自由が丘駅から東横線上り急行10連の先頭に乗り、次の停車駅・学芸大学で降りた。
この記事はなつかし写真(再掲)を交えながら進めよう。
車両もホームも変わりました
下り線が直線を保った島式ホームの学芸大学駅。
自由が丘駅との間には都立大学駅があり「○○大学」駅が連続するが、ともに名前の大学は他所へ移転し、駅名にだけ残っている。駅名は地域の呼称として定着して住民が愛着を持っていることが理由のようだ。
なお都立大学は学校そのものが「首都大学東京」に移行して消滅している。
5050系(学芸大学)
18m級の日比谷線直通車が去って東横線は20m車に統一。ホームドアが設置されたのは今年3月とのこと。
営団03系(学芸大学・1990)(再掲)
上屋の形を見てすぐに懐かしさを感じたが、やはりこのアングルで撮っていた。Sマークでまだルーキーと言える頃の03系。
日比谷線は今後20m車7連に置き換わる計画が発表されており、東横線のホームドアに合わせることも可能になるわけだが、直通運転が復活するかはわからない。
東武9000系(学芸大学)
本日初遭遇の東武9000系。03系やこの車両も「センター分け・助士側非常扉」の地下鉄顔である。
9000系(学芸大学・1990)(再掲)
副都心線直結まで9000系といえばこの車両だった。桜木町行すら過去帳入りか。
高架橋の側壁は新しくなっているが、細いビームの架線柱は今もこの頃と同じ物が使われているのがわかる。
メトロ7000系(学芸大学)
10連対応で延伸されたホームの端っこは狭いが、柵で三方を囲まれていて安心。まるで舟の舳先で「タイタニック」的状態。
03系や東急9000系が去って、メトロ7000系や東武9000系が走り始めたのは世代の順が逆で面白い。
初代7000系(学芸大学・1990)(再掲)
東横線で7000系といえばこれ。屋根肩が低く無骨な車体、無骨なCP音が魅力だった。
5050系(学芸大学)
狭いホーム先端からのアングルは正面気味に。
初代7000系(学芸大学・1990)(再掲)
1枚目の編成の角度を見るに、ホームが短かった分、すぼまった島式ホームの先端は今より幅が広かったと考えられる。
5050系(学芸大学)
私が立っているところまでかかる10連列車はなかなか来ない。来るとしたら急行であるが。
5050系(学芸大学)
東急のおにぎり断面の車両は初代5000系にはじまった。その数字を引き継ぐ現在の5000系列は側板が腰から幕に向かって若干車内側に内傾している。
8590系(学芸大学・1990)(再掲)
初代5000系、5200系に続くおにぎり系列が8090・8590系。この当時は急行運用主体だった。
メトロ7000系(学芸大学)
7000系8連の各停菊名行。日比谷線系統の行先の印象があったが、その日比谷線系統撤退後も輸送量に合わせて菊名行が存続している。
営団3000系(学芸大学・1990)(再掲)
こちらが日比谷線の菊名行。この編成は縦長窓の原型ドアと八角形の薄いベンチレーターが残存した、当時でも貴重なタイプだった。
ホーム脇の建物は今もそのまま残っているようだ。
5050系(学芸大学)
8連急行。和光市行が多いな。
5050系(学芸大学)
連結器とスカートの間の部分にカバー?がある編成。
8000系(学芸大学・1990)(再掲)
初代7000系から発展し、デザインも垢抜けたのが8000系。写真当時すでに各停主体の運用で使われていた。
こちらのアングルでも、角丸バルコニーのマンションは今も変わっていないようだ。
5050系(学芸大学)
たまにやって来る新宿三丁目行。
西武6000系(学芸大学)
西武6000系の特急。
5050系(学芸大学)
スカートの運転台側が欠けているタイプ。5050系もよく見ると違いがあるようだ。
5050系(学芸大学)
この列車を撮ってこの駅をあとにする。横浜高速車は来なかったな。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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