なんば〜千日前商店街〜道頓堀商店街〜心斎橋筋と、グリコサインをはじめとした名物看板やくいだおれ太郎(生きていた)なんかを撮りつつ人混みの中をかきわけてひたすら進む。
とにかくみんな歩くのが遅い。店に用事のない私はただどこかの駅に出たいだけだ。
この一連の商店街も過去に何度か来ているので、歩いて行けばどこかに何かしらの駅があるのはわかっていた。
シャンデリアドーム
心斎橋筋の途中で大阪市営地下鉄御堂筋線の心斎橋駅の入口を発見。
新大阪20:30発の「のぞみ424号」の指定席を確保している。
それまであと2時間ほど。時間つなぎも兼ねて、御堂筋線の電車を撮ることにした。
(心斎橋)
心斎橋駅ホーム。まるで東欧の地下鉄駅のような、ドーム型の天井とシャンデリア風の蛍光灯照明は有名だ。
御堂筋線は1933(昭和8)年に梅田—心斎橋間が大阪市営地下鉄の最初の区間として開業。該当区間の梅田・淀屋橋駅も同様のドーム型で、本町駅は中央に柱のあるM字型の高天井となっている。
ホームドアがあるのは計算外だった。北へ進む列車に乗って場所を変える。
(淀屋橋)
淀屋橋駅で降りる。
駅に着いた瞬間、反対側を北大阪急行の「POLESTAR(ポールスター)」こと8000形が発車していった。
心斎橋と同じ上下線をまとめたドーム構造だが、こちらのほうが天井が低いようだ。
ホームドアはなく、この駅で電車を撮ることに。
(淀屋橋)
ホーム中央には空調設備の柱が立っているが、天井には届いていない。
天井と壁の境目にはまるで車両内部と同じような位置に大きな広告が並んでいるのが面白い。
21系(淀屋橋)
最初の撮影はうしろ側となった。新20系列の21系。
20系は10系から進化した大阪市営地下鉄初の量産VVVFインバータ制御の系列。
そして、10系に似たアルミ車体から完全新デザインのステンレス車体に変更したのが新20系列。
中央線と谷町線に配置された20系は現在中央線に集約され、新20系列は第三軌条式の御堂筋・谷町・四つ橋・中央・千日前の1〜5号線各路線に配置。御堂筋線が21系、谷町線が22系…と1の位は号線の数字が充てられている。
谷町・四つ橋・中央の3路線は6連で、需要に応じて車両の異動が発生している。千日前線は4連だ。
21系(淀屋橋)
なかもず行。御堂筋線は吹田市の江坂駅—堺市北区の中百舌鳥駅までの路線。
大阪市営だが、両端は市外に出ているわけだ。江坂からは北大阪急行線が御堂筋線の延長線として千里中央まで結んでいる。
車両は新21系の更新車で、内装の更新のほか、外回りはクリーニングされてピカピカになった。
また側面幕板部にラインカラーが加わり、乗務員扉背後にはその幕帯からの「モミアゲ」がついた。
21系(淀屋橋)
撮り始めたら21系ばかり来る。新大阪行。
御堂筋線は1路線で大阪市営地下鉄の収入の4割以上を占めており、大動脈である。
そのため、都心部を中心に区間列車が常時走っており、真っ昼間は全線通し列車(大運転)と新大阪—天王寺間の区間列車(小運転)が交互にやって来る。21系は高頻度運転に備え、他の新20系列より起動加速度が高いそうだ。
編成は現在10両編成。私の印象では半端な9両編成のイメージがあったが、1995(平成7)〜1996(平成8)年にかけて9→10両編成化が進められた。
21系(淀屋橋)
こちらも小運転列車が来た。天王寺行の、またもや21系。
この駅のこの位置での撮影の利点は、降りてきた客があまり通らないこと。ほとんどが京阪本線とののりかえ口である江坂方へ向かってしまうからだ。それを知っててここに立ったわけではないが。
ただし、ずーっと駅長だか助役だかの赤帯帽子の駅員が写真の位置に立っている。列車が接近しても白線外に足を置いているのが妙に気になった。
21系(淀屋橋)
これでもかの21系攻撃で早くも飽きる。ただ、更新車があることでバリエーションは出ている。
更新車のモミアゲのボーダー処理はいかにも大阪という感じ。
大阪市営地下鉄では30系以降の1〜5号線の車両は4ドアとなっているが、車長は18m級なので座席が少ない印象だ。
30000系(淀屋橋)
ようやく画変わり。御堂筋線所属車両では最新の30000系。31系ではない。
谷町線に2009(平成21)年、御堂筋線に2011(平成23)年から導入されている。ステンレス車体ながら、側面はビードプレスがなくなって平滑となっている。
正面の口角が上がったようなラインの入れ方は東京メトロ千代田線の16000系に似ているが、調べたら16000系のほうが後発だった。同南北線9000系5次車は30000系より先。
谷町線には13編成あるが、御堂筋線は3編成ということで希少編成に当たったようだ。
北急9000形(淀屋橋)
30000系の3分後にやってきたのは北大阪急行の9000形なかもず行。
18時台のため、大運転と小運転の交互ではなくなっている。
9000形は2014(平成26)年に登場、昨年、今年と1編成ずつ増備され3編成が所属しており、これまたよく来てくれたという感じ。「POLESTAR II」の愛称が付いている。
乗務員室内に木目の化粧板が見える。客室も同様だ。北大阪急行は阪急電鉄が株式の過半数を保有しており、かつての2000形や8000形も含め、特に内装で阪急電車のイメージが現れている。
この車両が登場した際に抱いた違和感が、正面おでこの処理。額縁状になっているのなら、3枚の窓ガラスの上はブラックフェイスにする…というのがこの20年ぐらいの標準的な考えだ。
ただ、革新的なものは登場時は誰もが違和感を抱くもの。ピカピカに処理されたステンレス地肌が少しずつ折り曲げられた多面の面取りはそれはそれで美しい。
そして今年登場の第3編成は私の思いを具現化してくれた。つまり、正面窓上の額縁内側が塗りつぶされたのだ。
ただし色は黒ではなく窓下と同じ阪急マルーンだ。ところが、帯下や額縁上部にアイボリーも入った。
それどころか側面もこれまでの腰帯に加えて全体的にアイボリーとマルーンのラッピングが入り、ドアや窓のフレームは無塗装のまま残され、線だらけのガッチャガチャな見てくれになってしまった。
…次回(第4編成)に期待するか?
10A系(淀屋橋)
ようやく現れた昭和の車両。
10系は1973(昭和48)年に試作車として登場した旧20系をベースに1979(昭和54)年から量産化された系列。
電機子チョッパ制御で登場したが、2006(平成18)年から車齢の若い編成がVVVFインバータ制御に変更されて10A系を名乗るようになった。
10A系(淀屋橋)
続いて下りも10A系。おでこには21系と同じ「VVVF」のロゴが入っている。
私が大阪市営地下鉄に生まれて初めて乗ったのが幼稚園児のときで、1979(昭和54)〜1980(昭和55)年。
当時10系と30系が走っていたが、顔のデザインから10系の方が古い車両だと思っていた。しかし、当時は最新車両だったわけだ。上の2年間で第2〜第11編成まで10本が造られている。
21系(淀屋橋)
ラッピング編成が来た。マスク『Fitty』の広告。
側面腰部にテーマ曲の楽譜が書いてあるが、具体的な楽譜が書いてある車両っていままであったんだろうか?
1両1両色が変えてある派手な編成。
10A系(淀屋橋)
10A系が来る確率が上がってきた。
中百舌鳥駅の「なかもず」のほか、我孫子駅は「あびこ」、難波駅は「なんば」と、それぞれ難読を理由に案内サイン上はかな表記が使われている。
特に中百舌鳥延伸前まで終点だった我孫子については、「あびこ」の方向幕の印象が強い方も多いだろう。現在でも我孫子折返しの列車の設定がある。
ただ、一番難しいのは谷町線の喜連瓜破(きれうりわり)駅だと思う。同駅については漢字表記でしれっと案内されている。ひらがなで書かれてもややこしいか…。
10A系(淀屋橋)
濁った銀色に赤のラインはまるでウルトラマン的。
10系の原型スタイルでいうと、正面については窓周りの黒い部分はアルミ地肌で、白帯下のボーダーもなかった。側面もドア間に赤のみの帯(それぞれ中央にシンボルマーク入り)だったから、大分印象が変わっている。
21系(淀屋橋)
北急8000形「POLESTAR」を待っているのだが、全然現れない。
10A系(淀屋橋)
中津行現る。もともと小運転は中津—天王寺間だったが、1990(平成2)年に花博が開催された際に新幹線からの来場者対応として新大阪まで拡大、好評のため花博終了後も新大阪返しがそのまま残ったんだそうだ。
そのため、部内では「小運転」は旧来の中津返しを指し、新大阪返しは「中運転」と呼ぶらしい。
10系(淀屋橋)
正面にボーダーのない正味の10系登場。とは言っても更新工事を受けているのでブラックフェイス・側面の白線入り腰帯等登場時から変わっている。
おでこには電機子チョッパ車を指す「ACCC」の文字。Armature Chopper Control Carの略だそうだ。
21系車内
そろそろ移動しよう…ということで、21系の最後尾に乗ってとなりの梅田駅に。
乗務員室背後には祝日(春分の日)ということで日章旗が飾られていた。 (つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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