2016/11/05

16.11.3 川崎市電保存車(スマホ)

今回はちょこっと記事。
草野球をしに訪れた川崎市の桜川公園に、川崎市電の702号が保存展示されていたのでスマホで撮ってきた。

そもそもこの公園で出会うまで、私は川崎市電という存在自体あまり把握していなかった。
市電というとあちこち路線が張り巡らされているようなイメージが沸くが、調べてみたら、川崎市電は国鉄川崎駅前から臨海工業地帯へ向かう1路線のみ。
その末端部(桜本—塩浜)は京急大師線から買収したものであったり、大師線同様国鉄からのSL牽引貨物列車が入る三線軌道があったりと面白い点もあり、軌間は1435mmであった。

営業期間は戦中の1944(昭和19)年〜1969(昭和44)年の間で、昭和で終始している。
かつて併用軌道が敷設された南武線浜川崎支線と距離をおいて並行する道路には「市電通り」という名が残っている。


川崎市電700形(桜川公園)(sp)

川崎市電700形は、もと都電の木造車1500形がルーツ。
川崎市電に移って200形となったあと、制御装置変更と鋼体化により700形となっている。


川崎市電700形(桜川公園)(sp)

2年早く登場した600形が車体両端に出入口を配した(前後扉)のに対し、700形は前中扉配置で登場した。
のちの改造により600形と同じ前後扉に変更、この保存車の形態となった。


川崎市電700形(桜川公園)(sp)

屋根はかつては無かったようだ。全国には屋根がなく朽ち果てる保存車も多いので、幸せ者だ。
クリーム地に緑帯という塗装は、近所の南武線浜川崎支線を走った101系ワンマン車も纏っていた。



川崎市電700形(桜川公園)(sp)

都電1500形は大正製だった。700形化は1954(昭和29)年だ。


川崎市電700形(桜川公園)(sp)

側面中央に川崎市章が入る。なんだか他の土地でも見たことがあるようなデザインだが…。


川崎市電700形(桜川公園)(sp)

屋根カーブに合わせた眉毛のようなルーバーが面白い。
方向幕は実際に使用していたものとは書体が異なるようだ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。