2015/03/15

88.11.3 ORIENT EXPRESS '88・1

今回は当ブログの各なつかし写真記事でちょくちょく出てきたワードである「オリエント急行」の来日時の写真。

バブル期の1988(昭和63)年、ヨーロッパを走るオリエント急行の車両が日本のレールを走るという、ものすごい企画がフジテレビの仕掛けで行われた。
今は考えられない…というか、当時でもあまりに突飛なことであった。

車両はパリ発東京行国際列車として、フランス〜西ドイツ〜東ドイツ〜ポーランド〜ソ連〜中国〜香港を通り、船で山口県下松に上陸。途中、台車交換やJR在来線走行のための整備を受けながら長い日数をかけて東京駅に到着。その後は全国各地を展示や旅客運行で行脚した。
いま振り返って見てみれば、ドイツは東西統一、ソ連(ソビエト連邦)は解体されCISを経たあとロシアを始めそれぞれの国々に分かれ、香港は中国に返還された。もうそんな前の時代の話なのだ。…26年半前だから当然か。

私は詳しいことは把握していないので、詳細についてはこちらの参照を。
この記事も同ページにおんぶにだっこでまとめる。


仙台

中2の秋。同じ鉄道ファンの同級生と二人で仙台駅での展示をお目当てに出かけようという話になった。
そこには、夜行急行「八甲田」、盛岡までの在来線、盛岡からの東北新幹線乗車というトピックも込めている。
今と住処は同じであり、近場でいくらでも撮るチャンスはあっただろうに、未だ仙台をチョイスした経緯が思い出せない。無論旅費は親に出してもらうわけで。


(上野・1988.11.2)(d)

ともあれ行けることとなり急行「八甲田」へ乗るため上野へ出ると、こんなゲートができていた。


(仙台・1988.11.3)(d)—以下撮影地・日付・dは同—

「八甲田」は深夜の仙台1番線に到着。寝過ごすのが怖くあまり眠れなかった記憶がある。
同じく夜中、オリエント急行車両の回送があるために待合室などで暖をとりながら待った。11月の仙台の夜は当然寒い。



ED75 711+ED75 703+OE'88客車

オリエント急行車両を引っ張って現れたのは、名前が似たジョイトレ「オリエントサルーン」の指定機・金帯のED75 711だった。




ED75 711+ED75 703+OE'88客車

2機目は一般色のED75 703。700番台は奥羽・羽越線向けの番台区分。


ED75 711+ED75 703+OE'88客車

最後尾はナハネフ23を改造したオニ23 1。フラッシュ発光バレバレの1枚。回送入線時の写真はここまで。


車掌さん

テレビ番組内の紹介でよく現れたオリエント急行の車掌さん。
長身で、長ーいベルトの小さい赤カバンをたすき掛けにした姿が特徴だった。



ED75 711+OE'88客車

こちらは展示時間に合わせて再び1番線に入線したところ。カマは711のみになっている。


オニ23 1/HI-VISION THEATER CAR

ナハネフ23改造のオニ23 1は片側をOE客車に対応する連結器に換装した控車。
車内は日立のハイビジョンをPRするハイビジョンシアターカーとなっていた。


3909/SCHLAFWAGEN

スタッフ用寝台車。



1286/GEPACK

荷物車。検測車のようなドームは本来の物ではなく日本の建築限界に合わせて載せ替えたもの。編成のアクセントとなるため敢えて高さを抑えたものを用意したそうだ。




3354/VOITURE RESUTAURANT "PRESIDENTIELLE"

食堂車で、元フランス大統領専用車「プレジデンシャル」。エンブレムは「北斗星」より豪華。



4158/PULLMAN

プルマン車。これも食堂車として使用。


4158/PULLMAN

OE客車の日本での所属は品川で、「東シナ」の表記がきちんとされている。
これは日本へ渡った証として、大陸へ戻っても存置することになっていたそうだ。



4164/VOITURE SALON BAR

ピアノバー車。写真ブレブレ。


3551/CARROZZA CON LETTI

ここから寝台車。この車両は1人個室×4・2人個室×6。


3542/CAMAS

この車両は2人個室×10。(車体表記から見ても、Wikiはこの車両と3551の説明がテレコになっている様子)


3480/CARROZZA CON LETTI


3472/CARROZZA CON LETTI


3537/CARROZZA CON LETTI


3487/CARROZZA CON LETTI

4両とも1人個室×4・2人個室×6。


マニ50 2236/控車

オニ23 1とともにOE客車対応連結器装備の控車で、荷物室はリネン倉庫として使われた。車号は変わっていない。


ED75 711

機回しで再び青森方へ。中線の2番線を通過。





ED75 711+OE'88客車

マニ50の帯はED75 711の帯と高さが揃っている。おそらくブルトレ腰帯の高さなんだと思う。
仙台での写真は以上。展示なのに中には入っていないのだが、おそらく盛岡への移動のため展示の時間帯にいることができなかったんだと思う。ホント、なんで仙台をチョイスしたんだか…。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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