかりやすい特徴を持っている車両で、1編成のみの存在。
各路線で試運転を重ねたあと、2007(平成19)年3月18日のダイヤ改正から京葉線で営業運転を開始。休日の95運用が働き場となった。
ところが、18日(日)・21日(祝)・24日(土)の3日間の走行で早くも運用離脱。たった一週間のことだった。メーカーへ戻しての調整なども行われたが営業復帰は翌2008(平成20)年12月23日となった。
その後年が明けて5月に入り、ドアの不具合が改善されず再び離脱。京葉区のお決まりの場所で寝たきり状態が続いて現在に至っている。
京葉線投入から、稼働日数は50日に達していないとも言われている。
E331系(東京・2009.4.5・mb)
二度目の営業運転期間中にケイタイで撮ったもの。当時は今のカメラを使っておらず、列車撮影のためにでかけるようなこともなかった。フツーにおでかけ帰りの足として東京駅京葉ホームに降り立ったら遭遇したのだ。
二俣新町へ帰るのにこの快速列車に乗る必要はなかったのだが、そりゃぁ、乗りますわ。両先頭車にはクロスシートがあり、空いていたのでしっかり新浦安まで座ってきた。
E331系(新浦安・2009.4.5・mb)
新浦安で特急の通過待ち。東京方のほうがホーム端に余裕があることをこの時点では知らなかった。
現在の試運転は乗務員のハンドル訓練と言われているが、その試運転区間は新習志野—西船橋というヘンテコなもの。
来る3月のダイヤ改正では、昼間帯に西船橋—南船橋間のチョン行列車を新設し、毎時1本の武蔵野線〜南船橋間の列車を武蔵野線〜東京間に変更する(時刻例等はこちらの記事で)。
今回の二俣支線を通る試運転から、そのチョン行にE331系を起用するんでは? との、いろんな意味で「短絡」的な憶測も沸いている。
試運転は明るい時間帯にピストン運転するとのことで、行われているならば長くとも1時間くらいのうちには会えるだろうと考えた。
到着後東京発の府中本町行1本を見送ったところで、運良くE331系が現れた。
E331系(西船橋)
この向きは逆光なのだが、曇天であまり関係なかった。
E331系(西船橋)
10番線に入ったE331系。最後尾に車掌は乗っていなかった。
連接14両編成は通常のボギー20m車10両編成分の長さ。西船橋高架ホームは9・10番線が10両対応、11・12番線は8両対応となっており、このE331系は前者でしか客扱いを行えない。その有効長は西船橋—千葉みなと間開業から3年弱のあいだスカイブルーの103系が10連で入っていた名残だ。
なお当時の武蔵野線は6連オンリーで、京葉線への直通はなくすべて西船橋折り返しだった。
E331系(西船橋)
「14」の号車番号。両先頭車となる1・14号車は車長16.5m・定員115名。
E331系(西船橋)
1・7・8・14号車以外の10両は車長13.4m・定員107名。
E331系(西船橋)
黄色いシングルアームパンタ。
E331系(西船橋)
7・8号車間は連接になっておらず、入場時などにはこの位置で7車体ずつに2分割されることもある。2段窓が意外に多いのもE331系の特徴のひとつ。
7・8号車は両先頭車と同じ16.5mで、定員は編成中最大の133名。
E331系(西船橋)
1・14号車にあるクロスシートは可変タイプ。この試運転列車ではロングシート仕様に組まれ、外からは窓の先に背もたれ板が見える。イレギュラーで平日運用に入った場合はこのスタイルで運転する予定になっていたそう。可変の構造はよくわからないが、クロスシートのときは「ロング仕様のシート」と「クロス仕様のシートの片方(2人分)」を入れ替えるような感じだと思う。
E331系(西船橋)
こちらが1号車。このホームはどちら側も余裕が少ない。
E331系(西船橋)
日が出てきたので再度14号車側を撮ってから、11・12番線ホームへ移動。
E331系(西船橋)
堂々と取り付けられたフック。試験車両らしい姿だ。
EF65 1061(西船橋)
EF65 1061が単機で顔見せ。蘇我へ貨車を迎えに行った。
E331系(西船橋)
連接台車。車体と車体の間に中心がある。連接車は短い車体になるが、カーブ上での車体の角の出っ張り(オーバーハング)が少なくなるため、同世代のボギー車よりも車体幅を拡げている。ただし、連結面が多くなるため編成全体のデッドスペースは増える。
小田急はロマンスカーに曲線通過に有利なこの連接車体を多く採用した。しかし今年に入ってからその連接部分の金属に複数の傷が見つかり、このところは7000形・10000形が営業運転から一時離脱、他の車両が代走して普段観られない列車も登場している。10000形に関しては長野電鉄に移った車両も同様の理由から休んでいる。傷は経年劣化による可能性もあるそうだ。
E331系(西船橋)
前頭部はよく観ると結構ゴチャゴチャした造り。
E331系(西船橋)
カメラのパノラマ機能を使って撮ったもの。489系のときは首を回せないミニ三脚だったのでこの芸当は不可能だった。
南船橋行の列車が来たので乗り込み、南船橋へ移動。列車は京葉線上り側のホームに着いてしまい、階段を上り下りして下りホームへ。
すると、「列車が通過します」の自動放送。次列車表示は「回送」になっていて、先を見るとE331系が海老川を渡ってきていた。まさかすぐ後を追って来るとは思わなかった。
E331系(南船橋)
うむぅ、各駅停車で移動して新習志野の1番線(下り外側ホーム)東京方から狙うつもりだったのに…。
時間がなくなってきたので家路へ。…と言いつつ二俣新町で下り各駅停車を迎える。
201系・武蔵野線205系(西船橋—南船橋)
方向幕が故障して「京葉線」表示で走っている51+K1編成を撮りたかったが、来たのは52+K2だった。201系が思い通り来てくれただけマシか…。
E331系(西船橋—南船橋)
最後はドのつく地元で「沿線撮り」を敢行。…ところが思った場所に到達する前に列車が来てしまい、慌てて横と後ろを撮っておしまい。本当は前から撮りたかった。まぁどの道このくらいしか車体が見えないかな…。
さてさて、営業復帰はいつになるのか? それとも幻のまま、ひみつ兵器のままなのか? 今後に注目だ。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
今年に入ってから京葉線のひみつ兵器・E331系が平日に試運転を繰り返していて、西船橋へ顔を出しているのだ。
E331系といえば、連接編成で3ドア・14両編成というわかりやすい特徴を持っている車両で、1編成のみの存在。
各路線で試運転を重ねたあと、2007(平成19)年3月18日のダイヤ改正から京葉線で営業運転を開始。休日の95運用が働き場となった。
ところが、18日(日)・21日(祝)・24日(土)の3日間の走行で早くも運用離脱。たった一週間のことだった。メーカーへ戻しての調整なども行われたが営業復帰は翌2008(平成20)年12月23日となった。
その後年が明けて5月に入り、ドアの不具合が改善されず再び離脱。京葉区のお決まりの場所で寝たきり状態が続いて現在に至っている。
京葉線投入から、稼働日数は50日に達していないとも言われている。
E331系(東京・2009.4.5・mb)
二度目の営業運転期間中にケイタイで撮ったもの。当時は今のカメラを使っておらず、列車撮影のためにでかけるようなこともなかった。フツーにおでかけ帰りの足として東京駅京葉ホームに降り立ったら遭遇したのだ。
二俣新町へ帰るのにこの快速列車に乗る必要はなかったのだが、そりゃぁ、乗りますわ。両先頭車にはクロスシートがあり、空いていたのでしっかり新浦安まで座ってきた。
E331系(新浦安・2009.4.5・mb)
新浦安で特急の通過待ち。東京方のほうがホーム端に余裕があることをこの時点では知らなかった。
現在の試運転は乗務員のハンドル訓練と言われているが、その試運転区間は新習志野—西船橋というヘンテコなもの。
来る3月のダイヤ改正では、昼間帯に西船橋—南船橋間のチョン行列車を新設し、毎時1本の武蔵野線〜南船橋間の列車を武蔵野線〜東京間に変更する(時刻例等はこちらの記事で)。
今回の二俣支線を通る試運転から、そのチョン行にE331系を起用するんでは? との、いろんな意味で「短絡」的な憶測も沸いている。
試運転は明るい時間帯にピストン運転するとのことで、行われているならば長くとも1時間くらいのうちには会えるだろうと考えた。
到着後東京発の府中本町行1本を見送ったところで、運良くE331系が現れた。
E331系(西船橋)
この向きは逆光なのだが、曇天であまり関係なかった。
E331系(西船橋)
10番線に入ったE331系。最後尾に車掌は乗っていなかった。
連接14両編成は通常のボギー20m車10両編成分の長さ。西船橋高架ホームは9・10番線が10両対応、11・12番線は8両対応となっており、このE331系は前者でしか客扱いを行えない。その有効長は西船橋—千葉みなと間開業から3年弱のあいだスカイブルーの103系が10連で入っていた名残だ。
なお当時の武蔵野線は6連オンリーで、京葉線への直通はなくすべて西船橋折り返しだった。
E331系(西船橋)
「14」の号車番号。両先頭車となる1・14号車は車長16.5m・定員115名。
E331系(西船橋)
1・7・8・14号車以外の10両は車長13.4m・定員107名。
E331系(西船橋)
黄色いシングルアームパンタ。
E331系(西船橋)
7・8号車間は連接になっておらず、入場時などにはこの位置で7車体ずつに2分割されることもある。2段窓が意外に多いのもE331系の特徴のひとつ。
7・8号車は両先頭車と同じ16.5mで、定員は編成中最大の133名。
E331系(西船橋)
1・14号車にあるクロスシートは可変タイプ。この試運転列車ではロングシート仕様に組まれ、外からは窓の先に背もたれ板が見える。イレギュラーで平日運用に入った場合はこのスタイルで運転する予定になっていたそう。可変の構造はよくわからないが、クロスシートのときは「ロング仕様のシート」と「クロス仕様のシートの片方(2人分)」を入れ替えるような感じだと思う。
E331系(西船橋)
こちらが1号車。このホームはどちら側も余裕が少ない。
E331系(西船橋)
日が出てきたので再度14号車側を撮ってから、11・12番線ホームへ移動。
E331系(西船橋)
堂々と取り付けられたフック。試験車両らしい姿だ。
EF65 1061(西船橋)
EF65 1061が単機で顔見せ。蘇我へ貨車を迎えに行った。
E331系(西船橋)
連接台車。車体と車体の間に中心がある。連接車は短い車体になるが、カーブ上での車体の角の出っ張り(オーバーハング)が少なくなるため、同世代のボギー車よりも車体幅を拡げている。ただし、連結面が多くなるため編成全体のデッドスペースは増える。
小田急はロマンスカーに曲線通過に有利なこの連接車体を多く採用した。しかし今年に入ってからその連接部分の金属に複数の傷が見つかり、このところは7000形・10000形が営業運転から一時離脱、他の車両が代走して普段観られない列車も登場している。10000形に関しては長野電鉄に移った車両も同様の理由から休んでいる。傷は経年劣化による可能性もあるそうだ。
E331系(西船橋)
前頭部はよく観ると結構ゴチャゴチャした造り。
E331系(西船橋)
カメラのパノラマ機能を使って撮ったもの。489系のときは首を回せないミニ三脚だったのでこの芸当は不可能だった。
南船橋行の列車が来たので乗り込み、南船橋へ移動。列車は京葉線上り側のホームに着いてしまい、階段を上り下りして下りホームへ。
すると、「列車が通過します」の自動放送。次列車表示は「回送」になっていて、先を見るとE331系が海老川を渡ってきていた。まさかすぐ後を追って来るとは思わなかった。
E331系(南船橋)
うむぅ、各駅停車で移動して新習志野の1番線(下り外側ホーム)東京方から狙うつもりだったのに…。
時間がなくなってきたので家路へ。…と言いつつ二俣新町で下り各駅停車を迎える。
201系・武蔵野線205系(西船橋—南船橋)
方向幕が故障して「京葉線」表示で走っている51+K1編成を撮りたかったが、来たのは52+K2だった。201系が思い通り来てくれただけマシか…。
E331系(西船橋—南船橋)
最後はドのつく地元で「沿線撮り」を敢行。…ところが思った場所に到達する前に列車が来てしまい、慌てて横と後ろを撮っておしまい。本当は前から撮りたかった。まぁどの道このくらいしか車体が見えないかな…。
さてさて、営業復帰はいつになるのか? それとも幻のまま、ひみつ兵器のままなのか? 今後に注目だ。
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