夜行列車なつかし写真第3弾は上野口。
過去記事でバラバラにアップしたものも改めて混ぜながら、583系使用列車を中心に。
はくつる
「はくつる」は上野—青森間の寝台特急。走行区間は東北本線のうち東京—上野間を除いたほぼ全線。
583系寝台特急「はくつる」(上野・1988)(再掲)
583系の「はくつる」は1968(昭和43)年10月のいわゆる『ヨン・サン・トオ』改正で運行開始。
583系寝台特急「はくつる」(尾久—赤羽・1989)(再掲)
おそらく早朝に撮ったと思われる走行シーン。上り列車と下り回送か?
583系寝台特急「はくつる」(上野・1989.8.7)(再掲)
中電115系と並ぶ。民営化から2年、まだまだ国鉄感あふれる時代だった。
583系寝台特急「はくつる」(上野・1989.8.7)(再掲)
上野口の583系特急としてはこの「はくつる」が最後まで残った定期列車。1994(平成6)年まで設定があった。
ゆうづる
『はくつる』に対し、『ゆうづる』は上野—青森間を常磐線経由で結ぶ列車。
583系寝台特急「ゆうづる」(上野・1988.8.12)(d)
雨の中上野地平ホームへ『ゆうづる』が到着。これまた隣に115系中電。青サボは東北線(当時はまだ「宇都宮線」の愛称はなし)。
583系寝台特急「ゆうづる」(上野・1988)
前の写真とは別の日の1枚。中坊のこの頃はフラッシュ点けちゃってたなぁ…。
583系寝台特急「ゆうづる」(仙台・1988.11.3)(d)
夜中の仙台で撮った1枚。オリエント急行が来日していたときで、なぜか仙台の展示の日に急行「八甲田」で向かって同級生と撮りに行ったのだ。
お目当てのオリエント急行の話はまた別の機会に記事を立てよう。
583系寝台特急「ゆうづる」(回送)(尾久—赤羽・1989)
「はくつる」の同ポイントの写真と同じときに撮ったもの。
583系寝台特急「ゆうづる」(上野—尾久・1989)
583系寝台特急「ゆうづる」(上野・1989)
東北からの列車の醍醐味は冬の雪付き。鶯谷での写真はもしかしたら「はくつる」かも。
あけぼの
「あけぼの」は上野—青森間を秋田経由で結んだ寝台特急。昨年3月で定期列車は廃止された。
もともとは東北本線・奥羽本線経由だったが、山形新幹線工事に絡んで陸羽東線を介するようになり、秋田新幹線開業後は高崎・上越・信越・羽越・奥羽線回りとなった。
EF65 1021+24系寝台特急「あけぼの」(上野・1988)
柱は抑えめの配色だった頃の上野地平ホーム。旅情をかき立てるシーン。
このPFはナンバーがプレート式になっている。
EF65 1030+24系寝台特急「あけぼの」(上野・1988)
柱と壁が明るい色になった上野地平ホーム。となりに並ぶPFはHMがないので同じく夜行の急行列車だろう。
24系寝台特急「あけぼの」(上野・1988)
白帯の24系24形のトップナンバー。
EF65 1026+24系寝台特急「あけぼの」(上野・1989.1.22)(再掲)
東北行のPFは菱形パンタ・直貼りナンバーのタイプが多かった。
24系寝台特急「あけぼの」(上野・1989)
ごっつり雪を持ってきた「あけぼの」。
24系寝台特急「あけぼの」(尾久—赤羽・1989)
梶原の跨線橋から。現在エレベーター付になったが、この当時はただの歩道橋。
柵が高く不透明のアクリル板も貼られていたが、アクリル板の「ええとこ」に穴が開いていて、そこから撮れたのだ。
尾久客車区には寝台車のほかマニ50や12系客車も見える。
583系寝台特急「あけぼの」(上野・1988)
臨時「あけぼの」は583系で運転された。
583系寝台特急「あけぼの」(上野・1988.8.12)(d)
わりとキレイめな状態の583系。写真はアレだが。
583系寝台特急「あけぼの」(上野・1989.1.22)(再掲)
この日はかなりな遅れで到着したと記憶している。
ちなみに左に写りこんでいる人は赤の他人だが、 この当時はストーンウォッシュやケミカルウォッシュのデニムが流行っていた。裾が閉まったボンタン状態なのもポイント。
583系寝台特急「あけぼの」(上野・1990)
なぜか「あけぼの」はカット数が多い。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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