熊谷に着くと、ホームの羽生方が開放されて団体客がゾロゾロ… どうやらパレオがやって来そうだ。
走るのは土休日だけじゃないんだな。
留置中の6000系と並んだ1000系カナリヤ。ともに「元・101系」だ(熊谷)
熊谷は島式ホームだが、ノーマルな左側通行になっている。
後からパレオが来るであろう羽生方面5番線には1000系オレンジが停車していた。
1000系(熊谷)
ヘッドマークは「皆野町 合歓の盆 秩父音頭まつり」。
スカイブルーのと同じ落款があり、すれちがった標準色1000系とともにヘッドマークは祭シリーズとなっているようだ。
標準色時代の1011F。旧運行番号窓は「各停」の文字(熊谷・1997)
オレンジが出発した5番線に10時12分始発の「SLパレオエクスプレス」がデキ507に牽かれて三峰口方から入線。
SLパレオエクスプレス(熊谷)
この駅で人が映り込まないように撮るのは至難の業だ。
ところが、過去に撮った写真を見てみると…
旧客時代のパレオエクスプレス。午後の帰ってきた列車だ(熊谷・1997)
復路の列車を迎えたこの写真、SLが来るのに人気(ひとけ)が少ないなぁと思いながら撮った。
この頃は人気も低迷期だったかもしれない。
写真は乗客が降りてくる直前で、この後はさすがに人が集まっていた。
さて、新郷から乗ってきた1000系カナリヤの三峰口行は8分停車でまだ停まっている。
パレオをどこかで迎え撃つべく再び乗り込んだ。
2つめの石原(いしわら)で降りる。熊谷方の端でパレオを待つ。
熊谷からこの駅まで2駅間は上越新幹線が寄り添い、周りも建物が多いところだ。
待っている間に新幹線がガンガン通るのかと思ったが、あんまり来ない。
防音壁も高く、アタマが見える程度だが、最初に通ったのが東京行の200系であることはわかった。
次に高崎方面へ走り抜けていったのがどう考えても単行の車両。
こちらから車体はまったく見えないので、一体何が通ったのか気になって仕方がない。
しばし待つと、ゆっくりパレオが近づいてきた。
連写モードに設定して迎え撃ったが…
SLパレオエクスプレス(石原)
撮れたのこの2枚だけ!
…また途中でシャッターボタンを離してしまい、慌てて撮った2枚目はご覧の通りケツが切れてしまった。
さてどこまで続く? この連写モードの勝負弱さ。
スハフ12は後部監視窓が縦長の100番台(石原)
後部を追っかけたら、デキがついてないじゃないか。パレオ用12系の顔をマトモに見たのは初めてだ。
昨年6月15日に熊谷行を見たときは青のデキが後ろについていた。
調べると、現在はC58が不調のとき以外は後部補機はつけなくなったそう。いつからかな?
そういえばつい最近そのC58の不調が発生して、緑のデキ201牽引に変わったというニュースを見た(7月18日〜20日)。
C58は高崎で検査を受け、無事復活したようだ。
きょうは寄居まで出て東上線で帰ることに決め、次の5000系普通列車に乗り込む。
…なんだ、羽生から乗った5004Fじゃないか。
とにかく茶色の1000系に逢いたい。
小前田(おまえだ)で降りて、ほどなくやって来る羽生行に期待したが…
1000系(小前田)
ノーマル1000系だった。
小前田は上下ホームがズレていて、ホームから対向列車を狙うと駅間を走っているような感じにも撮れる。
続いて熊谷方から貨物列車。
貨車の最後尾の面白い顔をした緩急車を撮れるかと思ったら、この列車はそうではなかった。
デキ500+ヲキ100・ヲキフ100貨物列車(小前田)
見る限り、機関車次位の若干背が高い貨車が緩急車だと思う。三峰口方にしかつかないのかな?
…あとで調べたら、貨車はヲキ100とヲキフ100で車掌乗務は1988(昭和63)年に廃止されていて、必ずしもヲキフが最後尾にはならないそう。1年前に訪れたときに見た貨物列車はほとんどヲキフが最後尾だった記憶があるのだが… 運がない。
次の寄居行は1000系オレンジ。
非冷房のためガラガラの中間車に乗り込み、車内を撮りながら寄居へ出る。
1000系(小前田—寄居間走行中)
101系そのものの車内がそこにある。
1000系は両端の先頭車がすべて秩父入線後に冷房改造されているが、中間車は非冷房のままとなっている。
近年は猛暑日の多さをネタにしている熊谷を、白々と非冷房車が走っているわけだ。
寄居着。
1000系(寄居)
羽生行7000系がやってきた。
7000系(寄居)
ここまで姿を見なかったのですっかり忘れていたが、この7000系が今年の新顔。
元・東急8500系で、新造の運転台を取り付けた車両もある。
1000系はこの7000系により淘汰が進められることになっている。
東急8500系は現在も東武伊勢崎線・日光線に乗り入れ中。
隣の東武8000系とは、7000系となったあとも寄居と羽生で顔を合わせる腐れ縁だ。
5000系も三田線時代は東武東上線乗り入れの計画があった車両で、この秩父鉄道でようやく東上線と顔を合わせた。
ホームの立ち食いそば屋で天玉うどんを喰って次の列車たちを待つ。
うどんはそれは不思議な感触の麺で…
喰ってるあいだに熊谷の側線にいた6000系急行「秩父路5号」影森行がささっと客扱いをすませて出て行った。
続いてやってきたのもこれまた熊谷の側線にいた1000系ウグイス。
1000系(寄居)
黄色の警戒色が入った関西本線独特の塗色。
ウグイスの101系は関西本線だけの在籍で、101系としては黄帯のないウグイスは存在しなかった。
が、のち短編成化で先頭車が足りなくなった103系に編入されたクハが黄帯なしの時期に走っていたことがあるかもしれない。
関西本線ウグイス103系は黄帯入り→帯なし→現在の白帯入りと変化している。
このあとの羽生行きを最後にしようと茶色の1000系を期待したが、来たのは5000系だった。
1000系はさらに黄色+茶帯編成が登場することになっているので、それが出たらまた訪れることとしよう。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。