学芸大学駅から各停に乗って中目黒へ。
日比谷線〜東西線で帰宅の流れではあるが、日比谷線を走る18m車を再び記録しようと、この中目黒にとどまることにした。
再び、というのは、先月も日比谷線の反対の端である北千住で撮ったからだ。
悲しき現場
東横各停から降りたところで、東武20050系がやって来た。
東武20050系(中目黒)
20050系は20000系列の5ドア車。顔だけ見てもLED表示器や5DOORSマークで印象が違う。
メトロ03系・東武20050系(中目黒)
渋谷方がカーブになっているので、下りホームの端へ移動した。20050系が引き上げ線から日比谷線A線に入ってきた。
5050系(中目黒)
車両左のごちゃごちゃした白っぽい柱は我が東西線でも見られるメトロ独特のケーブル。
東武20050系(中目黒)
20050系の出発を後追い。台地の下のトンネルへ潜り込んでいく。
急勾配とS字カーブのこの場所は、2000(平成12)年に悲しい事故が起きた場所でもある。調べてみると、この21852Fはその事故に遭遇した編成であった。編成中のモハ23852・モハ24852の2両は事故で使用不能となり、現在の同番号の車両は修理扱いながら改めて新製されたものが挿入されている。
メトロ10000系(中目黒)
自由が丘以来の10000系。10連急行だ。
メトロ03系(中目黒)
03系が行き交う。置き換えが始まる前の今が撮りどきだ。
東武20000系・メトロ03系(中目黒)
東武20000系が5050系と並走して駅に入る。
メトロ03系(中目黒)
事故はこのようにB線をやって来た03系第2編成が複合要因で脱線、A線の20050系と衝突し、死者も出てしまった。
事故当日のニュース映像を観たときは「アルミ車体があんなにぐんにゃりと曲がるもんなのか?」と驚いた記憶がある。
レール内側の護輪軌条は事故当時は設置されておらず、営団地下鉄の設置基準が甘すぎた点が事故要因の一つとされている。
この護輪軌条や新製車のダブルスキン構造化など、 事故以降に数々の改善が図られた。
西武6050系(中目黒)
西武車の特急。5050系、6050系、9050系、20050系…この駅に現れる系列に「50系」が目立つのが面白い。
東武20000系(中目黒)
出発した直後の東武20000系。顔がかかった部分…私が立っている位置は東横線10連対応で延伸された部分で、目黒川の真上であり、ホームから軌道を覗くと隙間から川面が見える。
メトロ7000系(学芸大学)
LEDがカケカケで写った7030Fの各停。
メトロ7000系(学芸大学)
LEDがカケカケで写った7031Fの急行。連番で来ましたか。
メトロ03系(中目黒)
東武20000系列は5ドア車(=20050系)から表示器がLED化されたが、メトロ03系は幕式表示器の5ドア車もある。
東武20000系(中目黒)
撮っているときには気づかなかったが、線路際のケーブルの下に箱が出っ張っていて、若干列車の顔にかかる。
東武20000系・メトロ03系・メトロ7000系(中目黒)
03系と7000系がホームを挟んで並んだ。03系が横浜方の引き上げ線にいるときに待っていれば、もっと近くで並ぶ姿も撮れるだろう。
なお、7000系を追うように03系も発車していったシーンは動画撮影した。
5050系(中目黒)
何とこの日初撮影の5050系4000番台。4000番台は10両編成だ。
東武20050系(中目黒)
20050系。LEDが写らないのも光線とガラスの反射のせいかも。フィルターは使っていない。
5050系(中目黒)
画面左に見える水色の機械は日比谷線の線路に付属した保線基地のもの。ここの保線車両をレールに移すための乗り上げポイントも先の事故の原因の一つとされている。
5000系(中目黒)
素知らぬ顔で5000系登場。5050系より車体幅が2cm狭いそうだ。
東武20070系(中目黒)
20000系列24編成のうち3編成しかない20070系。20050系と同じVVVFインバータ制御だが、車体は20000系と同じ3ドアに戻ったタイプ。
20070系は昨年5月に新越谷で1回撮っただけだったので、今回会えたのはよかった。
通勤では4駅間ながら日比谷線を使っているので、20070系にもたまに乗っているが、撮ろうと思って待つと来ないものなのだ。
引上げ線に入った20070系を撮ろうとホームの横浜方へ移動しているさなか、なんと東武9000系が上って来た。
早く移動していれば茶帯同士で並んだところを撮れたのに。
東武20070系・メトロ03系(中目黒)
結局、ホーム端に着いたときは20070系も出てきてしまった。
この20070系に乗って、茅場町・東西線経由で帰宅した。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2014/10/28
14.10.25 学芸大学今昔
自由が丘駅から東横線上り急行10連の先頭に乗り、次の停車駅・学芸大学で降りた。
この記事はなつかし写真(再掲)を交えながら進めよう。
車両もホームも変わりました
下り線が直線を保った島式ホームの学芸大学駅。
自由が丘駅との間には都立大学駅があり「○○大学」駅が連続するが、ともに名前の大学は他所へ移転し、駅名にだけ残っている。駅名は地域の呼称として定着して住民が愛着を持っていることが理由のようだ。
なお都立大学は学校そのものが「首都大学東京」に移行して消滅している。
5050系(学芸大学)
18m級の日比谷線直通車が去って東横線は20m車に統一。ホームドアが設置されたのは今年3月とのこと。
営団03系(学芸大学・1990)(再掲)
上屋の形を見てすぐに懐かしさを感じたが、やはりこのアングルで撮っていた。Sマークでまだルーキーと言える頃の03系。
日比谷線は今後20m車7連に置き換わる計画が発表されており、東横線のホームドアに合わせることも可能になるわけだが、直通運転が復活するかはわからない。
東武9000系(学芸大学)
本日初遭遇の東武9000系。03系やこの車両も「センター分け・助士側非常扉」の地下鉄顔である。
9000系(学芸大学・1990)(再掲)
副都心線直結まで9000系といえばこの車両だった。桜木町行すら過去帳入りか。
高架橋の側壁は新しくなっているが、細いビームの架線柱は今もこの頃と同じ物が使われているのがわかる。
メトロ7000系(学芸大学)
10連対応で延伸されたホームの端っこは狭いが、柵で三方を囲まれていて安心。まるで舟の舳先で「タイタニック」的状態。
03系や東急9000系が去って、メトロ7000系や東武9000系が走り始めたのは世代の順が逆で面白い。
初代7000系(学芸大学・1990)(再掲)
東横線で7000系といえばこれ。屋根肩が低く無骨な車体、無骨なCP音が魅力だった。
5050系(学芸大学)
狭いホーム先端からのアングルは正面気味に。
初代7000系(学芸大学・1990)(再掲)
1枚目の編成の角度を見るに、ホームが短かった分、すぼまった島式ホームの先端は今より幅が広かったと考えられる。
5050系(学芸大学)
私が立っているところまでかかる10連列車はなかなか来ない。来るとしたら急行であるが。
5050系(学芸大学)
東急のおにぎり断面の車両は初代5000系にはじまった。その数字を引き継ぐ現在の5000系列は側板が腰から幕に向かって若干車内側に内傾している。
8590系(学芸大学・1990)(再掲)
初代5000系、5200系に続くおにぎり系列が8090・8590系。この当時は急行運用主体だった。
メトロ7000系(学芸大学)
7000系8連の各停菊名行。日比谷線系統の行先の印象があったが、その日比谷線系統撤退後も輸送量に合わせて菊名行が存続している。
営団3000系(学芸大学・1990)(再掲)
こちらが日比谷線の菊名行。この編成は縦長窓の原型ドアと八角形の薄いベンチレーターが残存した、当時でも貴重なタイプだった。
ホーム脇の建物は今もそのまま残っているようだ。
5050系(学芸大学)
8連急行。和光市行が多いな。
5050系(学芸大学)
連結器とスカートの間の部分にカバー?がある編成。
8000系(学芸大学・1990)(再掲)
初代7000系から発展し、デザインも垢抜けたのが8000系。写真当時すでに各停主体の運用で使われていた。
こちらのアングルでも、角丸バルコニーのマンションは今も変わっていないようだ。
5050系(学芸大学)
たまにやって来る新宿三丁目行。
西武6000系(学芸大学)
西武6000系の特急。
5050系(学芸大学)
スカートの運転台側が欠けているタイプ。5050系もよく見ると違いがあるようだ。
5050系(学芸大学)
この列車を撮ってこの駅をあとにする。横浜高速車は来なかったな。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
この記事はなつかし写真(再掲)を交えながら進めよう。
車両もホームも変わりました
下り線が直線を保った島式ホームの学芸大学駅。
自由が丘駅との間には都立大学駅があり「○○大学」駅が連続するが、ともに名前の大学は他所へ移転し、駅名にだけ残っている。駅名は地域の呼称として定着して住民が愛着を持っていることが理由のようだ。
なお都立大学は学校そのものが「首都大学東京」に移行して消滅している。
5050系(学芸大学)
18m級の日比谷線直通車が去って東横線は20m車に統一。ホームドアが設置されたのは今年3月とのこと。
営団03系(学芸大学・1990)(再掲)
上屋の形を見てすぐに懐かしさを感じたが、やはりこのアングルで撮っていた。Sマークでまだルーキーと言える頃の03系。
日比谷線は今後20m車7連に置き換わる計画が発表されており、東横線のホームドアに合わせることも可能になるわけだが、直通運転が復活するかはわからない。
東武9000系(学芸大学)
本日初遭遇の東武9000系。03系やこの車両も「センター分け・助士側非常扉」の地下鉄顔である。
9000系(学芸大学・1990)(再掲)
副都心線直結まで9000系といえばこの車両だった。桜木町行すら過去帳入りか。
高架橋の側壁は新しくなっているが、細いビームの架線柱は今もこの頃と同じ物が使われているのがわかる。
メトロ7000系(学芸大学)
10連対応で延伸されたホームの端っこは狭いが、柵で三方を囲まれていて安心。まるで舟の舳先で「タイタニック」的状態。
03系や東急9000系が去って、メトロ7000系や東武9000系が走り始めたのは世代の順が逆で面白い。
初代7000系(学芸大学・1990)(再掲)
東横線で7000系といえばこれ。屋根肩が低く無骨な車体、無骨なCP音が魅力だった。
5050系(学芸大学)
狭いホーム先端からのアングルは正面気味に。
初代7000系(学芸大学・1990)(再掲)
1枚目の編成の角度を見るに、ホームが短かった分、すぼまった島式ホームの先端は今より幅が広かったと考えられる。
5050系(学芸大学)
私が立っているところまでかかる10連列車はなかなか来ない。来るとしたら急行であるが。
5050系(学芸大学)
東急のおにぎり断面の車両は初代5000系にはじまった。その数字を引き継ぐ現在の5000系列は側板が腰から幕に向かって若干車内側に内傾している。
8590系(学芸大学・1990)(再掲)
初代5000系、5200系に続くおにぎり系列が8090・8590系。この当時は急行運用主体だった。
メトロ7000系(学芸大学)
7000系8連の各停菊名行。日比谷線系統の行先の印象があったが、その日比谷線系統撤退後も輸送量に合わせて菊名行が存続している。
営団3000系(学芸大学・1990)(再掲)
こちらが日比谷線の菊名行。この編成は縦長窓の原型ドアと八角形の薄いベンチレーターが残存した、当時でも貴重なタイプだった。
ホーム脇の建物は今もそのまま残っているようだ。
5050系(学芸大学)
8連急行。和光市行が多いな。
5050系(学芸大学)
連結器とスカートの間の部分にカバー?がある編成。
8000系(学芸大学・1990)(再掲)
初代7000系から発展し、デザインも垢抜けたのが8000系。写真当時すでに各停主体の運用で使われていた。
こちらのアングルでも、角丸バルコニーのマンションは今も変わっていないようだ。
5050系(学芸大学)
たまにやって来る新宿三丁目行。
西武6000系(学芸大学)
西武6000系の特急。
5050系(学芸大学)
スカートの運転台側が欠けているタイプ。5050系もよく見ると違いがあるようだ。
5050系(学芸大学)
この列車を撮ってこの駅をあとにする。横浜高速車は来なかったな。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)