今回は新幹線。記事中のカット数は当ブログとしては少なめ。
0系
元祖・新幹線。新幹線の営業用車両としては唯一私が生まれる前から存在していた系列。
0系(東京・1987.11.8)(d)
中1の秋、初めて鉄道写真を撮った日の一枚。だんごっ鼻が黄ばんでいるのが印象的。
前で撮っているのは、この日同行した中学の同級生だ。
左に写っている車両は側窓が大窓の古いタイプ。
0系(東京・1987.11.8)(d)
こちらは東海道線ホームからの写真。側窓は小窓で、まるで航空機のようだ。0系に関しては小窓のほうが新しい車両である。
0系(田町・1989)
先頭車が小窓、続く車両が大窓という編成。0系はナマではさんざん観ていたが、もっと撮っておけばよかったなぁ。
100系
2階建て車両を組み込んだ系列として登場した100系。0系よりシャープになった前頭部など、スタイリッシュな車両だった。
100系(東京・1988.2.14)(d)
鼻のアタマの骨組みが透けて見える100系。
100系(京都・1989)
中学の修学旅行の際に撮った1枚。100系は試作車が小窓だったが、量産車は大窓となった。
200系
東北・上越新幹線用に用意されたのは0系よりちょっとだけ顔がシャープになった200系。
200という数字だが、100系より先の登場である。
200系(上野・1987.11.8)(d)
東京駅ホームで0系を撮ったのと同じ日。当時はこの上野が起点で東京駅には乗り入れていないため、東京と上野の間を新幹線に乗って移動したわけではなく、両駅でそれぞれ入場券を買ってホームに入ったと思われる。何をしてんだか。
200系(盛岡・1988.11.3)(d)
中2のとき、同級生(先の奴とは別)と仙台へオリエント急行を撮りに行った帰りの新幹線。
東北線で盛岡まで行ってから新幹線で帰京というルート。親がよく金出してくれたわ。
在来線の写真はまた別記事を立てよう。
200系(盛岡・1988.11.3)(d)
乗車した車両。車内に入った時点で我々以外に乗客はなかった。棚の荷物は我々のものだ。
座席モケットの柄は0系と同じもの。
200系(上野・1988.11.3)(d)
上野に到着。
東北新幹線が東京へ達したのは3年後。その時も東京駅は1面2線という状態で、この上野発着の列車も多かった。
200系(王子付近・1989.8.7)
飛鳥山のフェンスの編み目から撮った200系8連。右上に網が入っちゃっている。
100系顔の車両は撮らずじまいだったな。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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